劇場公開日 2015年12月26日

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「大いなる旅に思うこと」消えた声が、その名を呼ぶ つとみさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5大いなる旅に思うこと

2023年11月29日
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鑑賞方法:DVD/BD

私は映画の主人公に感情移入するタイプだ。どこか他人事として事象をとらえる一方で、無意識に近い状態で人物の感情に寄り添って観ている。
こればっかりは癖のようなもので、どうしようもない。
「消えた声が、その名を呼ぶ」は、終始ナザレットの視点で物語が進み、感情の拠り所がとても明白な作品、だと思った。の、だが。

アルメニア人虐殺、という未だ総括されない出来事を出発点として動いていくナザレットの物語に、少しずつのめり込んでいく感情に急ブレーキがかかっている。映画の至るところで。
ナザレットの行いがキリスト教的な背景を必要としているから、かもしれない。
ナザレット自身が時にあまりにも卑劣な行為に手を染めるから、かもしれない。
しかし、私自身は監督からのドクターストップならぬディレクターストップであるように感じた。
「これ以上彼に寄り添ってはダメだよ」と言われているような、急に突き放された感じがあるのだ。
当事者としてそこにいる感覚がなく、ナザレットを通して出来事を観てはいるのだが、一歩遠ざかった視点に強制的に戻される。

彼の身に起こった出来事は恐ろしく残酷で、それでいて時に思いがけない親切に助けられ、その心の動きは余すところなく伝わってくるのに、とても遠い。

思えば、私たちは誰かの私見に基づいた物語に慣れすぎているのかもしれない。この映画には絶対的な悪も善もない。痛ましい出来事があり、それを生き抜いた人がいて、そしてその人は普通の人だ。アルメニア人もトルコ人もアラブ人もイスラム教徒もキリスト教徒も、時に良心に従い、時に利己的である普通の人だ。
一面的な立場に依らず、淡々とナザレットの「事実」を見せられる。可哀想でしょう、みたいなお仕着せは全くない。

きっとこの映画は全員が一方向を向く事を拒んでいる。「私」の数だけナザレットがいて、「私」の数だけ想いがある。

私が思うのは、極限の状況下で偶然出会った多くの人に「善いこと」をしよう、という思いがなければナザレットは旅すら出来なかっただろう、ということだ。
彼を助けたのはほんの少しの勇気と善意で、どんなに厳しい時でもそれはもたらされる。
世界を変えられなくても、目の前の誰かを助けることが出来るなら、人はまた旅立つ事が出来るのだから。

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つとみ