映画 聲の形のレビュー・感想・評価
全112件中、61~80件目を表示
人と逆の事を言いたがるタイプの人が好みそうな映画
ネットで聲の形を推している人の意見を見ると「聴覚障害者がヒロインだけどそれだけの作品じゃない」と必ず言いますが、だったら何故タイトルを、「聾唖」から「聾」の字を取って「声」と読ませて「聲の形」なんていうあざとい物にしたのか?答えは障害者で関心を引きたかったからです。それ以外はありません。もし硝子が登場していなければ映画化なんてされるはずもない、箸にも棒にも掛からない作品である事は誰もが同意せざるを得ない事実ですから。この作品では聴覚障害者、硝子は客寄せパンダなのです。
そして聴覚障害者、硝子は昔虐めた主人公も惚れるほどの見た目は完璧な超絶美少女であり、性格も最高に良く、完全に無垢な被害者としての障害者というTHE・ステレオタイプな障害者ヒロインであり、感動ポルノで金を稼ぐ事で有名な日テレの24時間テレビと同じスタンスでしかありません。子供の頃に見たドラマの主題歌の「青いウサギ~」という歌が頭に過ぎりました。見ながら何度も「何故こんなレベルの物を今更出すのか?」と疑念が湧き、「もしかしたら失敗だったかも...」と思い始めました。そして案の定、イジメ、自殺、植物状態、泣きながら大声で喚くという、恥も外聞もないセンセーショナリズムの嵐です。結局最後まで何が言いたいか解らず、中学生日記のアニメ化と言えば中学生日記に失礼なほど、全く低レベルでした...。
ちなみに去年「ギャングスタ」という、聾唖の主人公(ギャング街の何でも屋)が驚異的な身体能力で敵対するギャングを殺しまくるという作品があったのですが、この作品では主人公は聞こえないから話し方も硝子同様、聾唖者独特の聞き取りにくい物だったりするし電話は取れないけれど、味方が後ろから肩越しに敵を撃てる(聞こえないから)という障害者の長所短所をさり気なくバリアフリーに描いていて障害者を物語に使うなら今時これくらいのセンスが欲しいという見本のような作品でした。
しかし「聲の形」では聾唖のヒロインが常に悪目立ちしていて見せ物小屋のように「可哀想な人」という札を付けられ並べられています。泣きながら不自由な言葉で絶叫するシーンもあり、本当にこれほどなりふり構わず下品なお涙頂戴を実現した作品は滅多に見ません。見ずに批判するのではなく、実際に見て、レベルが低い作品だと自分の目で確認出来たという意味では見に行ったのは無駄ではなかったですね。
この映画を推してる人は「自分には君の名は。は合わなかった。聲の形の方が面白かった」などとしたり顔で言いたがるタイプが多いですよね。個人的には辞書の「感動ポルノ」の項目に是非この映画を載せてもらいたいと思います。
身近に障がい者がいるわけでも無いのに心に響いた理由
ヒロインの西宮さんのような性格の人は健常者でもいるだろう。
水をかけられたり、所有物を壊されたりしても、
その人に嫌われたくない。憎めなくい。優しく接したい。
だからその人の机が、誰かに汚されていたら消してあげたい。
その人が傷ついているのなら助けてあげたい。
でもその優しさが、結局その人を傷つけて、そして自分も傷ついてしまう。
そんな自分が嫌になってさらに苦しくなる。
ヒロインの耳が聴こえないことでからかわれて、
いじめという大問題に発展してしまうけれど、
それが人々を結び付ける大きな鍵になる。
自分と、その周りの人たちの理解があれば鍵は開けられて仲良くなれる。
そういう意味では、障がいと向き合うことと、恋愛と向き合うことは同じようなものなのかもしれない。
聾者への理解を深められることに加えて、
生きることについて大衆へ訴えかけるテーマになっているからこそ、
この映画はさまざまな人をとりこにできたのだろう。
もう一度見たくなる
原作を少年誌で時々拝見していたため訪れました。
とにかくキャラクターの心情描写が素晴らしく、開幕10分で号泣。
小学生つまり幼いからこその過ちに主人公が気づくシーン、母親の愛情があらわれるシーンをみて更に号泣。
聴覚障害をテーマにしているからなのか、イジメという言葉を出さずとも観客に伝わる描写があったり死んだ動物の写真を部屋中に貼っていたり(見所はなぜそんな写真を貼っているか)など、観客がどれだけ作品を「ミテ」いるかで作品に対する理解度が変わるなぁと思いました。これからこの作品をみる方には映像の隅々までみてこの作品の良さを感じて頂きたいですね。
そして1番同情したのは植野。彼女の行動は間違っているが、気持ちは理解できるので嫌いにはなれないキャラクターです。
また、映画では深く描かれていないシーンを見て、あぁ原作では実はあんなことがあったんだよなと回想し、またホロリ。
「君の名は」より感情移入できるのは登場回数の少ない登場人物でも、個性がしっかり描かれているからです。
私は断然「君の名は」より「聲の形」派ですね。もっと売れるべき作品です。大好きです、ありがとうございました。
しょうこちゃんが可愛い。以上。
見た時の感想は、うん、まぁ面白かった。しょうこちゃんくっそ可愛いでした。
でもそれだけ。
テーマも良かったし、流れも悪くなかったですが、ありきたりの展開で、登場人物みんな人が良すぎたのが、ひねくれた自分にはマッチしなかったのかなぁ。
ってか、しょうやののこと散々いじめといて、高校になったら、あの時はごめんねーで許せるか?確かに自分が悪いとは思うだろうけど、俺なら無理。
しょうやのしょうこちゃんに対する贖罪は自分としては納得できたし、そこには異性として好きって気持ちは少なからずあったのかなぁと。じゃなきゃあそこまでは頑張れんなと。
とまぁ、割としょうやとしょうこの恋愛が軸で、それ以外の部分がスパイスだと思っていたわけなんですが、終わり方がしょうやくん、自責の念から救われエンドってだけで、え、しょうこちゃんは?しょうこちゃんはー??となったしょうこちゃん大好きな俺はカタルシスを得ることができず、もう一つ伸びなかったです。恋愛の伏線あんだけ張ったんだから回収してよ〜笑
恋愛映画のテイストがある自己開放の映画なのかな。終わりがイマイチだったのでこの点数で。
重く苦しいテーマ
映画を鑑賞した後に原作を読みました。
その後のレビューです。
尺がありますから端折るのは仕方ありませんが、物語の流れは大体詰め込まれていました。
鑑賞して思ったことは、消化不良。登場人物が自分のしてきたことについてもう少し悔いて改める描写があってもよかったのでは?ということです。しかし原作を読んでみると消化不良具合は大差ありません。むしろあと一冊は描けたはず、と感じました。
しかし描ききってしまうと複雑な(というか複雑すぎる)人間関係が見所の1つであるこの作品が、ただの仲良しグループが仲良くするだけの作品になってしまうと思いました。彼、彼女らの多くは思春期。いつでもどこでも親や他人を思いやることは難しいでしょう。
他人を傷付けていることに気付かず最後まで自分が川井いだけの人。
小学校から主人公をイジメ、中学校でも主人公を孤立させた幼馴染。まぁ、命の恩人っちゃ恩人。
嵐のような女。
人を見下す為に教師を志す他人様。
保身教師。
様々な登場人物がいましたが、大人になり(教師は更に歳をとり)どのような人生を歩んでいくのか?エンディングは私達一人ひとりが作ってもいいのだな、と感じました。
ギクリとする…
この映画はイジメから始まる2人の男女の話し。
観ての感想は、川井という女の子が1番嫌いだった。それはどういうことかと考えると、もしかしたら傍観者とは主犯者よりも残酷なのかもしれないと思った。作中での傍観者・川井は自分では直接手を出さなくとも時に自分を擁護し被害者を演じ、周りを味方につけ対象を攻撃する。耳の聞こえない女の子・西宮が悲劇のヒロイン気取りかと言われるシーンがあるが、まさに川井こそが悲劇のヒロイン気取りだと思った。
強く言い過ぎたかもしれないが、この作品で1番感じられたことです。
心が深く動かされる傑作
映画を観てから原作を読んで、もう一度観ました。そして、紛れもない傑作だと感じました。
原作が大変濃いためさすがにキャラを完全に描ききれませんが、十分伝わる描写だと思いました。
(ただし、硝子ママと真柴は除く。原作の硝子ママと鬼畜元ダンナ一家とのエピソードはなんとかねじ込んで欲しかった)
石田も硝子も自分のせいで、と自分を責めてしまい、そこから中々逃れられない。でも、この自責ってひとりよがりで、自己否定してるだけ。過去と自分にばかりに気持ちが向いて、基本前に進まないです。
石田は手話をマスターするなど、硝子を想い行動しており、それは前に進めています。が、根本では自分が悪い、アイツを(みんなを)傷つけた、だから自分は幸せに生きる価値のない人間だと信じている。
硝子に至っては障害と母親との関係によって、石田以上に根深く自尊心が低い。自分が周囲に災厄をもたらしていると思い込んでいる。悲しすぎるよね、自己肯定なんて出来るわけない。
そんな風に「どうせ自分なんて…」って気持ち囚われているが故に、相手を想っていても、最終的には相手に気持ちが向けられないのだ。だから決定的にクラッシュしちゃうんだと思います。橋の上のシーンとか、花火大会のシーンとか。
でも、気持ちが自分から他者に向くと、大きな変化が起こり得る。友だちとの情緒的なつながり(永束とか佐原ちゃんとかユズルとか)が少しずつ進んでいき、その下準備はできていたけど、変化のトリガーは転落事故でしょう。
事故をきっかけに2人は互いに想い合えるようになったように見えます。やはり、あの事故で自己嫌悪に囚われていた2人は象徴的に死に、生まれ変わったのだと思いました。
2人の口ぐせ(?)の「ごめんなさい」ですが、転落事故の前後で意味が違ってきます。以前は自分を卑下したりごまかしたりする言葉でした。しかし、事故以後は互いに未来を創るための過去の総括としての「ごめんなさい」になったように感じました。気持ちの向き方が過去から未来、自分から他者にシフトできたのです。だから石田は「生きるのを手伝ってくれないか」と言えたのではないでしょうか。ここは本当に感動しましたね!
植野も罪悪感と後悔を感じているけど、自責ではなくなんとか打破しようともがいているように見えました。でも、衝動的だからなかなか上手くいかない。
植野は彼女なりに硝子とガチで向かい合おうとしているため、酷い感じだけど硝子にとっては嬉しいんでしょうね。植野の粗っぽいけど誠実な姿勢は胸を打たれました。植野キュートです!
原作既読者にとっては不意打ちであるラストの手話での「バカ」のやりとりは幸福すぎてウルっときました。ノーサイドって感じで、サラッとだけど本当に感動的なシーンだった。
序盤のいじめ描写はキツかった!だが、リアルなので目を逸らせない。
確かに、やったことは自分に返ってくる、はその通り。でも、教師の態度が事態の最悪さに拍車を掛けている。
あいつの態度で石田の自尊心は決定的に傷つき、さらにいじめの連鎖が起きてしまった。友情も壊れ、植野も罪悪感を抱えて生きるハメになってしまった。あの態度にはひどくムカついたし、すごく考えさせられました。
他のレビュアーさんが書いていらっしゃいましたが、教師や親にこそ観てほしい映画です。
サブキャラは川井以外魅力的に感じましたが、特に佐原ちゃんが最高だった!
原作よりも元気で明るい印象。カラオケのシーンは原作より良かった。
石田ママと西宮グランマもしなやかで本当に強い大人って感じで素敵だった。
aiko師匠のエンディングテーマも相変わらずの感じながらも(笑)、グッときました。
素晴らしいタイトルだと思う。
見ながら色んな事を思った。
聾唖の人とは直接な関わりが無いが、障害を持つ人と関わる仕事を長く続けているから。
その人たちは自分の気持ちを伝えるのが少し困難で、人の気持ちを理解するのも少し難しい。
共に町の中を歩いたり、商店に行くと初めて障害者を見たかの様に奇異の目で見ている人たちも少なからずいる。
物事の分別がついた大人でもそうなのだから、小学生ならそんな事は説明するまでもないだろう。
「いじめ」や「障害」をテーマにしているのでポップな学生生活が描かれているわけでもない。
しかし製作者の人の姿勢や気持ちが描かれているのは良いと思った。
他のレビューで「美男、美女が描かれているのはおかしい」や「いじめられた相手になぜ恋をするのか?」と書かれていたが、見ていて違和感は感じなかった。
それは主人公の石田の心の動きが描かれているから、しっかりと人間として描かれていたからだ。
それに顔にバッテンを付ける斬新な演出も面白かった。なるほどねと。
妹ゆずるの存在も非常に良いアクセントになっていたし、キャラとしても好感を持てた。一番好きなキャラクターかもw
花火の日の出来事は個人的には共感は出来ないが、本人にしかわからない辛さや苦しさがあり、健常者がどれほど優しい言葉をかけても慰めの言葉をかけても無くなりはしないのかな?と感じた。
最後に大好きなaikoの曲が流れるがとてもなめらかに耳に入ってきて心地いい歌でした。歌詞は少し違うかな?と思ったけど。
タイトルの「聾の形」と言う秀逸さには驚いた。作品を見終わってから思ったが、「音」ではなく「声」というのは人間の口からしか出ない物だから、、、、。それは尖っていたり、丸みを帯びて人を包み込んだり色々な形があると。
これから生まれてくる子供にどうか人を傷つけない丸い「こえ」の話し方を、出し方を教えないと、、、、。
そしてこれを見た多くの人が少しでも「障害」のある人に興味をもってもらえますように。
PS.恋愛映画です的な予告編はやめて欲しいなw
学生もカップルももちろん観に行くのは良いんだけど、(バカな)女子高生が上映中にパンの袋をガチャガチャとずっとやってるんで優しい「こえ」で注意しちゃいましたよwったく
私には受け入れられない
もう全てにおいて私には受け入れられない作品。
何故かというのはおいておいて、どのような人が向いてないかと言うと、硬派で生活を愛し、観るものに対してある程度疑い深い人には向いてないと思う。
女性が作ったっぽい映画。ヒステリックでついていけない。考えが偏った人が作った映画。
数少ない"覚悟を持った"作品。
人が人を理解するのには限界はないのか?
絶賛コメントではありません。
でも、原作者:大今 良時せんせにとっては、議論が多方向に広がることこそが意義とされていると推察し、劇場公開中作品は悪く言わない!の自己ルールを破って書きます。
あ、大今せんせも、「絶賛コメントより、批判コメントの方が分かりやすくて気持ちが良い!」
と仰ってますし。
宜しくお願いいたします。
(あらすじ)
ガキ大将的な存在の小学六年生:石田将也は、転校生の西宮硝子に興味を持つ。最初はからかう程度だった将也のいたずらが、だんだんと硝子の障がい(聴覚障がい)に及び、周りの生徒達も加わって、集団的な"いじめ"に発展する。しかしある事件をきっかけに、硝子は転校。そしていじめの対象は、将也に向けられる。
数年後、高校生になった将也は硝子に償う決心をして、手話教室へ向かう。そこにいる、硝子へ会う為に。
原作の漫画は、色んな賞を受賞しているのですね!
すみません。未読です。
凄く勇気のある描き方をしていると思った反面、将也が硝子をいじめたのは(原作は分かりませんが)"障がい者"だったからか、好きな子をいじめるという"反動形成的な男子の心理" だったのか、ふわっとしているとことか(そこをふわっと描くなら、硝子を障がい者という設定にする必要がなくないか?)、また、いじめの加害者である将也を、被害者である硝子が許す大きな原動力が"異性として好き"でいいもんなのか。
硝子が"好き"に辿り着くまでの心の変化が、ちょっと分からなかったですね。
好きな男子になら、何されても許せる!って女子の心理は否定しませんが、やはり硝子を障がい者という設定にする意味がない上に、テーマがぼやけてくるように思えます。
いじめの被害者が加害者を好きになるまでの過程を、あまりにも"胸きゅん"気味に描いていて、"好き"で全てを丸く収め過ぎな感じもしました。
ちょっと、もろもろ疑問が残ったのは、"好き"の熱量がかなり減少した、おばちゃんの私だからだと思います。すみません。
その中で凄く勇気のある描き方だと思ったのは、将也と硝子のクラスメイトの植野直花の存在です。
直花は硝子が嫌いと言い、はっきりとそれを本人に伝えます。最初は将也が硝子に好意を持ってることに対する嫉妬のように思えますが、後半はっきりと、それだけではない理由を言います。
「(硝子が)私達を理解しようとしないから」と。
「私達(直花他クラスメイト)も硝子を理解しようとしてなかったかも知れないけど、あんたもしてなかったじゃん。将也のすること、私達のすることに、全く意見を言わなかった」
つまり、自分を理解して貰う努力はしたの?って。
障がい者は理解されて当たり前の存在ではない。
そして当初は硝子に好意的だった直花が、なぜ態度を変えたのか語ります。
ちょっとびっくりしました。あまりない、描き方だったので。
でもよくよく考えたら、障がい者は弱くて、こちら側から歩みよってあげなくてはいけない存在ではないんだ。
直花は鋭い言葉を硝子に投げつけますが、唯一、硝子を対等に見ているんですよね。
冒頭に議論が多方面に広がることを、原作者は望んでいる。と書いたのは、この直花の存在からです。
他にも優等生:川井 みき、唯一、硝子を庇ってよい子ちゃんのレッテルを貼られ不登校になった:佐原 みよこなど、色んな視点からの思いが交差する。
本作が、一方向に感情を流そうとする感動物ではないことが、よく分かります。素晴らしいと思います。
あと、もう一人。硝子の妹の存在。
表面的には、純粋無垢な硝子に見えます。
周りに責められても「ごめんなさい」を繰り返す硝子は、とても健気で、控えめで、多くの人が受け入れやすい"障がい者像"ではないかと思います。
だから、こういう障がい者の描かれ方、もの凄く多いですよね。
けれど、本作は違います。
妹:結絃は、男の子の格好をして、中学校にも行っていません。
常に姉の傍にいて、姉が危険なことをしないか、誰かに傷つけられないか監視しています。
そしてカメラを首にかけ、動物の死骸を撮り続ける。それは、姉へのメッセージです。
「死ぬな」と。
この、姉の為に"自分の人生を捨てている"妹の存在が、硝子が単なる純粋無垢な少女ではないことを証明している。
自分勝手で、傲慢な、自分の痛みだけに閉じ籠もる、硝子の姿が見えてくる。
この描き方は、凄く上手いなぁと感心しました。
以前「マルガリータで乾杯を」という映画で、自由奔放(実際は違う)な主人公に対してまるで「障がい者は控えめに生きろ」とでもいうような批判的な感想を見て、ぞっとしたもんです。
個人的には、恋愛要素はあまり膨らませるべきではなかったように思います。
そして、冒頭にも書きましたが、もっと人と人が理解する"限界"を描いて欲しかった。
分かり合えない関係だって、いいじゃない。
でも、自分だったら、あのクラスでどうしたか?
自分だったら……、と観客に思わせたら、大成功ですよね。
傑作という評価が散見されますが、私は本作を「数少ない"覚悟"を持った作品」だと感じました。
全力で、オススメします。
形容し難い
感動した。
喋らない主人公がもどかしく伝えようとする言葉とは裏腹に、自分に対峙し、赦し、生きようとする主人公の感情が突き刺さる。
漫画にも驚いたが、アニメになった事に、凄く驚いた。
…そして、観終わって更に驚いた。
アニメはこんな事も出来るのかと。
無音の間が、なんと雄弁に語りかけるのだろうか?
その仕草や、表情など…実写にさえ出せないニュアンスじゃないのか?
死を平然と受け入れている高校生の絶望感をあんな日常に落とし込めるものなのか。
声優の奏でる台詞もさる事ながら、絵としての表現力が素晴らしく…いや、それはそのまま原作者の力量と作監のセンスの賜物ではあるのだが、見事なのである。
お願いだから、実写映画化とかの悪しき流れに乗りませんように!!
それほど完成された見事な作品だった。
突き刺さる程の棘を提示し、力技でもなんでも向き合わせる。
だけど、それだけでは終わらない。
苦悩し、足掻き、縺れて、ぶつかって。
でも、そこに止まりはしない。
逃げ込まない限り、変化は起こり続ける。
だから、恐れるな。
そう言われてるような気がした。
ガラスよりも脆い、10代の感受性が尊いものに思えた。
思いこまない思いつめない。
京都アニメーションの作品を初めて観たが確かによく出来ている。
私には若干白っぽい色合いで(目が悪いのでゴメンね)観辛い箇所
もあったが概ね柔らかい画の中で繰り広げられる話はかなり重い。
イジメていた少年が、突然手のひら返しに遭い、孤立を深めた後
自殺まで考えたりする冒頭。キツイな~この話。と思い観始めて
からも精神的にヘビーな状態が続く。そもそも根から腐っている
奴なら反省などしないし、その子の元へ謝りにも行かないだろう。
無邪気では済まない悪戯が度を超え、親を巻き込んでからやっと
償いに目覚めるのも少年ならでは。こんな歳になってから観ると、
子供の頃は喧嘩やイジメをどんな風に捉えていたか考えてしまう。
主人公は実は腐った悪ガキというより、どちらかというと素直で
優しい男の子だった。イジメていた女子に謝りに行き友達になり
たいとパンを片手に右往左往する(爆)その姿は可愛い。付き合い
が始まり、互いの手話で話す様子も思い切って声を出すところも
あぁ青春~という感じで微笑ましい。周囲のキャラも多岐に渡り、
あ~いるいる、こういう子というのがリアルで、癒しにも毒にも
なる性格の違いが非常に分かりやすい。しかし現代の若者たちは
友達1人作るのがこんなに大変なの?作るのに定義が必要なんて。
単なるラブストーリーでなくあらゆる事象を群像劇化したことで
主人公の家族や友人の立場、想いが深く読めることから傷ついて
死を選ぼうとする心の歪みが理解できてくる。そんな選択をする
のは、まだその先の人生が何も見えていないからだけど、今から
自分で前に引き寄せてんじゃないよ!と引っ叩いてやりたくなる
危うさの先に素敵な未来が待っていることをオバサンは知ってる。
(孤独のススメ。孤独と孤立は別物。自分を客観視する場は必要)
人にとって、強さってなんだろう…
友人に「君の名は」が良いと勧められ、上映スケジュールを見てたら、たまたま「聲の形」に目が止まり、これもたまたま、ボランティアで手話のサークルに行こうと思っていた所だったので運命的なものを感じ、こちらの作品を視聴しました。
あらすじ
主人公の将也も恐らく母子家庭で心に引け目を感じていて、それを強がっていた所に、自らの欠点(小学生にとっては)を物ともせず、周りと関わろうとする硝子が凄いと思ったものの、負けたと認めることが出来ずちょっかい出してしまう。
人にとって強さとは、現実をありのままに受け取り、そこから動き出すことなんじゃないかなと感じた。
どんな後悔も、後悔しているだけでは始まらず、今の自分に出来ることを出来る範囲で行うことで、確実に未来は繋がっ
いく。
聴こえないけど、心の声が聞こえる硝子
聴こえるけど、心の声を聞こうとしない将也
互いの弱さと強さに惹かれあった2人
感情の歪み、流れが難しい
原作知らずに鑑賞しました。ハンディキャップ、いじめ、友人関係、学生達のまだ甘い考えなどうまく描かれていたと思いますが、八方美人の女の子の最後は、千羽鶴が集まらない=信用がないと思われてると感じ取るのは難しいのでは。ハンディキャップの子の自殺も告白からの流れで自分がいる事で好きなひとに迷惑をかけるというのが上手く描かれていないような気がしました。風景の描写、主人公の周りの顔を見なくなってしまった事、楽しくなったり、やっぱり自分はダメだと思ったりするのは上手く描かれているなと思いました。同時上映している君の名は。と同じくアニメなので比べる人が多いですが、ベクトルが違う作品だと思います。
かなりの良作
原作読破済み
原作に沿った内容ながら、やはり映画と言う短時間にまとめる為、原作エピソードの1部を大胆に抜いてはいますが、原作の雰囲気や流れを損なわず、キャラクターのそれぞれの心情を上手くまとめあげてあり、色鮮やかな青春の物語を見れる中々の良作と言えるでしょう。
原作を知る人も知らない人も楽しめる、原作とはまた違う、聲の形という作品を楽しめる映画になっていたと思います。 見た後に原作を読み返すのも色々と違いや思いを巡らせられて楽しいですよー。
ただ、入れて欲しかったとこが抜かれてたので星4で!
京アニってすげえなー
マガジンの原作、毎週読んでた。原作読まないと分からないシーンもあるだろうけど、なんかこう……いちいち登場人物がかわいく描かれている。スーパーウルトラ美少女でしょう。こんな娘いたら普通でいられるか? いられないでしょ?
どうしても硝子を守りたいっていう原作の思い、伝わった。京都アニメーションにはとにかく感謝だー
原作既読者も未読者も
原作大好きな私ですが1つの映画としてかなり楽しめました。
原作既読者からは削られている部分が不満との声も多いですが未読者からすれば全体的に違和感を覚える箇所も少なく観れると思います。
ただ原作と比べるとしょうこの告白の脈絡がない点とおばあちゃんからの手紙のシーン、しょうこの母が夫両親から攻められる回想シーンがないこと、真柴が薄すぎること、などは気になりました。
声優については小学生時代の男子が軒並み聴いていて嫌な印象でした。
全112件中、61~80件目を表示