ニーゼと光のアトリエ : 映画評論・批評
2016年12月6日更新
2016年12月17日よりユーロスペースほかにてロードショー
暴力的治療を推奨する精神科医療に戦いを挑み、信念を貫いた医師の苦闘
1人の女性が固く閉ざされた病院の鉄の扉を執拗に叩き続けると、ようやく内側から重い錠前が外される。そんな象徴的な導入部で始まる実録ドラマは、患者をまるで実験台のように扱っても非難されなかった1940年代の精神科医療に、セラピーを持ち込んで成果を上げた医師の苦闘を丁寧に再現していく。
院内会議で壇上に上がった男性医師がロボトミー手術の医療機器としてアイスピックを堂々と推奨したり、患者を連れてきてその場で電気ショック療法を実践する等、治療する側の信じ難い蛮行が罷り通った時代に、主人公の精神科医、ニーゼ・ダ・シルヴェイラは敢然と戦いを挑む。患者たちには本来、自然治癒力があるに違いないと考えたニーゼは、殺伐としていた作業場をアトリエに変え、そこに患者たちを招き入れ、1人1人を注意深く観察することを手始めに、思い思いの服を着せ、森を散歩させ、それら新鮮な体験から得た何かを、まっさらなキャンバスに画く機会を与えてみた。すると、どうだろう。完成した絵画には彼らの知られざる過去や未来への願いが、封印していた自我が、無意識のうちに表現されているではないか!? それはニーゼが共鳴する精神科医にして心理学者、ユングが唱える、精神も身体同様に再生し得るという精神再生論をいみじくも実証するものでもあった。
ニーゼの画期的なセラピーを異物と見なし、院外へ追放しようとする医師団は、人道主義=共産主義と短絡的に決めつける。舞台は独裁政権下のブラジル、リオデジャネイロ。そんな暗黒の時代に、ニーゼが精神科医としてばかりか、1人の人間として自由な発想を実行に移すことがいかに困難だったか? 精神病棟の限られた空間で展開するスリリングな攻防劇が、やがて終幕を迎える頃、画面に登場する実物のニーゼが残した言葉に(1999年に94歳で他界)、すべてが集約されている。曰く「人それぞれの生き方があっていい。自分の中の閃きを信じることが大事よ」至極当たり前のロジックが意外に重く心に響いてくるのは、単純な二極化が進む今という時代と無関係ではないような気がする。
(清藤秀人)