「ラストシーンがとてもとても余韻の残る印象的な演出でした。」ブルーに生まれついて 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
ラストシーンがとてもとても余韻の残る印象的な演出でした。
伝説の白人ジャズマン、チェット・ベイカーの半生を描く映画です。いわゆる伝記映画というより、全力のトリビュートと受け取るべきでしょう。伝記映画がつまらなくなりがちな点として、その生涯をかいつまんで盛り込もうとするあまりに、内容が駆け足となり、希薄になってしまうこと。その点、本作はチェット・ベイカーが絶頂から再起不能に突き落とされて、這い上がっていく再起の物語として絞り込んでいるのです。しかも、自伝を知っている人ならお分りでしょうけど、本作には創作や脚色の部分が多いのです。でも史実の記録を律義になぞるよりも、ベイカーを素材にして、彼の持つどうしようもない「愛すべき弱さ」を浮かび描いたところが出色です。それは人間なら誰しも持ち得る内面であり、ドラマとして感情移入しやすいところ。
そんな本作は、問いかけてくるのです。なぜ彼の音楽に「ブルー」が生まれたのか。なぜだらしなく生きているのに、多くの聴衆を惑わしつつ、魅了されてしまうのか。それは、映像よりも本作で奏でられる彼の甘美で哀愁に満ちたなジャズで、静かに語られていくるでした。
さて、チェット・ベイカーは1950年代半ばにおいては時代の寵児とも目され、「ジャズ界のジェームズ・ディーン」とも形容されたスター。マイルス・ディビスをも凌ぐ人気を誇っていました。しかし、1950年代後半から1960年代にかけてヘロインに耽溺し、ドラッグ絡みのトラブルを頻繁に起こします。米国や公演先のイタリアなど複数の国で逮捕され、短期間ですが服役をしているところから本作は始まります。
その中性的なヴォーカルも人気があり、1954年にレコーディングされた「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」はチェットの代表曲の1つであり、同楽曲の代表的カヴァーの1つでもあります。このチェットの歌い方にジョアン・ジルベルトが影響され、ボサノヴァ誕生の一因となったと言われています。
さて本作の冒頭では、釈放されたベイカーが、往年の名ジャズクラブ「バードランド」で演奏するところが描かれます。聴衆にはなんとマイルス・ディビスがお忍びで聞いていました。マイルスは、彼の演奏を、「カネと女に媚びる音楽だ」と酷評するのです。そして直接ベイカーに、「修行して出直してこい」とつき放つのでした。確かにジャズの王道を極めたマイルスの攻撃的なジャズからすれば、ベイカーの甘ったるいジャズは、邪道に聞こえたはずです。また、ベイカーが白人だというだけで大衆的人気を獲得している状況を快く思ってもいなかったらしいのです。
但し、これは本作前半の重要な伏線となりました。後ほど述べるように、逆境から這い上がってきたベイカーは演奏が一変します。そして人間性そのものも。そんな彼の再起ライブを聴いたマイルスは高く評価して、それ以来、史実では仲も良かったと記録されています。
そんな絶頂期を迎えていたベイカーでしたが、ある夜麻薬の売人から暴行を受け、大切な前歯を失い、アゴの骨まで砕けて、医者から二度とトランペットが吹けないと告げられるほどの重傷を負ってしまいます。ベイカーは、キャリア終焉の危機に直面しますが、若き日のベイカーをテーマにした映画で妻役を演じた女優のジェーン(カルメン・イジョゴ)に支えられて再起へと向かうのです。その過程は、かなり過酷なものでした。当初は折れた前歯のあとから血のりが吹き出しているのに、それでも彼は、トランペットを放そうとしませんでした。当然生活も厳しくなっていき、ジェーンとともに場末の演奏場を回りながら、車で寝泊まりする放浪生活の日々を続けます。実家に一旦戻ったときなど、ガソリンスタンドでアルバイトまでやって日銭を稼いでいたのでした。ところがその病んだ魂と深い絶望が、マイルスに酷評された彼の甘ったるいだけの演奏が激変するのです。
再びレコーディングのチャンスを得たベイカーからは、唯一無二の甘く切ない歌声が歌い上げられ、哀愁に満ちたトランペットが奏でられるのでした。それはまさに、タイトるどおりのブルーが生まれた瞬間となったでした。しかし、スポットライトへ近づくほどベイカーが背負う影は濃くなっていきます。それは表現者の宿業のようなものでしょうか。
それでも、妊娠したジェーンとの愛に生きようと決意する彼に、音楽の神、いや悪魔が“待った”を仕掛けてくるのです。再起をかけた「バードランド」のライブ。マイルスも見守るなかで、忍び寄ってくる重圧、そして誘惑。果たしてベイカーは、愛するジェーンと固く約束したドラッグ抜きで、演奏に立ち向かっていけるのでしょうか。ラストシーンがとてもとても余韻の残る印象的な演出でした。
そんな揺れる天才プレーヤーの内面を描こうとしたのが、ロバート・バドロー監督。主演のイーサン・ホークととも熱狂的ベイカーファンを公言してきたそうです。だから全編に渡って、ベイカーへの愛おしさがヒシヒシと伝わってきました。
特に、ベイカーを演じるイーサン・ホークの悪戦苦闘にどっぷり期しようとする真摯な熱演が、かなりいいのです。普通の幸福を生きられない男。人間らしい弱さを抱えて、でも、闘わずにはいられない男。ホークは、その内面の震えを全身から絶えず発していたのでした。実際のベイカーのそれよりも若干細い歌声も、物語の内容と相まって、むしろ強い印象を残してくれました。実は演奏シーンは、吹替えでなく、半年の集中特訓でホーク本人が演奏している点にも好感が持てます。
ホークが体現する愛すべき弱さ、そして尋常ならざるエゴ。そこに惹き付けられて止まないペーソスが溢れていて、忘れられない作品となること請けあいです。