「人と獣の境とは」ボーダーライン(2015) 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
人と獣の境とは
アメリカ/メキシコ国境で繰り広げられる対麻薬戦争。
その恐るべき様相を描いた『ボーダーライン』。
続編『ボーダーライン/ソルジャーズ・デイ』の
公開にあわせて久々に再鑑賞。
監督は『灼熱の魂』『ブレードランナー2049』等の
ドゥニ・ヴィルヌーヴだが、エンタメ性を確保しつつも
テーマ性の強い作風で知られる彼の作品中では、
本作は最もエンタメ寄りの作品という気がする。
...
冒頭からズンズンズンと低く響くドラムの不穏さ。
FBIの突入作戦で始まるオープニングからして強烈。
真っ昼間の乾いた空気の中、さして広くもない家に
立ち並ぶ、ビニール袋入りの死体・死体・死体……。
ほぼ全編、主人公ケイトの視点で進む物語。
誰も彼女に状況を説明してくれないので、観客も
ケイトと同じ立場で次々と異様な事態を見せられる。
逆さ吊りの首無し死体、高架上での無慈悲な銃撃戦、
味方である警察が、友人が、こちらに銃口を向けてくる様。
黄砂色の荒涼とした風景と、重く唸るようなスコアも
相俟って、この映画は終始こちらに不安と緊張感を強いる。
ケイトもFBIの突入部隊員なので、並の人間よりは
遥かにタフだ。だが、国防総省の指揮官マットと
その片腕アレハンドロはそれよりも更にタフだ。
――いや、タフというより、彼らは倫理観という
リミッターがパキンと外れている。
カルテル壊滅という大きな目的の為、1000万ドル
規模の資金洗浄に目をつぶる。捜査を円滑に進める為、
『正義を果たしたい』というケイトの信念を利用する。
息子のいる父親を、ためらいもなく肉の盾にして敵を欺く。
彼らは勝つ為に手段を選ばないし一瞬の躊躇すらしない。
...
終盤、自身の正義を踏みにじられて初めて涙を見せる
ケイトに――『俺の大切な人に似ている』彼女に――
アレハンドロは慰めとも取れなくもない言葉をかける。
「小さな街へ行け、法秩序が今も残る土地へ。
君はここで生き残れない。君は狼じゃない。
そして、ここはいまや狼の土地だ。」
恐ろしい考えだが、倫理観や善悪とは結局の所、
文明社会というシステムを円滑に機能させるために
人間が作り上げたプロトコルに過ぎないのだろうか。
獣の行動原理には善も悪も存在しない。自分や
自分の家族が生き残れるか殺されるか。それだけだ。
正義や倫理が一切通用しない土地。
人と獣の境目が曖昧な、荒涼たる土地。
人はいったいどこまでが“人”で、どこからが“獣”なのか?
少なくとも分かるのは、アレハンドロはとっくに
その境を越えて戻れなくなった人間だった。
愛する家族を無惨に殺された時点で、彼は
“人”であることをやめてしまったんだろう。
ケイトはその境を越えることはできなかったし、
そうせずに済むチャンスが残っているならば、
そうしなくて良かったのだと心底思う。
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物語の最後……戻らない父親のベッドを見つめる少年。
サッカー場の近くで聴こえる銃声を聴き、凍り付く
母親たち。一瞬動きを止めた後、すぐに試合へと
戻る子どもたち。どこか諦めたようなその表情。
こんな日常があってたまるかと言いたくなるが、
これもまた地球の裏側で繰り広げられている日常。
<了>
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余談:
そういやベニチオ・デル・トロって『ウルフマン』で
狼男を演じてましたね。何か狼に縁があるんかねえ、彼。
ジャングルクルーズのエミリー・ブラントからの流れで、久々にきびなごさんのレビューに行きあたりました。
監督さんから直接聞いたのですか、と言いたくなるような的を射た(としか思えない)鋭いコメント。
最近は、どちらでご活躍されているのでしょうか。とても気になります。