君はひとりじゃない : 映画評論・批評
2017年7月11日更新
2017年7月22日よりシネマート新宿、YEBISU GARDEN CINEMAほかにてロードショー
断絶した父と娘、そして死者との“つながり”を描く超自然的ヒューマン・ドラマ
ポーランドのマウゴジャタ・シュモフスカ監督が手がけたこの映画は、断絶した父と娘の物語だ。数ある親子関係の中でも何かと本音で向き合いづらい父と娘の接し方がややこしいことは、近作「ありがとう、トニ・エルドマン」でも面白おかしく描かれていた。ところが、この2作品は映像のスタイルもトーンもまったく違う。「ありがとう、トニ・エルドマン」の曲者ぶりはそうとうなものだったが、本作の独創性もそれとは異なるベクトルで突き抜けている。
一家の精神的支柱だった母を亡くして以来、メタボ体型である検察官の父は、仕事や食事を機械的にこなすだけの味気ない日々を繰り返している。一方、うら若き娘は摂食障害を患って痩せこけ、病院で風変わりなセラピーを受けるはめになる。生きる喜びも実感も欠落した彼らの日常描写から、家族の絆はとっくに切れていて、人間はしょせんひとりぼっちなのだというどうしようもない寂しさが伝わってくる。そんな父と娘の前に、やはり愛する者を失った過去を持つ中年の女性霊媒師が現れ、思いがけない救いの手を差し伸べる。
上の“霊媒師”という言葉に反応した人は勘が鋭い。まず冒頭にちょっとしたサプライズがある。川辺の木で首を吊って息絶えた男が、なぜか突然むくりと起き上がり、いずこへと歩き去って行くのだ。シュモフスカ監督はその後も幽霊をスクリーンに出現させるなど、随所にささやかな心霊描写を織り交ぜているのだが、これはホラー映画ではない。心と身体のバンスが崩れた生者とこの世をさまよう死者が共存する世界を、一度たりとも恐怖やショックを煽ることなく、超然とした眼差しで描いた感性が実にユニークだ。また本作には「ありがとう、トニ・エルドマン」とも異質なユーモアがあっけらかんとちりばめられ、不思議とあらゆる場面から目が離せない。
いくら物語が進んでも、親子の絆は切れっぱなしのままで、修復へのきっかけさえ見つからない。映画は奇妙な宙ぶらりん状態を保ちながら、ついに終盤に行き着くのだが、そこにあっと驚く瞬間が待ち受ける。そもそも人と人との絆なんて目には見えないのだから、切れているとか、もつれているとかは私たちが勝手に思い込んだに過ぎないのだ。しかしそんな見えない“心のつながり”の愛おしさや温もりを、それらしい演技や一切のセリフ抜きで映像化することなど可能なのだろうか。その答えは本作のラスト・シーンにある。信じがたいほど人間臭く滑稽で、なおかつ超自然的な神秘の美しさをも湛えたその瞬間を目撃し、鳥肌ものの感動に身震いするのは筆者だけではないだろう。
(高橋諭治)