「結婚後に同棲の順序だったら満点だったのに」植物図鑑 運命の恋、ひろいました Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
結婚後に同棲の順序だったら満点だったのに
『植物図鑑 運命の恋、ひろいました』(2016)
dTVで出てきた。日常生活の中のファンタジーではあるが、男女が結婚以前に同居してしまう、同棲というのは良くはないと思うで評価は大きく下げるが、それを抜きにした男女の心の交流という面からみていこうと思う。また、ある意味婚活にしても、相手の収入などのデータをもとに判断してしまう場合が加味されるが、この映画の場合は、雪の降る道に倒れていた青年を孤独な女性が助けて、腹が減って歩けないというのでカップ麺を作ってあげて、女性のアパートに入れて、青年がイケメンで、翌日から出ていこうとした青年を女性のほうが引き留めてしまった。謎ある青年で、わからない面が多いのに、ときめいてしまった女性。青年は料理はうまいし、物事は知っているし、礼儀正しいし。これはファンタジーであるし、なぜか半年いさせてくれないかという青年。その間、料理を作ってくれる青年。コンビニの深夜バイトを探したので、アパートで会うのは、女性が帰宅したほんの一瞬ということで、性関係はない関係だというのを察しさせる構成のようでもある。現実だと
同棲などしてしまうと性関係に陥ってしまう気がするのだが、ファンタジーな関係に性関係を与えてしまうと性倫理が崩れる。必ず崩れる。同棲というシチュエーションは無しの男女のファンタジーにして欲しかったが、孤独な女性に現れた優しい男性との心の交流はファンタジックではある。
ただ現実的には、こんなところから犯罪になってしまう事もあるだろうし、やはりファンタジーとしてみるしかないシチュエーションであろう。ただ現実がファンタジーになるのには、心の交流が双方とも善人であること。それが敷衍して誰もが善人であること。それなら現実はファンタジーの世界になるのである。こうした注意の上で、謎の青年ではあるが、楽しい異性と出会うと、孤独でさみしい生活が一変するという、よく男性のほうが素敵な女性が現れて元気が出るパターンが多いと思うが、この映画の場合は、女性が突然出会った青年にときめいて、楽しくて仕方がない生活になってしまった。職場で女性が叱られても、元気を出せよと言ってくれる青年。青年はなぜか料理に詳しい。
女性にいろいろと料理を教えてくれる。男女は友達のような対等な関係で描かれる。男性のほうは、居候させてもらっていても、卑屈なところがなく、対等にコミュニケーションしている。ここもファンタジーかも知れない。青年は野草を知っていて、調理してくれる。ここら辺、都会のさみしい状態の一人が、生活力のある異性と出会うと、生活感が一変して楽しくなってしまうという、ここは大事な面だろうと思う。そして、『彼氏じゃないんだよね。同居人なんだよね』という女性の独白が流れる。
これが現実の人によっては襲ってしまう男かも知れないし、危険なシチュエーションなのだが、男性は紳士であり、同居していても性関係はなく過ぎる。その後、ふとした時に、危なくないように手をとってくれたりする。また野草を一緒にとりに行く。同居という過激な設定だが、心からの交流は順序立ててある。これが現代の自由すぎる複雑な社会構造との兼ね合いとしてのファンタジーになっているのかも知れない。男女関係がある面は自由すぎて難しい時代だ。それなのに。例えば肉体関係だけで終えてしまい次々に変わってしまう関係に過ぎないような関係ばかりになり、結婚も出来ない社会になってしまっている。そういう意味では皮肉的な映画かも知れない。ただこのファンタジーは現れた異性がイケメンで礼儀正しくて知識人という、どうしようもない人間の好みが入っているのもある。男性は花飾りを作ってくれてかぶせてくれる。とってもファンタジックである。逆にこれで別れてしまってはかなりひどい失望が生じるだろう。男性は自然にやっているのだとしても。『いなくならないでね。ずっとそばにいてね』と女性の心の中での独白がある。しかし半年と言われていた。対照的に、ほかの男は、客であるのに、不動産の案内をする女性に、今夜食事に行かないかと誘ってきて、断ると、上司が怒ってくる。ここら辺に、ファンタジーな世界にしない男たちが設定されている。しかし、女性が堂々とした態度に出ると上司も驚き、社内も関心する。こんな性の乱れた時代に、ファンタジーを醸すのは男女の良心である。表現の難しい時代に、難しい設定の中で、良心的に作られようとした映画かも知れないと、中間あたりでは思わせた。しかし楽しくあれだけ野草狩りにいられればもう異性関係としても相性は良いはずであろう。女性のほうが男性にぞっこんになってしまっているのだが、男性のほうはどうだかわからない。自然に優しく紳士である。別れの約束の時間が近づくにつれ、女性は悲しくなる。女性が男性を好きになってしまっているために、男性の仕事場の女性との関係に嫉妬してしまう。異性が怒るというのはこういう心理もあるということか。しかし宿を提供してくれている代わりもあるとしても、ずっと朝食と弁当を作り続けてくれる男性同居人。それに対比してかっこ悪いのが会社の先輩。飲み会の帰りに誘おうとして、失敗するシーンは、情けない男を演出している。しかしかっこ悪い先輩にしてみても必死ではあったのかも知れない。そうしたいざこざで思わず、女性のほうが好きなんだと告白してしまう。考え込む同居男性。そしてずっと一線をひいていた男性は、承諾て決断力で恋人になってしまうが、このシチュエーションのために、結婚前に性関係を持ってしまう。ここが現代の複雑な難しい面である。
心からは同意しているが、結婚という契約より先んじてしまうのである。私はここはファンタジックにみせてはいけないと思っている。やはりここで評価は大きく下げてしまう映画になってしまった。現代の限界なのだろうか。だが実は男性のほうも女性が好きだった。しかし、相手の素性も知らないで同棲に至ってしまう危険性は現実とはかけ離れているのではないか。大丈夫なのか心配になる段階である。そしてなんとなく伏線かと思うシーンがある。そして半年の別れの約束があったのに、その日が近づいたのに、愛し合ってしまった男女。どうなるのか。それにこれでいなくなったら、あえて単なるというが、「やり逃げ」である。と思ったら、男性が初めての手作りの誕生日ケーキを用意してくれていた。ハッピーバスデーの歌をケーキにろうそくをつけながら歌ってくれる男性。この映画は男女の恋愛関係とともに、タイトルのように、野草が絡んでくる。半年を過ぎても一緒にいられて良かったではないかとも思う。しかし謎の青年である。映画が終わるまでどうなることかまだ不安がある。やはり消えた。ありがとうと添えて、女性を撮影した写真の数々と薬草料理のレシピを残して。だが、そんな悪い男性には思えないが。これでは「やり逃げ」映画で、同棲の危険性を訴えているから、逆に評価は上がるかも知れない。女性は必死に探すがいない。怒るのではなく、泣き崩れる。喪失感で元気をなくす女性。この時点でいったいなにがしたかった映画なのかと思ってしまう。そして女の執念は警察沙汰にまでなってしまう。ここで、女性の母親は再婚していて迷惑をかけられないと女性の都合が知られるが、母親が交番に呼ばれて、久しぶりに親子で対面する。それにしてもどうして男は「やり逃げ」してしまったのか。ひどい男だったのではないか。この映画ではそこまでか。そしてかっこ悪い先輩は先輩なりに見守っていたような展開になる。先輩の告白は断るし、先輩はがっかりしながら承諾するが、良い先輩だったが、実はこうした同棲した当時は優しいがやり逃げしてしまうような現実が、結婚を少なくさせてしまったのではないかという社会学的考察も入っているようだ。未婚にして過去の思い出が永遠の恋人化してしまう人たちの積み重ねが結婚難なのだろう。しかしある面一途だから複雑なのではある。実は永遠の関係を求めていたのに、それが崩れた社会だから不都合が起き続けるのではないのか。宅急便役の人が渋い。だが、男性は女性をまったく捨てたわけではなかった。宅急便で贈り物をしてきた。なぜそうしたのか。女性はネットでその贈り物に関するパーティーがあるのを調べて、出かける。贈り物は『植物図鑑』。写真撮影はその男だった。会場で男性を見つけると女性はそばに行こうとするが、スタッフの女性が耳打ちしていて、とめた。そして男性が華やかにスピーチするところ、女性はこっそりと会場をあとにした。これではやりせないまま終えてしまうが、現実はそうだろう。やり逃げされてしまうのである。
だがよく考えるとわざわざ男性が『植物図鑑』を贈り物にしてきたのはなんだったのか。そして、いったいなんなのだろうか、男性は突然帰ってくる。なんじゃあこりゃあ。そこで謎解きになる。やはり愛し合った人と人は戻って来なければいけないのだった。結婚のプロポーズとしゃれた返しで終える映画だから評価は少し戻そうと思う。結婚後は、男性が素材から料理に詳しくて女性と一緒に料理を食事を楽しむというハッピーエンドである。原作は『図書館戦争』の有川浩、難しい時代のライトノベルである。主演は高畑充希と岩田剛典。