「市井の人は自滅するのみなのか・・・」裁かれるは善人のみ りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
市井の人は自滅するのみなのか・・・
ロシアの海辺の小都市。
入り江に臨む家に祖父の代から暮らすコーリャ一家。
思春期の息子と後妻との三人暮らし。
自動車修理工を営むコーリャであるが、さほどの収入もなく、妻リリアが近くの魚工場に働きに出ている。
そんな暮らしの中、コーリャ一家の土地家屋が市の公共事業のために接収されることになった。
理不尽な市の仕打ちに対して、コーリャは兵士時代の後輩でいまはモスクワで弁護士を営むディーマの手を借りて、市を訴えるのだが、その訴えは棄却されてしまう。
ディーマは市長の横暴行為の証拠を握っているので、それを利用して、コーリャ側に有利になるように取引をしようとするのだが・・・というハナシ。
ここから、コーリャ側と悪徳市長ヴァディムとの対決が丁々発止と繰り広げられるのかと身構えていると、ありゃりゃ、そんなことにならない。
まぁ、丁々発止の対決合戦が始まれば、通俗ハリウッド映画っぽくて楽しめたかもしれないが、そんなことにならない。
映画は、コーリャの妻リリアとディーマとの不倫話に展開していって、権力を持つ人と持たざる市井の人という図式ではなくなって、なんだかよくわからない。
そもそも、権力を持つ人と持たざる市井の人、というような判り易いハナシではないのかしらん。
たしかに、コーリャとヴァディム市長が対峙するのは一度きり。
コーリャの訴えが棄却され、ヤケ酒を飲んでベロベロのコーリャと、これまた祝杯をあげてベロベロのヴァディム市長が、ヘベレケ対決するだけだ。
このシーン、あまりにヘンテコすぎて、噴飯爆笑してしまったが、他の観客は笑っておらず、どうも笑うところではないようだ。
このシーン以降、どことなく可笑しいシーンが散見する。
暴行容疑でコーリャが留置場に入っているのを幸いにと、リリアとディーマの不倫のシーンも性急で可笑しい(コーリャの息子がリリアを「猿」呼ばわりする伏線はあるので、以前からの関係だと察しはつくが)。
コーリャ一家とディーマが、友人の警官の誕生日に彼らの一家と、射撃&バーベキューに出かけて、射撃の的にロシアの歴代指導者の写真額を持ち出すあたりも可笑しい。
でも、どうも笑う感じじゃないんだよね。
その上、権力側と対決するはず(と期待しているンだが)のコーリャ側が、なんだが勝手に自滅していってしまうについては、ちょっと茫然としてしまいました。
最後の勝利を手にしたヴァディム市長が参加するロシア正教会の礼拝での司教のことば、「国家、宗教、権力の三位一体」を正しく善いものとする説法は、ロシアに対する批判のダメ押しなんだろうけれど、これはどうにも冗長に感じました。
ズビャギンツェフ監督の前3作と同じく今回もどうにも不満なのは同じなのですが、今回がいちばん不満、魅力がなかった。
巻頭・巻末の風景描写や浜辺に打ち上げられた鯨と思しき巨獣の白骨などの驚くべきショットはあるのですが、これまでの作品では、途中途中に過剰とも思える長廻しやカメラワークがあって、それが魅力だったのだけれど、今回はそれもありませんでした(感じなかっただけかしらん)。