「「退く者」の美学が輝く。登り切れず立ち止まったあの階段に涙。」クリード チャンプを継ぐ男 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
「退く者」の美学が輝く。登り切れず立ち止まったあの階段に涙。
「ロッキー」が公開されてから40年。「ロッキー」第1作は高評価とヒット、そしてオスカーまで獲ったが、その後のシリーズ作に関しては、幾分しょっぱい評価が付きまとっていた。「ロッキー・ザ・ファイナル」が公開されて約10年。また「ロッキー」の焼き直しかと思いきやそうではない。むしろこの映画は、「ロッキー」から40年経ったからこそ作ることのできた映画である。
この映画の主人公はロッキー本人ではない。ロッキーは既にリングを降りており、脇に立つ存在として映画に登場する。かつての盟友アポロ・クリードの息子をロッキーの隣に立たせ、老いた男の魂が若き肉体へと注ぎ込まれる様子が描かれる。
物語の主軸には、会ったこともない偉大なる父アポロの存在に戸惑いながらもその血を受け継ぐものとしてボクシングを始める若き青年のボクサーとしての成長と見知らぬ父の存在を吸収していくまでのドラマがありつつも、その脇に寄り添う老いゆくロッキーから見る「散りの美」のドラマに否応なく魅せられる。
かつてスタローンは「老いてもリングに立ち続ける美学」を体現する存在だった。むしろ老いに逆らおうとしていたと言っていい。そして時にその姿は、人々の嘲笑を誘うこともあった。しかしこの映画でついにスタローンはファイティングポーズをとることをしない。老眼鏡をかけ、何の衒(てら)いもなく「お前のパンチを俺が受けるのは無理だ」と言う余裕。更には病で体が衰弱していく様子まで演じる。強さに魅せられ、強さを演じてきた男が、ついに脆さの象徴として映画に出た。しかしそれこそがこの映画の、そしてスタローンの美しさだ。脆さや弱さを演じるスタローンの精神から、強がりではない真の強さが見える。そして自身の経験と知識と含蓄を若手へと継承する姿に、退く者の美学が輝く。ロッキーはヒーローではない。ただの人間だ。どんなに強い人間もいずれ何かを退く。その姿がこんなにもかっこいいなんて。そう思わせる名演に涙が出る。その対比としてマイケル・B・ジョーダンのバイタリティ漲る若き肉体と演技が効果的に働く。
最後のファイト場面で手に汗握り感動したのも束の間、フィラデルフィア美術館のロッキー・ステップを登り切れずに途中で立ち止まるスタローンに、また涙が溢れる。