「混沌の大作」バンコクナイツ kkmxさんの映画レビュー(感想・評価)
混沌の大作
前作「サウダーヂ」が大変良かったため、今回も期待していましたが、期待通りの混沌とした大作でした。
サウダーヂとは地続きの兄弟のような作品だと感じたので、以下のとても長い感想は主に前作との比較で物語ります。
サウダーヂに比べると、バンコクナイツは全体的に緩いが豊潤な作品だなぁ、という印象。ストーリーだけ追うと散漫でダラダラした感触ですが、ゆったりと作っているため、タイの営みや文化が生々しく描かれていて、なんとも言えない豊かさを感じました。バンコクの毒々しい煌びやかさには息苦しさを感じたものの、イサーンやラオスにはただただ感動してしまった。バイクを飛ばした後のノンカーイの朝焼けの美しさに言葉を失いました。
この豊かさを描くには、3時間は必須だったと思いました。
空族サーガの主人公たちは大抵「ここではないどこか」を夢想し、さすらいます。バンコクナイツの主人公・オザワも例外ではなく、自らの居場所を求めて彷徨っている男です。なんとなく自衛隊に入り、やがてなんとなくタイに来た。昔の女・ラックと出会い本気で愛するも、オザワは根を下ろせない。「ここではないどこか」を夢見る者は何かを選ぶことができない永遠の少年である。少年では愛を成就させる力がなく、オザワとラックは破局する。
前作サウダーヂの登場人物たちはみな彷徨い続けて迷子になっていたが、オザワはラックと別れた後、タイに根を下ろす。空族の主人公がついに大地に足をつけた瞬間であった。ラスト付近にオザワは銃を買い、それが何を意味するのかはっきりとはわからないが、彷徨う旅を止めることと関連しているように感じた。
楽園を求めても手に入らない。そんな虚しさや悲しみ。つながりのある世界を破壊してゆく大きな抗えない力への怒り、嘆き。でも抗う人間の姿が前作同様、本作品でも描かれている。
しかし、本作はタイの宗教的な雰囲気によって嘆きからの祈りも描かれているように感じた。モーラムの言葉を尽くせないほどの説得力と、その後のラックのこのシーンだけに見せる安息の表情は本作のハイライトのひとつで、震えるほどの興奮とともに、人知を超えた異界への畏れと祈り、自分を超えた存在に包まれる安らぎと癒しを感じた。タイの営みや文化を内包した映画だからこそ描けた出色のシーンだ。出家のときのカーニバルのような行進とか、なんと言っていいのかわからないけど深く心に刻まれています。
この映画を反芻すればするほど、いろいろな連想や複雑な情動が浮き沈みをします。バンコクナイツを観たことは、えも言われぬ体験でした。映画を観た、と言うよりも、映画を浴びた、という感覚です。
【空族の映画についての感想】
空族の映画は基本的に群像劇な上に、プロではない役者が出演者のほとんどを占めるため、とっつき辛いところはあるが、それを乗り越えるとクセになる魅力に満ちている。
サウダーヂもバンコクナイツも1〜2回観ただけでは消化しきれないボリュームなので、折に触れて何度も観ていくタイプの映画だと思う。空族映画はロードショウの間だけではなく、今後も様々なイベントや次回作のタイミングの時などに上映されるだろうし、その時々にサウダーヂやバンコクナイツをまた観て、新たな発見や湧き上がる感情を噛み締めてゆくものではないかな、と思っている。