「言葉を聲にする大切さ」映画 聲の形 KZKさんの映画レビュー(感想・評価)
言葉を聲にする大切さ
非常に面白かった。これだからアニメーション映画はますます大好きになってしまう。そんな作品である。
この作品のほぼ全ての登場人物が自分の気持ちを声にして表現ができない。また人の気持ちを声として聞かずにいる。だから幸せそうに見えるひともどこか寂しさをかんじ、うまくいかないものはどんどん下り坂を下ってしまっているわけだ。
主人公の石田は小学6年生の時にヒロインの西宮が難聴である事を理由に虐めを繰り返し、補聴器をいくつも壊すなどしてしまいには大きな事件となってしまう。
小さい苛めの間は周囲の友達、担任の先生も見て見ぬふりをしたり、虐めに加担する者もいた。
ただ大きな事件となった後は掌を返すように今度は周囲が石田を虐めるようになり、以後高校3年生になるまで石田は周囲の声を聞くことをやめ心を閉ざすことになる。
この小学生時代のパートが僕は特に好きだった。この時点で年齢は子供とは言え既に自分の気持ちを声にすることをやめ、相手の気持ちを声にして聞くことをやめてるんだよね。
なぜ虐めをするのか周囲は問うこともない。だから虐められたら佐原は休むことで逃げ、西宮は謝ることで逃げた。
また上野や西宮は当時から石田のことが好きだったのではないかと思う。でも自分の気持ちを声にして伝えることはしない。だから虐められても笑顔で交わしたり、一緒になって虐めることで気持ちを保っていたのではないか。
この気持ちを声にしない弊害ってのを凄く的確に描写されていて心に染みる。
それから6年後の高校生パートでは石田は周囲と関わらないことで平穏を保っていたが、永束と出会うことで気持ちを声にする大切さ、喜びを感じ出す。
その結果西宮と友達になる事ができるが、川井や上野などとぶつかり悩む。その結果西宮が自殺を図り石田が怪我を負うわけだ。
この声にした事で壁にぶつかるのもまたいい。人の気持ちを声として知ることはもちろんいいことばかりではない。それによって悩み、苦しむことも沢山ある。
だけど最後は再び理解しあえて終わるわけだ。
この気持ちを声にする大切さはここであろう。声にする時はやはり相手の気持ちが自然とこもる。
例えその言葉は否定的な意味を持つ言葉だとしても、発した相手は果たして本心なのか、逆に発してる本人の方が苦しんでいる場合もある。
だからこそ人は助け合い分かち合えるのであろう。
そして同時に気持ちを声にすることは相手に伝えることだけではなく、自分自身に本心を伝えてることでもある。
頭や心の中だけの言葉は自分自身でもそれが本心なのか、正しいのかどうか分からないこともある。
声にし、相手の反応で気づけることも沢山あるだろう。
そして最後に今まで周囲の声を聞くことをやめていた石田が声を聞く。そして涙する。
やはり人は1人では生きていくのは苦しいのだろう。人の声を心で聞くことで人と人との繋がりを感じたのではないか。
ここで作品としては終わるが石田はこの後は充実した生活をようやく送れるのではないか。それは自分だけが幸せなのではなく、周囲も幸せにする事ができる生活に。
今はいろんなコミニュケーションの取り方がある。
声にする、いわゆる会話以外にもメールやSNSこれもまた立派なコミニュケーションツールの一つだ。
これらを否定するつもりは全くないが、改めて気持ちを言葉にし、それを声にして伝える大切さを心から感じる事ができる。そんな温かい作品だった。