ブルーに生まれついて : 映画評論・批評
2016年11月15日更新
2016年11月26日よりBunkamuraル・シネマ、角川シネマ新宿ほかにてロードショー
伝説のトランぺッターの生涯、その闇に潜む孤独を不可解な謎のまま潔く提示
70年代にアルバム「チェット・ベイカー・シングス」が再発されて大ヒットし、チェット・ベイカーのブームと再評価が起こったのはよく憶えている。あの独特の中性的なヴォーカル、とりわけ「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は絶品だった。そして80年代末には、ブルース・ウェーバーのドキュメンタリー「レッツ・ゲット・ロスト」が公開され、アムステルダムのホテルから転落死した事実と相まって、この伝説的なトランぺッターの悲劇的な生涯は半ば神話化された気配がある。
この映画は、“ジャズ界のジェームズ・ディーン”と呼ばれた50年代の栄光の時代の回想に始まり、ドラッグに溺れた失意の日々から、60年代に自伝映画に出演するも麻薬の売人に顎を砕かれ、前歯をすべて破損するというミュージシャンとして致命的な暴行を受けたチェット・ベイカーが奇跡的なカムバックを遂げるまでを描いている。
イーサン・ホークの入魂の演技が素晴らしい。冒頭とラストで、ジャズクラブ「バードランド」でのライブシーンがあり、どちらにも登場する「金と女のために演奏する奴は信用できない」と罵倒するマイルス・デイヴィスは彼にとって畏怖すべき存在だった。ウエスト・コースト・ジャズの寵児でありながらも、マイルスのような時代を超越した天才にはなり得なかった根深いコンプレックスが彼を一生、支配したようにも見える。献身的に支えた恋人を裏切って、ふたたび麻薬に手を染め、見放される、自堕落で、脆弱なろくでなし。しかし、そんなチェット・ベイカーのトランペットには、帝王マイルスにはない比類ない憂愁と哀切な響きがあるのもたしかなのだ。映画はこの不遜で自己愛にまみれた芸術家を決してモラリスティックに断罪せず、その底なしの闇に潜む孤独を不可解な謎のままに提示している。そこが潔い。見終えると、「破滅の時にも静けさを」というゴッホの書簡の一節を思い起こさせる秀作である。
(高崎俊夫)