無伴奏のレビュー・感想・評価
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70年生まれの私は成海璃子の大ファン
さんまのまんまが大好きな私は成海璃子さんが出演した会は録画して何回見たかわからないぐらい見た。決して暇な理由ではないが、それぐらい成海璃子さんに飢えていた。私はドラマ瑠璃の島から成海璃子さん出演作品を観るようになりました。恥ずかしいぐらいにどの作品も好きになってしまうのです。成海璃子さんが好きだからパワーも間違いなくあるのですが成海さんのパワーが作品にノッカり巨大化してる気になってしまうのです。やはり私は成海璃子さんの大ファンだなぁ〜とどの作品も観終わったらシミジミ思いシミジミ女優さんの偉大さを感じてしまいます。「無伴奏」撮影・音楽・美術・編集・全て私は大好き。
是非是非「無伴奏」観てください。
響子の成長を描いた青春映画
池松君のベッドシーンものだが遠藤新菜が気になる!!
雰囲気はよかった。
そういう時代
制服廃止闘争や卒業式粉砕などなど原作者と同じ歳の私はくだけて言えばーこっぱずかし
こそばゆくて気恥ずかしくてまともには見たくない感情にとらわれた
ポール二ザンや高橋和巳などなどまさにこの時代の大学生は皆読んでいたー響子が言ったように本当はよく分からないながらも読むーそういう時代だった
そんなまさにその時代の空気感が映し出されていた
その空気感のなかに浸るという幸福感のなかにいた私
が、原作は昔読んでいて良かったという感覚だけが残っていてストーリー全く失念していたので後半になって急にどっとやられてしまった
それにしてもこれは響子の大学入学前の出来事だ
この後の響子の大学生活はいかなるものだったのだろう!?
これほどの事を経験してからの大学生活って⁉︎と驚嘆の思いがするー田舎の無知な女子高生だった私からするとねー
池松壮亮 斎藤工 うまい
茶室という空間が効果的に使われている
1970年は昭和45年だよ。
予告の嫌な予感通りの「正に近頃の邦画」終いの一本。
雰囲気、物語、時代再現(力を入れすぎた故に公衆電話や言葉遣いで襤褸が出るのはご愛敬か苦笑)は良かったのだが。
とにかく主演陣の演技の酷さで興ざめ。
主演の水死体と、出る映画全てでセックス三昧のゲス専の棒読み、斎藤工のやり過ぎ。
演技が不調和過ぎて仕上がりが酷く、最後まで作品に乗れない。
出来損ないの翔兄みたいな棒読みで「人生は、好きかい?」と言われても、テメェに言われたくないわ!と頭にしかこないのがわかりやすいか。
また、女優足るからには乳を出せば良いとは思わないが。
半端過ぎるヌードで、その時間20分超の無駄なセックスシーンを増やした水死体はなお悪い。
「誰が誰のために作る事になったのか解らない邦画」の典型の作品。
昭和のBL風味
1967年からこのストーリーは始まる。昭和四十年代、反戦運動学園闘争等々、その時代の怒れる若者がストリートを我が物顔で闊歩していた背景。感化された女子高生の主人公も又、その熱く滾った時代の匂いを嗅ぎ取り、能動的に自らをその渦に飛び込んでいく。あるデモと警察との衝突から逃げ込んだ名曲喫茶『無伴奏』。その中で知り合うどこか冷めた感じを帯びる大学生2人とその恋人。そこから思春期の恋愛模様が、あの当時のインテリ的思考をベースに、しかしかなり本能にも寄ったメーターを振り切る行動と思考を多重的に積み重ねていくことになる。
まぁ、ハッキリ言っちゃえば自己顕示欲の強い、破滅型青春物語といった内容である。
とはいえ、その頃生まれた自分とすれば、その20年後に、時代を大きく変換させるバブルが始まるのだから、隔世の感は否めない。
そして、非常にワクワクする未来感を感じさせてくれる毒味の強い時代だったのだろう。会話の受け答えも丁寧な中に知性とアイロニーを含むことを是とし、しかしその行為は激しく、まるで渇いた喉を潤したいと暴れる動物そのものだ。
好きになった恋人は『バイ』だったなんてのは冗談にもならないだろうが、そんな現実があっても不思議ではない匂いがそこにあるのだろう。成海璃子のラブシーンでの不自然なバストトップ隠し(ま、でも正上位だけだけどセックスシーンが多い映画に出たこと自体、よく頑張ったと褒めるべきか)や、池松壮亮の声も含めてのバカリズムとの激オーバーラップ等、突っ込み処も又満載というのも作品に華を添えているところなのだろうかw
テーマの主題音楽であるパッヘルベルのカノンは、あの山達のクリスマスイヴの間奏ア・カぺラで有名だが、まさかそれとこの作品名が繋がってるというオチじゃないだろうなw
斉藤工と池松壮亮の絡みのシーンは我得ではないが、あのシーンにどれだけの世の腐女子がときめいたのか定かではないが、あの時代でタブーとされたことがここに来て再評価され始めてはいるのだということは感じる作品だ。
静かな中にエネルギーを感じる
静かで切ないけれど、内側から湧き出てくる感情のエネルギーにぐっと引き込まれて、こんなにも映画館で観る映像に圧倒されたのは久しぶりでした。演技力の凄さからなのか観てからしばらくは、感想がでてこない感じ。目線とか言葉使いも自然で、佇まいも美しい映画だった。
「過激」とは何か。
学生運動が盛んになる時代背景を描きながら、「過激」とは何なのかを考えさせられる作品。
学生が抱える「虚無」を埋めるために、学生運動に熱を上げることが過激なのか、それとも心の「虚無」を誰かに埋めてほしいために誰かを愛することがか過激なのか、時代に振り回される女学生の深意が見受けられる。
ラストへ向けての急激な展開は、まさに驚きを隠せないとしか表現し得ない部分がある。しかし、この時代での男女観や、人間観の悲しき問題を上手く捉えているととも言い表わせる。
何にも縛られずに生きているようで何かに縛られている拘束感を、誰かと一緒にいることで感じずに生きたい。誰かに求められている状態でありたい。
人の感じる刹那を思わせる、見終わったら達観できる作品。
波乱万丈すぎてひいちゃう少女の通過儀礼モノ
昭和のブンガクを原作にした映画は常に気になるけど大体外すという自分統計がありまして、それを鑑みるに『無伴奏』もそう期待できないとおもいつつも、成海璃子と池松壮亮を味わいたく見てきました。
結果、自分統計の信頼度を強固なものとする感想を持ちました。
ま、それは初めから含んでいることなので、良いのですが。
響子たちの学生運動は完全に思春期特有の反抗期ってやつでした。それはどうやら本人も自覚している様子。ホルモンに操られでるだけの薄っぺらいやつです。
もともとこの時代の学生運動というものが、あたまでっかちのモラトリアムにしか思えず、そこにロマンが見出せないので、私向きではないって事です。
そして、少女の通過儀礼モノなんですね、骨子は。でも、どえらい波乱万丈でして、こんな大それた事せんでも、大人になれるだろうよと。ほどんどひいてみてました。もっと地味なできごとで恋して傷ついて成長する物語をみたかったです。
あとエマがかわいそうすぎ。殺すかよ。
まぁ、あの斎藤工がなりゆきで子供を認めてくれるってゆう見通しは甘すぎるけどさぁ、
成海璃子と池松壮亮は所々楽しげに抱き合っていたのでそこは好感を持ちました。
連れ込み旅館(ですよね?)の布団にダーイブ!とか楽しそうで良かった。
しかして、おっぱいの隠し方がなかなかくるしい感じでした。そんなギュって隠すならなんかカメラ位置でどうにかならんかったのかと、おもったり。
この映画に限らず、てっぺん出すか出さんか問題が日本の女優にはありますな。
演技(あるいは人気)で稼げる(ようになった)人は、尻出しても乳出しても、てっぺんは守りますね。
そうでない(なくなった)人は、てっぺん出すことで補ってる(おぎなわされる?)様な気がします。
演技で引っ張れるのに、だしてくれる日本の女性はほんの少しです。池脇千鶴くらいか?海外ではもっと出してるんやから出せよ、という話ではなく、出すとリクスが高いんだろうなという事です。
日本の世間てやつがそうさせてるんだなぁという事を思うんです、常々。
、、、完全に余計な事ですが、余計なことを見ながら考えてしまえたということで。
斎藤工と池松壮亮のからみは、雨と雷がなければ良かったのにと思いました。
予算のせいでしょうが、商店街とか、あれで60年代ってゆうのは無理があると思いました。
プラトニック
学生運動がカタルシスを迎えた1969年の仙台が舞台。
”ゲバルト・ローザ”という異名を持つ女子高生が名曲喫茶「無伴奏」で出逢った東北大生の男2人との人間模様を描く。
名曲喫茶で何度も流れる「パッヘルベルのカノン」が印象的。
注視しなければならないのが、制服廃止委員会の委員長である主人公は一見すると革命に熱心な女子高生なのだが、内面は異なるということ。
そのあたりの葛藤が上手く描かれている。
中盤以降、観客は小池真理子独自のディープな世界観に連れて行かれる。
成海璃子が体当たり演技で、主人公役にぴったり。
斎藤工と池松壮亮が妖しい雰囲気を放っている。
特に茶室の躙口から覗いて微動だにしない斎藤工はシュール。
いまでこそ珍しくなくなりつつある事象について60年代にテーマとして入れ込んでくるあたりは興味深い作品。
結末はただただ切ない。。。
言葉が出なかった...
余震
暗い
後をひきます
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