美術館を手玉にとった男のレビュー・感想・評価
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マークランディスのひたむきさと才能に胸を打った
ゴッホ展以来アート系にはまり、その一貫で観ました。
タイトルはミスリーディングですね。
初め、どんなにか悪党かと思っていたら意外にも純粋な人。
家族も友達もいず、精神疾患を抱え、ただひたすら絵画に向き合う日々。
やったことは道徳的に許されることではないですが、面白いのは良くある贋作事件と異なり、無償でやっているところ。
最初に贋作であることを突き止めたレイニンガーは当初怒りを感じながらも、最後はもはや彼の才能に恋をしているのではというくらいの執念ぶりである。
最後の展開は、フィクションではあり得ない面白さなので是非前情報なしで堪能頂きたい。
レイニンガーがある意味マークランディスの承認欲求を満たしたのでしょう。
彼の生い立ちは節々で語られるが、精神疾患が生来のものなのか後天的なのかいまいち分からない。もしかしたら両方なのであろう。最初はもっと知りたいと思ったが、その分からないところが彼をさらにミステリアスに見せていて良かった。
彼の作品見てみたいですね。
社会では弱者として扱われているのかもしれませんが、非常に教養、才能があり、お会いしたら面白いのかもしれないと惹きつけられました。
私は贋作は支持しませんが、才能がある方は純粋に尊敬します。
非常に良くできたドキュメンタリーで夢中になって観ました。
天才
絵が描ける人って、ピカソ然り、マーク・ランディス然り、絶対に生まれつきだと思います。ガチで恐ろしい才能の持ち主です。でも、人間性は純粋で世渡りが下手そう。映画を観てると、あり得ない人と出会えるので楽しいですね。
同じことを思う
会う人会う人におそらく何万回も言われたと思う。
それだけの技術があるのだから、自分の絵を描きなさいよ、と。
お母さんの写真を見ながら描いた絵があったけど、それ以外はコピーだったみたい?
コピーすることが好きだった、それだけでは?
バンクシーも簡単に描いてしまいそう。
彼を追い続けて美術館をクビになった人、贋作を見破る鑑定士になったらどうかな〜
ブラウン神父登場!
ご本人出演のドキュメンタリーでした。
マーク・ランディスは「手玉にとろう…」としてはいなかったと思うので、邦題の印象とは違いました。
お話は淡々と進むので眠くなってしまいました。描く技術は天才的で素晴らしいのですが…
「良い神父になりたければブラウン神父を観ればいい…」との発言があり笑えました。
確かにブラウン神父を見習えば良い神父を演じられそうですね。ダウリング神父もオススメですよ♪
この作品としてはいまいち。
すごい興味深いし、おもしろい人物。でも、ちょっと本人寄り過ぎる内容。
ほんとうに面白いのは、この一連の事件性でもあるので、そっち(被害?にあった美術館側)の取材をもう少し丁寧に追ってほしかったかな。いかにしてプロの目が欺されたか。当時の再現的な見せ方をしてくれるとサスペンスとしても成立する。なんか、地味な生活をじっくり追ってるが、その構成でおもしろいか?と思ってしまう。
すごいおもしろいことをやってのけているのに、そこの盛り上げがない。。
というわけで、素材は申し分ないが、この作品としてはいまいち。
いいねーこういう人。程よく怪しくて。 しかしこれ系の映画を見るたび...
いいねーこういう人。程よく怪しくて。
しかしこれ系の映画を見るたび、正常とか健常って何だろう…とシミジミする。
彼に執着するあまりクビになっちゃったヒゲの人がじわじわ怖かった。
いいねーこういう人。程よく怪しくて。 しかしこれ系の映画を見るたび...
いいねーこういう人。程よく怪しくて。
しかしこれ系の映画を見るたび、正常とか健常って何だろう…とシミジミする。
彼に執着するあまりクビになっちゃったヒゲの人がじわじわ怖かった。
天才贋作画家と美術館員が辿り着く意外な結末
2011年、全米各地の美術館で大量の贋作絵画が発見される。それらはたった1人の男ランディスから無償で寄贈されたものだった。彼は大富豪の弟、神父等様々な人物になりきっては美術館を訪問し、驚異的な技術を駆使して描いた贋作を寄贈する"慈善活動"で全米の美術館を混乱に陥れたのだった。贋作の第一発見者である美術館員レイニンガーはマスコミやFBIまで巻き込んで彼を追い"慈善活動"を止めさせようとするが、何ら報酬を得ていないランディスを詐欺罪に問うことも出来ない。彼に執着する余り失業する羽目になったレイニンガーはそれでもなおランディスを追い続けるが、元同僚が思いついたあるアイデアに乗ることで事態が激変する・・・という現実にあったとは思えないある意味"絵に描いたような"ドキュメンタリー。
運命を拗らせた天才ランディスと、彼を知れば知るほどその才能に圧倒され人生を狂わされる男レイニンガーが織りなすドラマに一点の曇りもなく、この映画そのものが淡い色調の水彩画のように胸に清々しさを残します。
●手玉に取られた。
ある男の物語。
彼は美術館を手玉になんかとってない。
むしろ彼には絵を描くことが救いなのだ。
テレビを観ながら、ただ無心に描くことが。
周囲は言う。「オリジナルを」と。
土台ムリな話だ。
彼は表現者ではなく技術者だから。
それも一流の。そして純粋な。
そういう悲しい男の物語。
誰か修復士の仕事とか紹介してやれよと思う。
宝の持ち腐れ。
でも、そういう見方もたぶん違うんだろう。
そういう不思議な男の物語。
邦題がミスマッチ。
しかし、この邦題だから観ようと思ったわけだから、興行としては正しい。
手玉に取られたわ。
もう少し・・・・
もう少し痛快な感じが欲しかった。
なんか同じことの繰り返しばかり・・・・・
美術館に作品が受け入れられる情景がみたかった気がする。
個人的にはドキュメンタリー的よりも物語的にまとめたものが好きです。
この話は実話に基づく的な。
〜鐘〜
全米の美術館をケムに撒いた希代の天才贋作画家。
彼は何の為にその行為を行ったのか。彼へのインタビューを中心とし、彼を追い掛け:興味を持った人々のインタビュー等から次第に明らかになって行く。
予告編を観た限りでは、かなり痛快な話なのだろう…と想像していたのだが違っていた。ある意味では気が滅入る男の話でもあった。
総合失調症を患っているとゆう彼は、2年前の天災によって母親を亡くし、ひとりぼっちの日々を過ごしていた。
彼へのインタビューで少しずつ明らかになって行く母親への想い。
子供の頃から自分の才能に気付き、その子供心が抜けずにいた彼。元々は、父親を亡くした事で母親を元気付け、慈善活動と表し母親を安心させたい一心からの事だった。
早い話が、彼の性格は極度のマザーコンプレックスの塊に溢れているのだった。
だからこそ、未だに彼の心の中で肥大したその病は、なかなか消える事無く存在している。
その事実が、作品全体を重苦しいものにしている様に感じたのだ。
彼の才能を感じながらも多くの人は必ずこの言葉を彼に言う。
「オリジナルを描けばよいのに!」
彼の心の奥底に潜む病を知らない人はそうゆう意見を彼に言う。
それは至極自然の反応に他ならないのだが…。
そんな意見に彼は答える。
「女性を描いた絵は私のオリジナルですよ!」…と。
だがそれは、彼が描いた母親の姿であり。そもそも、これだけの大騒動にまで発展してしまったきっかけとなった、父親の死の悲しみを母親に味あわせたく無い…と思った彼の母親に対する強い想いからだったのだから…。
そして彼は、映画の最後である決意を語る。
それは則ち、彼の心の中に居る母親の存在は、永遠に消え去る事は無い…と言う事でもある。
その事実こそが、私の気を滅入らせ、何とも言い様も無い想いを増幅させるのである。
(2015年12月1日/ユーロスペース/シアター1)
誰かのために役に立つことをしたかっただけ
マーク・ランディスは30年に渡って、全米20州の美術館に偽物の名画を寄贈し続けた。
その偽物は、総て彼が模写した小品作品。
油彩、水彩、デッサンと形式はさまざま、中にはスヌーピーに登場するチャーリー・ブラウンもあった。
偽物に気づいたのはひとりの美術館職員マシュー・レイニンガー。
レイニンガーの発見により、マークが寄贈した多数の偽物の存在が明らかになり、全米中を驚かせたが・・・というハナシ。
日本タイトルからは、マーク・ランディス=天下の大悪人・詐欺師、のような印象を受けるが、そんなことはまるでない。
美術館から金品を得ていたわけではないので詐欺にあたらないというのが法的解釈なのだけれど、法的にどうのこうのとか埒外の行為だとみていてわかる。
彼にとって、名画を模写して、誰かにあげる行為は、相手が喜ぶ善い行いなのだ。
模写して出来上がった作品が素晴らしく観えれば、それは(オリジナルでなかろうと)名画であり、名画をもっていない美術館にあげるのだから、相手は喜ぶだろうという感覚。
他人のために役にたっている行為、いわゆる一般的な労働行為と変わらない。
そして、彼にできる行為が、模写だけだからだ。
とにかく、彼の模写技術はすごい。
稚拙で大胆な部分と、繊細な部分が混在していて、模写そのものがひとつのアート(のよう)である。
原本はカタログなど。
それを切り取り、コピー機で複写する、もしくは原本の上から紙を乗せ、何度もめくっては乗せて、下に敷いた絵の線をなぞる。。
その上から、水彩絵の具などで丁寧に色を添える。
しかし、人物は入念だけれど、背景などは手抜き。
古い雰囲気を出すのは、珈琲をぶちまける。
こんな子供だましみたいな方法なのだけれど、出来上がったものは素晴らしい。
この模写手法は彼が自分で編み出したもので、原点は子供の時分に遡る。
軍人の父を持ち、裕福な家庭に育った彼は、両親と共に世界各地を転々とするなかで、8歳のころからホテルにひとり残されたときに、このような模写をやっていた、という。
で、彼にできることは、これしかない。
彼は、若いころから統合失調症等々の精神病的診断がなされ、現在も通院して服薬もしており、この模写行為をとり上げられると、彼には何も残らない。
ただ模写だけをしていればよいかというと、そうもいかない。
社会とのつながりがなくなるからだ。
他人のために役に立つ、他人が喜ぶ、そういうことをしなければ、彼自身の存在意義・アイデンティティが保てない。
だから、寄贈するわけだ。
美術館に寄贈する行為が知れ渡った彼は、もうこの行為は出来ない。
最後に彼が言う。
「ぼくは小さい絵を描く(模写する)ことしかできない。これからは、奪われた名画を元の持ち主に返していきたいな」と。
あくまで、誰かのために、ささやかだけれど役に立つことをしたいんだ。
劇映画のような印象
マーク・ランディスがあまりに個性的であり、語ること全てが現実離れしていて、これは果たして現実に起こったことなのだろうかと疑ってしまうくらいに、奇想天外な内容だった。
周りに付随する取材対象者も、病人を対象にしているためなのか腫れ物に触るようにその発言も全く真実味がないし、騙された美術館側は素直にやられたとは言わないわけで思ってもいない事柄を並び立てているようにしか思えず、それ故にこれは劇映画なのではと錯覚してしまうのである。
結局は、ランディスが贋作を作り続ける衝動は全く分からなかったし、どうやってその技術をものにしたのかも分からなかったけれども、単に模倣というにとどまらず想像した結果の贋作だというのがよくわかった。どうやってこれが描かれたかというのは神のみぞ知る、そう語っていたランディスだからこそ成し得た結果だと思った。
彼に振り回された人とのやりとりにはちょっとした緊張感があり、終始、神経を尖らせながら見ていた気がする。
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