「そして「俺たちの物語」となった」クリード チャンプを継ぐ男 しんざんさんの映画レビュー(感想・評価)
そして「俺たちの物語」となった
ポール・ダノ
イドリス・エルバ
マーク・ライランス
マイケル・シャノン
シルヴェスター・スタローン
第73回ゴールデングローブ賞助演男優賞ノミネートの面々である。
もちろん、他の作品を観たわけでもないし、まして他の役者を蔑むつもりもない。
だが、世間が、そしてオレが、こう言っている。
「今年はシルヴェスター・スタローンが、ゴールデングローブ、そしてオスカーを手にする」
「クリード チャンプを継ぐ男」
本作は、自分の抱える「大きなモノ」に立ち向かう若者を手助けをしながらも、その姿に触発され、再度自分との戦いに奮い立つかつての伝説の男であり、かつ「隣近所にいるレストラン「エイドリアンズ」の気のいい、ただの店長」、その2人の男の物語だ。
本作のロッキーの初登場シーンが印象深い。なにげなく普通に、営業終了のホールにすっと顔を出す。そう、何気ないことがとても印象深いのだ。あたかも、アドニスが父の勇姿、その本当の姿を初めて知ったときにおぼえた、自分の中にある大きな心のように。
アドニスは父を否定しているわけでもなく、血は争えないことを良く知っている。そしてロッキーは、アポロを良く知っている。
それ故、ロッキーは、血を受け入れ、超えることが、アドニスの最も険しい己との戦いということを、「ボクシング」を通じて教えるのだ。七光りを揶揄されていること自体はアドニスには些細なことだ。
自分を愛してくれた人。生まれる前に死んでしまったため、自分を愛することが出来なった父親。彼らに、血を敬い、己を鍛え上げることで、愛を示す。それこそが、アドニスの戦いなのだ。
それを分かっているロッキーは技術を教えるのではない、己を超えることを教えるのだ。
別にバカにしているわけではないが、「ロッキー3」でアポロは、虎の目だ、とかしか言わない。だが、あの映画では、それでよかったのだ。本作についても、ロッキーはロッキーなりの、「アポロからの、己を超えること(Eye of the Tiger)」の継承なのだ。
俺たちはいつでも、いつになってもくじける。そんなとき、ロッキーに居てほしい。でもロッキーはいつもそばにいる。俺たちが望めば。そして、ロッキーもまた、くじける。そんなとき、まぶしいまでの生命の輝きを感じたい。そんなとき、俺たちは輝くことが出来るか?
本作で、ロッキーとアドニス、そしてアポロは、本当の「血を超えた」家族となる。「贖罪」という個人の話ではない。
「家族になること 力になること」
本作は「ロッキー7」でもなければ、「ロッキー新章」でもない。
もはやロッキーの物語ではない。俺たちの、若者の、年老いた男たちの「物語」となったのだ。
監督ライアン・クーグラーは、この企画をスタローンに、とっくにロッキーを終わらせたスタローンに提案したという。スタローンはこの若き才能に、「ロッキー」を、彼の成長のため、その「財産」を与えた。
ライアン・クーグラーは、それにこたえるため、実験的な画づくりや情熱的な演出を繰り広げる。
主演のマイケル・B・ジョーダンは、1年間のトレーニングを行い、あのファイトシーンを完成させた。1試合は2ラウンド丸々長回し。もう1試合は入場までの長回し。すさまじいまでの興奮を覚える。そしてそばには、あの男がいる。
これこそまさに、本作が言わんとしていることである。
これほどまでに、作り手の思いが投影され、具現化された作品はそうお目にかかることはない。
追記
ここまでベタ褒めでいうのも野暮なんだが、音楽だけは、バッタもの風に聞こえるあのスコアだけは止めたほうがよかったと思う。
追記2
「ロッキー4」「ランボー怒りの脱出」あってこその、スタローンの大いなる「愛すべき」歴史だ。
「ロッキー4」を黒歴史なんて思っている、第1作妄信で、ロッキーだけでスタローンを語ろうなんざ、片腹痛いぜ。