サウルの息子のレビュー・感想・評価
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映画体験としての感想
内容についての感想は軽く書けるものではないので、映画体験としての感想を。 見てる間、つらい、早く終わってくれーと思うようなヘヴィな時間でした。 ラストシーンでは安堵感すら。 終わって、立ち上がって、会場をあとにするときに、自分の生身の感情がこみ上げてきて、泣けてきました。 きっつい映画でしたが、観ない人生と観る人生とでは違いがありそうです。
ほぼ満席…
強制収容所など、ナチス映画がなぜこんなにウケるのだろうか?しかもこれは日本と同じくナチスドイツと最後まで連合軍と戦った枢軸国ハンガリーの映画で、愛の嵐などのような淫靡な華やかさなど一切なく、せっかくの休日が台無しになるような悲惨な物語です。映像はサウルのまわりをまとわりつくような狭い視界をひたすら写すだけですが、サウルが錠前屋を偽って、錠前屋がカメラを写すシーンは、永年謎だった囚人の焼却する様子を再現したもののようで、あのピンぼけ写真は一体何だろう?と感じた人は世界中に数千万人もいたかもしれません。だから、あの狭い世界が世界に繋がっていて、それが繰り返されている…という普遍性が人を惹き付けてしまうのではないか?と思ってしまいました。
前衛的
地獄の映画である。 映画のスクリーンが予告編から狭くなるという、初めての経験をした。画角を極端に狭くした影響で、観客は周りの情報を遮断される。主人公の主観はセリフが少なく、何を考えているかわからない。 話も進んでいるのか、何をしているか、しようとしているのか、よくわからない。 ただ、観客も地獄にいるのだけは、よくわかった。映画を見終わった後は、自分が生きているのがわかった。
じわじわ凄さがわかってくる
観終わった時は、なにをどう感じて良いかわからず、軽く放心状態であった。 ほとんどが主人公の肩越しからの映像で、ピントが近くにしか会っていないこと、画角が狭いことで、観ながら何度も恐怖を覚えた。ホラー映画ではないのにこんなに怖いと思ったのは、初めての体験。息子だと信じ埋葬したいと奔走するサウルの壊れっぷりが、鑑賞後だんだん理解できた。観終わった後に悲しさや悲惨さに心を打たれ、じわじわ感動した作品。
モヤモヤし続ける意義
上映中ずーっと緊張してたので、観終わった時の疲れが凄かった。 「野火」とかこの映画は、そこで起こったことをただ映すという「体験映画」だと思う。そういうジャンルがあるかどうか知らないけど。 観る者はアウシュビッツの中に強制的に連れ込まれ、凄惨な現実を疑似体験させられる。 冒頭、大勢の人が収容所に連れてこられて、裸で部屋に詰め込まれ、そして中から叫び声や扉を叩く音が響く。 主人公と一緒に私も、それをただ聞いている。すごく辛い。 …んだけど、映画の中でそれを何度も見てるうちに、最初ほどの衝撃は感じなくなる。麻痺してくる。 主人公はそれを4ヶ月間繰り返している。 さらに、やがて自分も同じような目に遭うことを知っている。 そんな状況でまともな喜怒哀楽を持っていたら狂ってしまうので、彼らにはみんな表情がない。 感情のスイッチを切ってしまったんだろう。 感情のスイッチを切り、罪もない人たちを殺し、始末する毎日。 その状態を「生きている」と言えるんだろうか。 その状況の中で、主人公が「人間」であるために行った決断が、この映画の軸になる。 パンフを読んで「主人公を英雄にしたくなかった」「恐怖や残虐性を煽るものにしたくなかった」という監督の言葉にとても共感した。 日本の戦争とか原爆を扱った映画って、大体このどっちかだよね…。 そうやって単純化することで、「本当」がどんどん見えなくなる。 観終わっても、何と言えばいいのか分からない。 結論なんてもちろん出せないし、感想すらも安易に言えない。 扉の中の叫び声が耳に焼き付いて、モヤモヤした気持ちが残り続ける。 モヤモヤするから、もっと調べたり、考え続ける。 そうやって簡単に結論づけず、モヤモヤした感覚と向き合い続けることが、この映画を観る意義なんじゃないかと思う。
よくわからなかった、で良いのか?
遺体処理、ホロコースト、息子を見つける、死者を弔う、埋葬etc
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自分がこの映画を観る前の予備知識
もっと死や死者について尊ぶ姿が強調された映画かと思っていたが、予想とはちょっと違った。
違ったと思ってしまった理由として、ユダヤ教の知識や宗教観、収容所での反乱などの知識や理解があまりにも自分に足りなかったんだと思う。
主人公がひたすらラビに拘る心情が理解できなかった。
もういいじゃないか!と途中何度も思った。
挙句、せっかく見つけたラビは①入水自殺未遂→処刑、②祈りの言葉も言えない偽物、という散々なオチ。
とにかく!主人公の最後の笑顔がとてつもなく印象的。あの時彼は何を思ったのか。あの一際色彩を放つ少年に。
息子の生まれ変わりだとおもったか、あるいは新たな「息子」を見つけたのか…?
カメラは常に主人公近影もしくは主人公の視界を写すため周囲からの情報は少なく、また肝心の主人公も全然喋らないため、総括すると「よくわからなかった」となってしまうのが非常に残念。
もちろん、その結論に至らざるを得ない理由は前述の通り、自分にあるのだろうが。
難しい
観るべき映画だったのはよくわかるが、もう一度観たいとは思わなかったです。 ただ、観てよかったとは本当におもいました。 内容は直接描写はしていないが、それゆえにものすごい恐ろしい事が行われていたという事で…。 私の拙い知識ではどう評価していいのか分からなかったです。
ゾンダーコマンド
2016年劇場27本目。 まず、冒頭のサウル登場シーンから一気に引き込まれる。 その後ずっとサウルの接写かサウルの目が届く範囲の映像のみで構成されるため、サウルが見た情報以上の事をこちらも知り得ない。 というより、サウルは口数少ないのでサウルの心の中が解らない分こちらの方が情報量はより少ない。 ラストでようやく“サウルの視点”から少しの間外れる。 その直前に見せるサウルの笑顔がとてつもなく切ない。
見るのが辛いが、知るべきこと。
あぁ、つらい映画体験でした。
エンタメ性は皆無です。しかし世界や人間性を学ぶ上で重要な物語だとおもいます。
サウルにだけピントが合っているので、その他の背景はぼやっとしています。でもそうしてないと、背景の悲惨さにやられます。
彼らは同胞の死体を見ないようにして自分を保っていたのかなと想像しました。
ゾンダーコマンドという言葉は聞いたことがあります。その実態の手触りみたいなものは初めて知りました。
埋葬を好む宗教観も知っていました。ユダヤ教では(キリスト教、イスラム教もですが)、死後の復活を信じているのでそのために体が残ってないとダメだから火葬はもってのほからしいです。
サウルはガス室で死にそびれてしまった少年を、息子だ!と、気づきます。
これは、本当に息子かどうかは、二の次です。妻との子ではない、というせりふがでてきますが、その真偽も定かではない。
私はたぶん思い込みなのだろうと思います。
なので、あの少年は赤の他人。
だけれども、息子だと決めて、せめて息子にはちゃんとした葬いをしたい。サウルのせめてもの願いなのだろうと理解しました。
葬いのための準備で、サウルは規律を犯していきます。殺されやしないかとハラハラします。
サウルの胸中とは関係なく、ゾンダーコマンドたちはなんとか反旗を翻そうと火薬だ武器だのを集めています。
それもまた、自分を失わないための小さな小な希望なんだろうと思います。
ラストでサウルは子供に微笑みます。彼には天使か何かに見えたのでしょう。
救いのない世界でした。しかし、現実に近いのだろうと思いました。
ユダヤ人の悲劇
前から気になっていた映画で、アカデミー賞の外国語作品賞でもあったので観に行きました。 終始落ち着かない映画でした。カメラが主人公サウルの間近に追いかけるように映し出されています。まるでサウルと一緒に、常に急き立てられるような、逃げなければ、息子を葬らなければ、と言う… 教科書の歴史の中のでは伝わらなかった悲劇、目を背けたくなりような悲劇が映し出されていました。
今年のアカデミー賞の傾向とともに
今年のアカデミー賞では、ハンガリーの、ネメッシュ ラスロ監督による映画「SON OF SAUL」(サウルの息子)が、外国語作品賞を受賞した。この作品は、アダム アーカポ監督による「マクベス」とともに、アカデミースポットライト賞というの賞も受賞した。
今年の外国語作品賞候補作は、ヨルダンの「THEEB」、デンマークの「A WAR」、フランスからは「ムスタング」、コロンビアの「EMBRACE OF THE SERPENT」と「サウルの息子」が挙げられ、最終的にこの作品が受賞した。
今年のアカデミー賞は、2か月前に候補作が挙げられた時点で、ホワイトアカデミーと揶揄され、白人の男性ばかりが候補になっているのは人種差別、男女差別の見本だと批判され、一部の黒人俳優が出席拒否をするなど、話題が多かった。いざ蓋を開けてみると、司会者やショーを盛り上げるパフォーマーがみな、ホワイトアカデミーと言う言葉に触れてジョークをかますなど、政治色も強い発言が多くて興味深かった。
レデイーガガが、「TILL IT HAPPENS TO YOU」を何十人ものレイプ被害者、家庭内暴力を生き延びた被害者と一緒に歌って、会場からスタンデイングオベイションを受けていた姿が印象的だった。ーあなたは悪くない、レイプされても自分が悪かったなんて思わないで、ひどい目に遭っても暴力で私の心を曲げることはできない、前を向いて生きていこう、、、そう互いに言えることがいかに大切か。「HOLD YOUR HEAD UP」なのだ。本当にそうなのだ。
アカデミー主演男優賞を遂に手にしたレオナルド デカプリオが、受賞のスピーチで、大企業、エネルギー産業による環境破壊は現実に起こっていることで深刻です。地球上すべての生き物が生き残るために、先住民族を尊重し、弱者を保護し、環境保全のための政策を取らなければなりません。といった自然保護活動家として、まっとうな警告をして、これまたスタンディングオベーションを受けていた。
またドキュメンタリーショートフイルムでは、パキスタンの「A GIRL IN THE RIVER」が受賞した。二度目の受賞になる女性監督SHARMEEN OBAID CHINOY シャ―メン オバイド チノイは、若い女性がシャリアローと呼ばれ、名誉殺人といわれる慣習によって殺されている現実を告発した作品をフイルムにした。パキスタンなどモスリムの一部の地域では、女性が親の決めた結婚に逆らったり、身分違いの男に恋をしたりすると、その女性の兄弟や父親が、当の娘を殺すことが名誉とされる宗教的慣習がある。パキスタンでは毎年1000人余りの女性がこの名誉殺人で処刑されている。監督は受賞の檀上スピーチで、「今年パキスタン政府は、やっと名誉殺人が違法であることを正式に認めた。フイルムのパワーがこうした動きに通じていると考えると嬉しい。」と述べた。
このようにアカデミー賞も今年は、かなり辛口で告発型、政治色の強い、社会性のある賞になったことは、良い事だと思う。単なるお祭りではなく、考えるための集いになったことは、フイルムの本来の目的に沿ったことであるからだ。
ストーリー
1944年10月 アウシュビッツ ビルケナウ収容所
サウルはハンガリアのユダヤ人で、アウシュビッツに捕らわれ、同じユダヤ人が殺されたその死体を処理するゾンダーコマンドと呼ばれる特殊班で働かされていた。班の囚人たちは、自分たちも数か月後には、処理される側に送られることを知っていた。
列車で次々と収容所に送られてきた人々に、熱いシャワーを浴びると偽って、衣服を脱がせると、ガス室に閉じ込める。そこがシャワー室でないと悟った人々が、逃げ出そうとして騒ぎ出し、室内は怒号と泣き声で、阿鼻叫喚の様相となる。しかしサウルたちは淡々と、人々が残していった衣類や宝石や時計、財布などを仕分けていく。 それが終わった頃には、ガス室を開け、死体を積み重ねて運び出し、汚物と血で汚れた床を洗い流す。運び出された死体は積み重ねられ、ガソリンで焼かれ、灰は川に捨てられる。休む時間などない。ゾンダ―コマンドは、てきぱきとドイツ兵に命令されるまま仕事をする。
ある日、ガス室で沢山の死体が折り重なっているなかで、一人の少年が奇跡的に生き残っている姿が発見された。少年はすぐにドイツ衛生兵によって窒息死させられ、解剖に回された。それは15歳のサウルの息子だった。
ユダヤ教では死体は火葬しない。燃えて身体がなくなったら魂がよみがえって再生することができない。サウルはせめて自分の息子だけは土葬してやりたいと願う。サウルは解剖を終えた同じユダヤ人の医師に、死体を自分のために確保しておいてほしいと頼み込む。次にラビを探さなければならない。ラビの祈りとともに埋葬したい。
サウルは仲間たちからラビが他のゾンダーコマンドにいることを知らされる。サウルはそのゾンダーコマンドに潜入してラビを探し出す。ついに見つけ出して息子のために祈りを捧げてほしいと頼み込むが、それをラビは拒否する。それでも食い下がるサウルから逃れようとしてラビは、とっさに川に落ちて投身自殺しようとする。サウルは川からラビを救い引き上げたが、ラビはドイツ兵により銃殺されサウルは生き残った。
サウルは息子の死体を自分のベッドに運んできて横たえる。必死でラビを探すことを諦めない。一方で仲間たちの間では、脱獄計画が進行していた。サウルは女子房から、銃に詰める火薬を受け取りにいく任務を指示される。極秘に首尾よくサウルは火薬を手にするが、帰りに新しいユダヤ人たちが列車で到着し、彼らが駅に着くなり銃で殺される現場に居合わせた。銃から逃れようと人々が右往左往する大混乱のなかでサウルはラビを見つけ出す。サウルはラビを自分の部屋に連れて来て、ひげを剃り、自分の囚人服を与え、ゾンダーコマンドの一員に仕立て上げる。
とうとう翌日にはサウルのゾンダーコマンドが、今度は処分されるという情報が入った。時間がない。脱獄計画は突然現実のもにとなった。反乱は一瞬のうちに始まる。圧倒的多数のユダヤ人囚人に比べてドイツ監視兵の数は限られている。サウルは息子を肩に背負いながら、ラビを連れて逃亡に成功し、他の仲間たちと、森に逃げ込む。森で息子を埋めようとして、サウルは今まで自分の体を盾にして、その命を守って来たラビが、偽物ラビだったことを知らされる。ドイツ軍の追手が迫っている。サウルは埋葬することを諦めて、遺体を背負って川に飛び込む。しかし急流に飲まれてサウルは、息子の遺体を手放してしまう。溺れているところを仲間に救い出されて、向こう岸に着いた。十数人の生き残った仲間と共に、山小屋で休息を取る。脱獄計画のリーダーは、森の中でポーランドのレジスタンスに合流する計画でいた。しかし、みな疲れ切っていて、しばらくは動けない。そんな囚人たちを、ひとりの近所の農家に住む少年が、不思議そうに眺めている。サウルは少年を前にして、そこに自分の息子がよみがえって目の前に立っているように思えた。息子は生き返って自分の前に立っている。息子の邪鬼のない目で見つめられて、サウルは自分の心が休まる思いだった。息子は殺されたり焼かれたりせずに、自分の前にいるではないか。
しかし、その山小屋はすでにドイツ兵に囲まれていて、、、。
というお話。
人は悲しいとき言葉を失う。
極端に会話というもののない映画。あるのは音だけだ。鉄格子の錠が下りる金属音。収容所のサイレン。銃弾の音。軍靴の音。ドイツ兵の短い命令、血で汚れた床を洗うブラシの音。断末魔の悲鳴。絶望したすすり泣き。何百人の人々が映し出されて、生と死のドラマが進行しているにもかかわらず、人の会話、人と人が話す音が全く失われていることの恐怖。
この恐怖感と、極度の緊張が、映画が始まってから終わる瞬間までずっと続く。
カメラが焦点を合わせるのは大写しになったサウルの顔だけ。でもそのサウルの後ろでたくさんの、もうたくさんの数えきれない死体が折り重なっていて、それが処分されていく様子が、焦点のないぼやけた背景として映し出されている。
ぼやけている背景が本当に事実だったことで、焦点の当たっている男の顔の方が抽象だ。
背景の焦点をぼかすことによって、より強い事実を表現している。なぜなら、ぼやけた背景では一体どんなことが行われているのか、何が起きているのか、わたしたちは想像力を駆使する必要もなく、事実として知っているからだ。600万人の声なき声を聴いているからだ。圧倒的な暴力の前に沈黙するほかはなかった人々の声が聞こえる。焦点を失ったぼやけたフイルムから、言葉のない人々の姿がはっきりと見える。
フイルムの訴えるパワーを再確認させられる映画だ。優性思想によって蹂躙された人々の沈黙の重さを噛みしめる。70年前にあったことだが、これからのことでもある。言論統制が始まっていて、ジャーナリズムがその機能を果たしていない。人々が沈黙に向かっている。この映画は、昔の話をしているのではない。
立派な映画だが・・・
人間にとって戦争程憎むべきものはないだろう。 世界中の何処の国に暮らす国民の誰に聞いても、戦争を好む人間はいないだろう。 しかし、人類史始まって以来、それ程誰もが嫌いで、望まない筈の戦争が終結した事はない。 必ずと言ってよい程、この地球の何処かのエリアでは戦争や内戦が起きている。 そんな状況下で、この「サウルの息子」もカンヌでグランプリを受賞し、オスカーの外国語映画賞も受賞した作品なので立派な作品なのだろう。 監督や制作者が意図するように、戦争の悲劇を描く事は後世の人々に、この愚かな行いを繰り返させない様に語り継ぐ為のツールとして、映画と言う素材を使って戦争の惨禍を伝えてゆく事は一番適した素材であり、効率の良い方法なのかも知れない。 それだからこそ、戦争映画の存在は必要不可欠として考えられ、制作されているのだろう。 だが、現在の私にはこう言う映画に感動し、高評価を付けると言う事は有り得ないだろう。昔なら星5でも喜んで付けたかも知れない。 今では私の心が石の様に堅くなってしまったのだろうか?全く感動はしないどころか、その逆で拒否反応しか起こらなくなってしまったのだ。 3度の飯より映画好きを自負する自分としては、一応話題作なので観たが、前半少し睡魔に襲われ意識が遠のいた。 多分、冒頭サウルが子供の遺体に纏わるシーンを見せ付けられたのと、次々とガス室に送り込まれるユダヤの人達へのナチスの「スープが冷めるから急げ」「コーヒーが~」と言うセリフが聴きたくなかった為か異常に眠かったのだ。 ゾンダーコマンドとして僅かでも生き延びなければならなかった人々がいたのは悲劇的史実であるし、そんな彼ら苦しみなど今更知らされてどうなるのだろうと思ってしまうからだ。 特に日本人の観客などは、ユダヤ教に詳しくないし、この作品の状況を正確に理解する事は一般人には難しい。そしてその事を真面目な日本人は不勉強と思ってしまう。その事を理解する事にどれ程の重要性が有るのだろうか? カメラの使い方を駆使し、色々な撮影方法を例え試みたところで、虐殺されたユダヤ人の悲劇を観客は頭では理解しても、その苦しみを知る事は出来ないだろう。 そして殺す側に立たされてしまったナチスの苦しみも理解する事は出来ない筈だ。 戦争映画は戦争の悲劇的なエピソードを幾つも幾つも手を変え、品を変え延々と作り続けているが、戦争になってしまった背景や、その当時の世界の政治が戦争を勃発する様になるまでにはどのような道筋が有り、その時代に生きていた人々がどのような心の葛藤を抱いていたか描いている作品は非常に少ない。 世界経済の不均衡であるとか、エネルギー資源供給の不均衡等の様々な事情に因り、戦争が始まりに至る迄の理由や過程を詳細に描き、反省や過ち見つけ出し、その悲劇を繰り返さない為、未来に建設的なメッセージを描いている作品は極めて少ないと思う。本作も立派な作品かも知れないが、戦争は、勝っても負けても、どちらも被害者で有る。戦争を始める国も悲劇!売られた戦争を交戦しなくてはならない方もどちらも同じように悲劇には相異がないのだ。この映画を観て貴方は何を理解し、今後に生かすのだろうか?とても興味深い。
好むと好まざるに関わらず、観ておきたい作品
ホロコーストと言えばビクトル・フランクルの「夜と霧」を通じて知りましたが、この作品を観てその残虐性を改めて実感(というよりは実体験に近い)しました。カメラワークが独特で、息が詰まりそうになる程の臨場感。再び観たいとは思いませんが、観ておくべき作品と思いました。
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