神様の思し召しのレビュー・感想・評価
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神の力だと思えばいい
主人公トンマーゾは全てを自分の思い通りにしたいと考える人。部下に仕事を任せることもなく、家族の選択をコントロールできると思っている。 これが最善なのだからこうしたほうがいいということなのだろうな。自分もそんな傾向があるのでトンマーゾの気持ちはなんとなく分かる。 しかし、人というのは常に最善を選択するわけではない。仮に駄目だと分かっていても選びたい気持ちというものがある。 それに、コントロールされる側の気持ちはどうだろう? トンマーゾの妻は自分が必要とされていないと感じ学生運動に傾倒していく。 息子のことで頭がいっぱいのトンマーゾは、そんな妻の行動に気付きもしない。 息子が一番最初に同性愛者であると告白してくると思っていたトンマーゾは、違う告白に戸惑い冷静さを失う。 何でも思い通りにいくものだと信じていた男が、何も思い通りにいっていない事態に直面するのだ。 そしてピエトロとの交流を経てトンマーゾは変わっていくことになる。 ピエトロは神父なので神の話をするが、神を信じなさいのような布教じみたことは言わない。 ピエトロ自身、おそらくこう考えている。信仰心やその他全てのことは自身の中から自然と湧き上がるもので、誰かに何かを言われて選ぶものではないと。 説教くさくないからピエトロは人気があるのだろう。彼の話を聴く者、彼を支持する者たちは信徒に見えない人たちも多い。 ピエトロは話は実はシンプルだ。ピエトロは神の力だと表現するが、つまりは、何かが起こることは自然なことで、それを個人がどうこうできるものではないと。 起きたことに対してヤキモキするよりも、神の力が働いたのだと受け入れるほうがいいということだ。 個人的にエンディングは違ったほうが良かったなと思うけれど、中々笑えるコメディで、内容も良かった。 ちょっと難しいフランスの笑いよりイタリアのコメディは日本人向き。
【堅物で傲慢な外科医が医学生の息子が神父になりたいと言った事により、オロオロし、イロイロ画策するもムショ帰りのカリスマ神父と出会い、仲良しになり人間性を取り戻すアイロニックなヒューマン・コメディ。】
■天才だが性格に難ありの心臓外科医トンマーゾ(マルコ・ジャリーニ)は、医大生の息子アンドレアがある日突然「神父になりたい」と宣言して動揺する。
派手な言動で人気のピエトロ神父(アレッサンドロ・ガスマン)に息子が洗脳されていると睨み、素性を偽って教会に潜入する。
そしてふたりは対立するも、やがてまさかの友情が芽生えて行く。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・トンマーゾの妻、カルラ(ラウラ・モランテ)が息子から”母さんみたいに、なりたくない”と言われ、拗ねちゃってワインがぶ飲みし、使用人クセニアの部屋に籠るシーン。
ー クセニアがぶすっとした顔で”狭いから、早く仲直りしてください。”とトンマーゾに言う所が、何か可笑しい。-
・トンマーゾがピエトロ神父に近づくため、医院の女性医師や娘の婿ジャニンなどを偽の家族に仕立て上げるシーン。
ー ジャニンは身体が不自由な役をやるように、言われるのだがそのジャニンの普通になったり、身体が不自由になったりするシーンが可笑しい。不謹慎だなあ。-
・アンドレアはあっさりと、”神父になるのは止めた”と言い”、ピエトロ神父にも随分前に言ったというシーン。
ー ピエトロ神父、全て知りながらトンマーゾに教会の修理を刺せていたんだね。クスクス。-
・トンマーゾはそんなことを経験しながら、少し人間味が出て来て、カルラにワインを注ぎ、料理を供するのである。
ー 嬉しそうなカルラ。-
・トンマーゾがピエトロ神父と徐々に仲が良くなり、洋梨の実がぽとっと落ちた時に”神の思るし召し”と言われるるシーンと、ラストシーンの対比が絶妙である。ピエトロ神父が陽気にミニバイクに乗っている時に車と衝突し、病院に意識のない状況で担ぎ込まれるのである。
ー 皆が心配する中、トンマーゾは目の前で洋梨の実が落ちるのを見て、少し微笑むのである。-
<今作は、ユーモラスな風合の中、家族や友人との絆や、信仰って何だろうと考えたり、生死って何だろうとやんわりと考えさせられるアイロニック風味を利かせたヒューマンコメディである。>
🎦恋は光と双璧を為す
ブーゲンビリアも糸杉も、洋ナシも、ワインもヴェスパも・・・イタリアのそこここに愛と共に神がいる・・・笑いと涙と衝撃が走る映画。よくぞこの短い時間に纏め上げたと驚愕である・・・ 万人が見れる映画、万人が笑える映画、万人が泣ける映画、そして万人が衝撃を受ける映画、そして考えさせられる・・・・映画でした。余韻半端ね
シンプル
このドラマは「神」を信じる者と信じない者との対立が軸なので「神」の存在をどう説明するのかが焦点だったが、直接的でなく示唆ではあるものの非常にシンプルに分かりやすいもので腑に落ちた。最後の悲劇が最悪のものになったか否かは描かれていないけれども、神父の考え方では、どちらであろうと、この映画のタイトル通りであるとすぐに理解できた。あまり深くなく重くなく最後は悲劇であってもさわやかさすら感じた。
タイトルなし
傲慢な外科医が妻や娘からも見放され、外科医を志すはずだった息子が神父になりたいと思う切っ掛けとなったムショ帰りの神父と出会い、次第に友情を育む。家族や他人にも優しくできるようになる。ラスト、神父は交通事故に会い、亡くなるシーンはないものの、梨が木から落ちる=死ぬというシーンで終わる。神父が神だったのではと思わせる。後半よりストーリーに面白み神様のでてきた
丘に吹く風に・・
腕利きの心臓外科医とムショ帰りの神父さん、両者の社会的役割の優劣を問う話でもないし神学論争と言うほどの改まった話ではない、志す道は違っても同じ善人であることに変りはない。
ミスが許されず緊張を強いられる医師ゆえかもしれないが自分にも他人にも厳しい性格となっても致し方ない、様式的な神学者でなく落伍者から這い上がってきた人生経験から出る説教は若者の心をとらえる。医学生の愛息子が神学校に行くと言い出したことから感化された神父に疑心を抱き調べ始めるところから、出会うはずのなかった二人が急接近するのだった。
神父が昔悩んだ時に来ていたという丘に医師を誘う、まるで「千の風になって」の歌詞のようなやり取りが印象的だった。
医師:「神ってなんだ、教会にいるのか?」
神父:「あんな狭いところに収まる訳はない、風や雲、梨の実が熟して落ちるのも自然の摂理、それを神の御業と感じるだけなのさ・・」。
飾らない神父の人柄に触れることで自身の価値観の狭量さに気付き家族や周りの人々への心の目が開かれてゆく・・。
脱線ですが、ボストンフィルを立ち上げたベンジャミン・ザンダーさんの講演の中で言葉の大切さについて語られた話を思い出しました。アウシュビッツに収容されて戦後生き延びたご婦人の話です。
姉は15歳、弟は8歳で両親は亡くなっていました、収容所行の列車の中で靴を履いていない弟に「無くすなんて何てバカなの!」と叱ってしまいました。それが彼女が弟に言った最後の言葉になってしまいました。彼女は「それが最後の言葉になったら困るような発言は二度としない」と誓いを立てたそうです・・。
コミュニケーションの意味など改まって考えることもない日常ですが実はとても大切なことと気づかせてくれる良作でした。
洋ナシ
息子アンドレアが「話したいことがある」と言ったときには、ゲイをカミングアウトするものだとばかり思っていたトンマーゾ。もうすでに笑えるストーリー。ゲイであることも愛があることだと家族は覚悟を決めていたのに・・・神父になる!
徹底した無神論者のトンマーゾ。アンドレアの姉ビアンカも福音書を読まされ感化されたようで、その夫ジアンニもなぜか面白い。神父ピエトロの集会にこっそり参加し探りを入れて、二回目のときには「相談がある」と持ち掛ける。しかも妻が暴力的で弟が精神障碍者でいると。じゃ、お宅にお邪魔しますと言われ、慌てて看護師に妻になってくれるよう頼み、ジアンニに弟の振りをしてもらう。完全に芝居をしてもらったのに、トンマーゾが家に帰ると、息子アンドレアが友達を紹介すると言う。それが何とピエトロ!(笑) 細かな笑いよりも、大爆笑を誘うコメディだった。
最後には車にはねられるピエトロだったが、どうなったんだろう?洋ナシが落ちるところからすると、死んでしまったような気もするが・・・
宗教の本質
宗教の、信仰の本質とは何ぞや?今作はその問いに明確な答えを提示している。 「祈り」だと。 では、信仰を持たない無宗教者には祈る権利は無いのか?今作はそれにも明確な答えを提示している。 「友のため己のため、好きなだけ祈れや。祈りの対象なんか適当でええねん。お前がそれで救われるなら、ええんやで。」と。 さすがローマ人の末裔、いい映画作るね。★6。
所詮
人間が生きているなんて、所詮は偶然と運に過ぎない。だけど、脳が発達してしまった猿は「死」を知ることになり、神が必要になってしまったのだった。神様の思し召しとは、どうしようもない運命を自分に納得させる為の、知恵なんだ。医者でも神父でも死を和らげる手伝いはできても、やっぱり「死」は神の手の中にあるという、身もふたもないイタリア風コメディです。
イタリア的皮肉
大まかな流れは王道。 主人公以外の人物の掘り下げは無く、 あっさりと展開していく。 退屈にならないのは、各所に皮肉が 効いていて、スパイスのように観客を 刺激し続けるから。 明確に結論を出すのではなく、 解釈を観ている人に委ねるのも良い。 個人的に気に入ったセリフ 「そんな狭いところで神が満足するか?」
ストーリーの流れは王道でわかりやすかった。 時間が短いだけに、トン...
ストーリーの流れは王道でわかりやすかった。 時間が短いだけに、トンマーゾや神父さんの細かなキャラクターは見えてこなかった。 けれども、そんな小さなことを気になることではない。神様の話なのだから。 笑い話をしつつ、不意に核心をえぐる話題を吹き込んでくる。作中で神父さんが人々を魅了したのと同じ手法により、私は劇場でこの映画に夢中になりました。
落ちちゃった。
途中思いっきり笑っちゃいました。 だから余計に最後のシーンには・・・ 余韻を持たせる終わりには色々な解釈が出来る。果実(梨)がポトリと落ちる。 実話ではないからエピローグは必要ないだろうし。 人生とはこんなもの!
これも神様の仕業
もっと頑固なマッチョ親父かと思っていましたが、根はいい人みたいで、一応理解者、良き家族面したいようでした。
その偽善ぶりと自己中に奥さんの方が参ってました。
イタリアにも聖書とか読んだことのない人がいるのですね。
ラストは、これも神様の思し召し…ですね。
満席、笑い声。このまま終わると思っていたら…。
満席のお客さんが、声を上げて笑った。 演者がとてもとても個性的でテンポも良く、まだまだ見続けていたいと思えた映画がでした。 そのままにこやかなストーリーで終わるものと思っていたら…。 まるで館内のお客さんみんなが息を飲んだんじゃないかというくらい、一瞬空気が張り詰めたのを感じました。 人を救うのは神か医者か。
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