「聞こえていても見えない世界がある。見えていても聞こえない世界がある。」映画 聲の形 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
聞こえていても見えない世界がある。見えていても聞こえない世界がある。
人間が相手と深く知り合い仲良くする。
その関係を続けて行くには、見ないふりをしたり、
聞かないふりをしたり、
言わずに胸にしまったりして、自然と互いの距離を測っている。
それがバランスを保ち、立ち入らない部分を持つことで
仲良くを持続できる。
小学生にそんな芸当(計算や処世術)が出来るだろうか?
出来る訳がない。
石田将也(しょうや)は人一倍元気でお調子者で天真爛漫な少年だった。
人気者の将也の立場が変わったのは、
耳の聞こえない少女・西宮硝子(しようこ)が転勤してきたことに始まる。
将也には硝子が、ただただ珍しかった。
筆談する硝子も、硝子の耳に嵌めてる補聴器も、
何もかもが、もの珍しく新鮮だった。
補聴器を取り上げて窓から捨てたのはやり過ぎ!!
そこで硝子が泣き叫び騒げば良かった。
我慢したのが結果的に良くなかった。
補聴器を盗られる・・・それがどれほどの酷いことか?
誰も教えてくれない。
硝子の母親が職員室に電話してきて、先生に訴える。
その結果として、将也の母親は大金を銀行から降ろして
弁償する。
将也の虐めは、皆に知られて「いじめっ子」の烙印を押される。
ここで加害者が将也1人とは考え難いです。
囃し立てた者、止めなかった者、知らんぷりした者、
本気で抵抗しなかった硝子。
ひとりで虐めは成り立たない!!
しかし将也は結果的にたった一人で硝子イジメの責任を負います。
女子だって陰湿だった。
「あなたが来てからクラスが変わった。もとに戻して!!」とまで言われる。
言葉の暴力が酷い。
中学生になる。
将也は入学早々にA君から、「石田は小学校の時、いじめっ子だったから、
気をつけろよ!!」
名指しされて中学生活は灰色の暗闇になる。
《友達の顔にバッテン印が付いている》
このシーンは強烈だ。
友達の顔も表情も読み取れない。
知らない人ばかりの中で、ひとりぼっちの将也。
しかし将也の後悔は、手話の勉強をする・・・
そんな形でいつか硝子に謝るために意志を伝えるために手話を
勉強する。
そして高校生になった将也は硝子に会いに行くのだ。
鯉にフランスパンを千切って餌にする庭園。
少しづつ声を出して話す硝子。
次第に心の通う2人。
いつしか無くてはならないかけがえのない人になって行く。
将也にもバッテンの取れた友達が増える。
そして小学校の友達との再会。
会話→ディスカッション→話せば話すほど遠くなる。
コミュニケーションの難しさ。
耳が聞こえても聞こえなくても、人と人が分かり合える事は難しい。
話せば話すほど傷つけてしまう。
自分は加害者だとは思いもしない者。
自分を正当化して理論武装して、他を攻める論客(女に多い)
ある言い争いから喧嘩になった日。
硝子は「自分のせいで喧嘩になる。悪いのは私が存在するから」
思い詰めた硝子は、花火を途中で切り上げた留守宅で、
ベランダから飛び降りて死のうとする。
それがとんでもない結果を招く。
それにしても丁寧に丁寧に会話を重ねて思考して塗り上げた映画でした。
心を閉ざしたのは将也。
孤独だったのは将也。
不甲斐ない自分を消そうとする硝子。
思春期の青少年の心のひだを丹念に細やかに描く名作です。
制作した京都アニメーションの代表作。
世界37の言語に翻訳されて輸出や配信されています。
2019年7月。
放火による火災で社員の多くが犠牲になる事件が起こりました。
本当に痛ましいです。
でも制作を再開して次々と新しい作品が生まれています。
亡くなった人たちの仕事は受け継がれ「京都アニメーションの魂」は
私たちの中に生きていきます。