劇場公開日 2019年10月11日

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「監督のお祖母さんは、日本人とか。」細い目 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5監督のお祖母さんは、日本人とか。

2024年9月17日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

何の予備知識もなく観た。

多民族国家として知られているマレーシアで、マレー系の可愛い女の子オーキッドと、華人系の英語の上手な少年、自称ジェイソン(本当はAh Loong)が織り成す清新な物語。

この映画は、きっと作られた当時のマレーシアに戻って考える必要があるのだろう。

2005年頃のマレーシアでは、民族も言葉も宗教も異なるマレー系と華人系の若い二人が付き合うことなんて、なかったみたいだ。細い目というのは、あの国で6割くらいを占めるマレー系が、3割の華人系の容貌を揶揄していう言葉。華人系は、商売に長けているので、「こすっからい」とも言われたようだ。一方、華人系は、マレー系のことを、「のんびりしている怠け者」と言う。そんな二人が、周囲の怪訝な目にも関わらず惹かれてゆき、心から付き合う姿を描いたこの映画は、きっとマレーシア人の意識をも変えたのだろう。

それでは、15年近く経って、2019年日本でも公開された、この映画の普遍的な価値とは何だろう。

オーキッドとジェイソンは、育った環境もかなり異なる。オーキッドの家は庭付きの邸宅で、父も引退したようだが資産家であるのに対し、ジェイソンは、家族皆が狭いアパートで貧しく暮らす。車椅子の父親は母親との口論が絶えず、ジェイソンも露店で闇のVCDを売ることを生業にしている。その背景には、オーキッドが好きだと言っていた「男たちの挽歌」を思わせる香港ノワールのような世界が広がっていた。そんなに違う二人が、まるで「ロミオとジュリエット」のような物語を繰り広げたところに、観客は惹かれたのだろう。

私はと言えば、カクヤムというオーキッドの家のメイドを務める太った女性が、家族と全く対等に語り合い、むしろクイーンのように、君臨しているところがよかった。オーキッドの父親も、口ではジェイソンを認めないが、本当は母親と共に、彼を受け入れる用意があるように見えた。

監督のヤスミン・アフマドは、タゴールの詩を引用し(マレーシアの人々の残り1割はインド系)、音楽にもドヴォルザークのルサルカから、あの「月に寄せる歌」を使い、マレー語、広東語、英語の飛び交う映画を見事に作り上げた。きっと、留学経験もあるのだろうが、何と日本人の血も引いているらしい。是非、他の作品も見てみたい。

詠み人知らず