「考えさせられる、群衆の恐ろしさ」美女と野獣 ヒポリタさんの映画レビュー(感想・評価)
考えさせられる、群衆の恐ろしさ
アニメ映画や劇団四季のミュージカルでお馴染みの、言わずと知れた名作。その実写化となるとどのように作ってもヒットに導かれることは想像出来るが、それまで描かれていなかった、城と村人たちとの関係性や距離感、ベルの母親のことなどをきちんと描き物語にもより深みを与えディテールにこだわりが見える作品になっている。
エマ・ワトソンの美しさ、知性、正きことを貫く高潔さは本人とキャラクターが非常にマッチしていて違和感は全くなく、素晴らしいキャスティング。
ダウントン・アビーで好演していたダン・スティーブンスが演じる野獣も、どちらかというとアニメのような粗暴さが少なく、知性と上品さのある人間性が与えられていてとても良かったと思う。
主要キャラクター、脇役ともに大変に豪華で観るものを飽きさせない。
わたしはガストンと村人たちが出てくるシーンが本当に恐ろしく感じてしまう。
田舎町のヒエラルキー最上位に位置し、腕っぷしの強さが自慢で知性はなく粗暴。
野獣とガストンは何が違うのだろうか?
野獣には生い立ちの中に孤独があった。母を亡くし、父親に傲慢に育てられた。そして時折母を思い出す優しさがある。悔恨の時間は過ぎた。あとは、孤独を理解し合い、奥に潜む優しさを引き出してくれる誰かがいたら…その時にこそ呪いは解けるのだ。
ガストンは傲慢であり最後まで自分のためにしか行動しない。ベルを愛しているというが、彼が愛するのはベルの内面ではなく美しい顔だけ。群衆を先導し、得たいものを得ようとするだけだ。
愛はまず人に差し出し、分かち合うことから始まるものだと思う。
この作品のなかで、一番怖いのは、誰が正しいことを言っているのか考えることをせずに
盲目的に、力の強い者であるガストンについて行く行動をする村人たちという群衆だ。
皮肉にも何も考えず攻撃していた城の住人は、実は忘れていた自分たちの同胞、家族であった。
主体性を失い、思考しない人たちほど怖いものはないというメッセージを、この作品には込められていると思う。