殿、利息でござる!のレビュー・感想・評価
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以下の古い日本的な価値観の良い側面(悪い側面ももちろんあるが)が美...
以下の古い日本的な価値観の良い側面(悪い側面ももちろんあるが)が美しく描かれた。私も日本の感性に染まっているのか、後半は感動しっぱなしだった。
個人主義×資本主義はアメリカのように格差の拡大が止まらない(この映画でも出資者だけが利息を受け取れば、出資者だけが富めるものになった)ので、程よい集団主義×資本主義が社会的には丁度いいのかも。
ただ、藩の財政難の理由が、位を買いたいでそのために、農民が苦労していたと考えると、集団主義は上が阿呆だと苦労するしなぁといったところ。
また、金を出すのが少ない人にたいして詰め寄るのも集団主義の悪い部分で、そこもうまく描かれていた。
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仏教の教えには、自己を超越し、他者への慈悲を重視する思想が含まれています。特に浄土宗や禅宗は、自己を無にすることや修行を通じて他者に尽くすことを強調します。
これが滅私奉公の精神に通じる部分です。
儒教は、中国から伝来した倫理体系で、社会秩序や家族関係、忠誠心を重視します。特に「孝」(親孝行)や「忠」(忠誠)は、滅私奉公の概念に深く影響を与えました。
江戸時代には儒教の影響が強まり、社会全体に滅私奉公の価値観が浸透しました。
日本の文化は古くから集団主義を重視してきました。個人よりも集団の和や協力が優先され、個人の利益は集団の利益に従属するという価値観が育まれました。
これにより、滅私奉公の精神が社会全体に広がりやすくなりました。
面白かった
耐え忍ぶ無私の精神がちょっと宗教っぽくて怖いくらいだが、日本人が好きそうだねぇ〜〜って感じ。外国人が見たらどんな感想を持つのだろうか…OMG!ジャパニーズはイカれてる!とならんのだろうか。これが実話を元にしているというから凄い話だ。江戸中期にすでにお上に利息を払わせようという発想があるのもビックリ。資本主義というのだぞ、それは。
感動で涙、涙、でした。キャストが豪華で主演を張る俳優が勢揃い。みんなそれぞれ素敵でしたが松田龍平が良かったです。彼はいつもなんか飄々としている役が多いので、たまには取り乱して必死な姿も見たいかも?
コメディだと思い込んでた…
コメディだと思い込んでいたら、全然違ってた。
マジメな内容。
どの方も自然な演技で、豪華俳優陣だなぁとしみじみ。
特に、浅野屋の話…泣いた。
山崎努、草笛光子、妻夫木聡がそろったらダメでしょう。
竹内結子の存在感もすごいあった。
松田龍平はあぁいう役が似合うな〜。笑
そして、最後の最後、羽生結弦登場!
豪華俳優陣に見劣りしないオーラがありました。さすがだなぁ。
このようなことが史実にあったことが驚き。 落語の人情話にでもなりそ...
このようなことが史実にあったことが驚き。
落語の人情話にでもなりそうないいプロットなのだけれど、
映画としては少しドタバタに脚色し過ぎてるようにも思えてしまいました。
最後の最後だけ登場した仙台藩主として羽生結弦!
サプライズではあるけれど、ちょっと制作サイドはやりすぎかと。
楽しい映画にまとまってます。
コマーシャルで羽生くんが出てることしか言わないので、中身の宣伝がない映画かあと思っていました。
さっぱりまとまった話でみやすい!楽しい!中だるみもなく、ほんのちょっぴりのハラハラが、微弱に続く感じ、面白かったです。
役者さんの表情もとってもいい味出てました。
苦悩怒り喜び困惑、形容し難い何か、どの表情も見応えあり。
時代劇まったく見ず、ライト向けのこういった映画作しか知りませんが、日本の役者さんは屋内のほのかな灯りや、月夜の明かり、暗闇にひっそり浮き出る顔とか映えるなあ〜
時代劇の絵面だわあと思います。
コロナで疲れて弱ってるせいかエピローグのナレーション部分で泣けました。
面白かったー
歴史のことも、現代の価値についてもくどくならずに説明してくれてわかりやすかった。人情味溢れてて胸が熱くなった。最終的に心底悪いやつはいなくて皆がいい人で終わるのが爽やかで素敵。続々と出演する宮城出身の方々にびっくり。吉岡まで穀田屋さんの酒を買いに行きたくなりました!
名誉と無私の狭間にて
Amazon Prime Videoで鑑賞。
原作(無私の日本人)は未読。
お上に金貸しつかまつる!
これが実話なんだから恐れ入る(笑)。
明るく楽しい作風で、最後まで面白可笑しく観ることが出来ました。穀田屋十三郎(阿部サダヲ)と父親(山崎努)のエピソードという泣き処もきちんと完備。たまにはチャンバラの無い時代劇もいいなぁ、と思いました(笑)。
損得を捨て、名誉を求めず、宿場町のために…
無私の人たちの想いが心に沁みました。
※修正(2024/04/09)
何コレ普通に泣いた!(笑)
評価は3.8くらい(笑)
チャンバラでなければ、こういう時代劇って良いなぁとしみじみ。
発端がガチガチの善意ではなく、勘違いを含めたノリで転がっていくうちに、事業だけでなく、理念もついてくるという展開にまず好感。
やっぱ上手くいかない話を見せられても仕方ないしね。あと説教くさいのも勘弁。
主人公である頑張る地下人達に対して、武士(藩)を(言わば)敵役として描いておいて、最後は殿様のウルトラCで〆る辺りも素敵。やっぱカタルシスだよなぁ。(ここで泣いた)
身分制度なんて嫌に決まってるけど、フィクションならこの程度のロマンは欲しいのだ!
ただ、ちょっと残念なのは、やっぱり小さくまとまってる感。
鑑賞後の感情を直球でつけたら☆4なんだけど、例えば『インフィニティウォー』と同じ評価かよ、っていったら流石に冷めちゃう(笑)
こういう物語を(ある程度の)普遍性をもっと娯楽作に仕上げられれば日本映画スゲェぜっって話になるんだけどなぁ…ううむ。
ちなみに、同じ原作者なのに『武士の家計簿』より断然好みでした。
もう、ああいう土着的にウェットな映画は個人的には勘弁してほしい。
やっぱ、映画は楽しくないとな!(笑)
宣伝とポスターが悪い
あのポスター見ると茶化した時代劇かと思うじゃない。
そんなこと無く、しっかり作られた時代劇。
羽生くんで客引きしてるだけの映画ではない。
40年もの長きにわたる、地元再興のプロジェクト。
浅野屋、穀田屋親子の思いが身に染みる。
観て良かったです
低評価をしている人は、ギャグ目的のみでこの映画を視聴したか、お金をかき集める地道な努力のシーンで飽きて最後まで観てないのでは、と思われます。確かにこれがフィクション映画だったら地味な映画かもしれませんが、実話となると、ただただ関心させられたし、観て良かったと思います。
私はもう最後の笑顔にやられてしまいました笑
僕らは元気に営業中
【羽生重村】
皆さん慎みの掟で口を閉ざしていらっしゃるのか。書いちゃいけないお約束なのかなコレ↓
羽生君が小学生の頃、地元のスケートリンクが経営不振から閉鎖の危機にみまわれ、羽生君達がリンクの存続を市民に訴えたエピソード。
当時、地元のTV局がリンクの子供達の活動を取り上げて、そのときのテロップが「ぼくらは元気に営業中」でした。
ソチ後のTV特番でも「この人がいなかったら金メダルは幻だったかもしれない」と、当時出資してくれた事業主さんに、羽生君がお礼に出向く場面が放映された。ので、ソチにわかの私でも知っている。
そもそもこの映画、東日本放送(KHB)の企画としてスタートしたんだから、劇場用パンフに書いてあるかと思ったら無いし、レビューでも触れられて無いみたいだし、
(ネットのすみずみまでチェック入れたわけではない。すでに書いている人がいっぱいいたらゴメン。情弱で。KHBのホムペとかもまだみてないし)
今更ドヤ顔で指摘してたら笑い者になりそうだけど、羽生重村が過小評価気味なんで書いてしまいました。
↓↓↓
羽生君が中村監督からオファーを受けて、映画の主旨やあらすじに目を通したとき、
金策に奔走する十三郎達の姿に、小学生時代の体験が当然フラッシュバックしたでしょう。
殿様は金策にあくせくする側ではありませんけど、重村様が欲した官位をかなえるために、重臣達は金策に頭を痛めていた。あの「官位」を「金メダル」に置き換えれば、「当家に金がないのは儂のせいじゃ」は本音で言える。
史実では重村様は1767年に念願の官位を賜って、十三郎達の申し出が受け入れられるのはその後なので、浅野屋に出向いた重村様は、まさに金メダルを取った後の羽生君。
ご家族や支えてくれた人々への感謝と、夢の実現のために知らず知らず迷惑かけてしまった人達への謝罪。
殿様だから「酒銘とせよ」「店を潰すことまかりならん」とかセリフはえらそーなんですけど、金メダリストの自分にしか出来ないことを精一杯して、社会に還元・貢献する、映画の重村様はまんま羽生君です。
羽生結弦という人物が積み重ねた20年の歳月に、この映画に必要な要素はほとんど入っている。この役ならできる。自分がこの役をやるべきだという確信があったからオファーを受けたのだろうと思います。
夢だ希望だ理想だ愛だと言ったところで、先立つものがなければどうにもならない、という世知辛さを小学生の頃に骨身にしみて味わって、でもそれから10年足らずで、大望を叶えてしまった人が、終盤、主人公達の悲願達成の場面で、殿様役で登場することには大きな意味がある。
【主軸】
中村監督は、民百姓vs武士 の階級対立を主軸に描こうとはしていない。原作や宣伝のコピーとは違って。
権力者相手のコンゲームかと思いきや、早々に萱場の「利子を取られる側になってはいかん」のセリフがあって、庶民の知恵でお上に一杯食わせる痛快時代劇にはなりようがない。
監督が描こうとしたのは時代劇ではなくて、18世紀に生を受けた人々の現代劇。
だから、随所に「今の世にこのような奇特な人がいようとは」といった意味のセリフがちりばめられている。
監督が瑛太さんにことさら現代風のしゃべりを指示したのがいいアクセントになっていて、
言い出しっぺの菅原屋が、こんな無茶な企画さっさと潰してしまおうと、肝煎りに、肝煎りがダメなら大肝煎りに…とズイズイ進んでいくところがリアリティがあって好きだ(笑
250年前、人々が純朴な時代だったから奇跡が起こった訳ではない。私利私欲にまみれ、猜疑心MAXで無私の献身を嘲笑する人はいつの時代にもいる。
監督の主軸は「夢は滅多には叶わないが、たまには奇跡が起こる」「今も昔も同じ」「奇跡を起こす力とは何か」
人をだます策略は奇跡を起こす力にはならない。
菅原屋は、自称:知恵者ですけれど、自分が思いついた奇策を速攻「無理に決まってる」と却下してしまう。それを拾って愚直に押し進めたのは誰か。どんな要因が、肝煎り大肝煎りを動かしたか。
後半、ブレ始めた大肝煎りを菅原屋が一喝したとき、そこに作為謀略はあったか。
奇跡を起こす力とは? というのを言葉で言い表そうとすると、照れくさいやら嘘くせーやら、とにかくクサいんですけど。クサくなっちゃうんですけど。そこを臭みなく伝えるのが表現者の腕の見せ所。
中村監督は『奇跡のりんご』でも実話ベースであることを強調されてましたが、はっきり「実話でござる!!」って言ってんのに、それでも嘘くさいと文句言う人は多い。美談は疑われ否定される。信じてだまされるのが怖いのか。
本作においても、うっかりすると「江戸時代だからこそ成立した美談(現代では無理)」という感想に流れてしまうところを、平成の世に夢を実現させた人が殿様役で登場する。それが作品の説得力を支える柱になっている。
夢はかなう。奇跡はおこる。
そう簡単にはいかないけれど。
美談がすべてインチキとは限らない。
【武士の衿持】
武士は百姓から年貢を取り立てる悪役…というものの見方だと、この映画を片面しか観ていないことになりましょう。
「無私の献身」は、そもそもはサムライの専売特許なんです。
己の命に代えても主家をお守りする。
萱場もまた「無私の日本人」の一人。
てか、萱場のような人間にとっては、無私の忠義、武士[もののふ]の衿持 が下々にわかってたまるか、であって、その下々にまさかの「無私の志」を垣間見たが故の
>百姓にしておくには惜しい
元来、武士階級より下の身分だと読み書き習えませんから、漢籍由来の人の徳 というものに通じるのが難しい。
命がけで戦って世を築きあげてきた武士からみると、保身に汲々とし利につられて右往左往する下々というのは唾棄すべき存在であり、生かさぬよう殺さぬよう、武家にあらずんば人にあらず、ぐらいの認識だったんでしょう。
時代を経て、豪農(庄屋)や裕福な町人が読み書きを習えるようになって初めて、本作のように、町人の子が幼少より、人としてかくあるべし、と、目先の私利私欲より尊いものに目を向けるようになった。やっぱ教育って大事よね。
萱場と浅野屋2代の間に立場を越えて通じるものがなければ宿願は叶わなかった。
十三郎が萱場の面前で冥加訓を語り、てめ殿様disってんのか になる場面で、萱場は左手で右手にストッパーかけて、迂闊に抜刀せぬよう堪えてましたけど、素の性格は激高しやすいパッショネイターなんでしょうね。鍛錬して自制心を養い、私情を表に出さぬように努めてきた。その結果の爬虫類のような無表情。
2代目浅野屋陣内の終始穏やかで悲しそうなアルカイックスマイル。
1代目陣内の錆びついた顔面がギシギシっと軋みながら笑顔に変わる。あの表情の見せ方はさすがとしか言いようがないです。
三者三様の無表情が3種類の音色で奏でられるベースラインで、その上に、そこまで鍛錬のできていない人々の喜怒哀楽が、主旋律として賑やかに展開する。
で、
萱場←→陣内親子 の接点と、
武家←→千坂(大肝煎り)の接点。
大肝煎りは武士に憧れていたわけですが、別に切り捨て御免の特権が欲しかったわけでもなく、年貢の取り立て屋になりたかったわけでもない。
幕末の近藤勇や土方歳三と同様、
『大儀に殉ずる誇り高い生き方≒武士』
と考えていた。
生真面目な少年の面差しを残す理想主義の若者 というのが千坂仲内の役作りでしょう。
だからあの菅原屋の一喝は効きました。肩書き以前に、なぜ「武士」を志したのか に引き戻してくれた。
大肝煎りが初心に返るシーンも、萱場が十三郎の『命がけ』を認めるシーンも、サムライが『無私の美学』の先駆者であることが前提です。
戦場で敵を切り殺すだけが捨て身の勇気ではない。町人にも命をかける衿持がある。
萱場にはそれを認める度量があったということです。
あと、話は前後するけど共感エピとしてもう一つ。
「浅野屋は潰れ一家は離散となるでしょう」と報告した部下も語調が強かったですけど、報告を受ける萱場もかなりキレ気味で、イラッとした受け答え。「ここに書いてある!!」でしたっけ? (正確には暗記してない)
他人事じゃなかったからだと思います。萱場をはじめ、藩士達がなによりおそれていたのは、伊達家がお取り潰しになって浪々の身になること。3~5代将軍の頃と違って、頻繁に大名が改易になる事例は減ってきた時代ですが、それでも油断はできない。重村様は15歳で藩主になって、3年間も試用期間(幕府の監視付き)があったわけで、若さ故のあやまちでポカがあればそれを口実に…という危機感が常にあった。
(官位を求めたのも、一説によれば、お取り潰しの抑止効果があるからだとか。ナレーションを鵜呑みにして、無駄な虚栄心と誤解してはいけない。あのナレーションは、あくまで庶民の側からすればそんなふうに見えた、というだけだから。)
下級武士なら、次の仕官先を求めて傘貼りでもするところですが、萱場のごとき古武士の気概を残す重臣達なら、二君にまみえず を貫いて切腹して果てるかもしれない。
「お家」が潰れる痛みが、身分の隔てを越えて、武士達を直撃。それを受けての重村様のセリフ
>店を潰すことまかりならん
あれは自身にも「藩を潰して家臣達を路頭に迷わせるような真似はしてはならん」という自戒をこめて だと思います。儂も慎まねばならん。
端々までセリフが深いです。
「原作に忠実」が唯一無二の褒め言葉だと勘違いしてる人等がいるけど、史実を作品に仕上げていく過程=脚本家・映像作家としての力量をもっと評価すべきだと思うわ。
これまで例に挙げてきたシーン、原作と比較すると、中村監督の魅せ方は、芸の無い逐語訳とは違う。
例えば、橋本殿が千坂を親身にねぎらうシーン(着替えを用意してもらってお土産に紬までいただくシーン)とか原作には無いです。憧れの武士階級の人にあんなに親切にしてもらったら、これ以上食い下がって心証を悪くしたくないって気持ちになるのも無理も無いと思う。そういう演出のために、映画の千坂は一人で険しい山道を行き、山犬に怯え、ようよう辿り着くんです。
(原作でも橋本殿の親切は描かれていますが、千坂一人ではなくて複数で訪ねてゆくのよ。馬で。)
(あと、
>店を潰すこと~云々、
映画の重村語録のほとんどがオリジナル。羽生重村にあわせて中村監督が創作したセリフです。)
【慎みというワード】
「慎み」というのは、「厳禁」とは意味が違う。
「なるべくそういうことはしないようにしよう」「そうならないよう気をつけよう」という猶予をもたせた言葉です。だから掟違反に対する罰則もない。
硬直化・形骸化を防ぐため、成文憲法を持たない英国のそれと似てるかな。いい意味での島国的曖昧さ。
それで、どういうときは原則を貫いて、どういうときには掟をゆるめてもOKなのか?
慎みの答えはちゃんと作中にある。
菅原屋が借金棒引きをほのめかしたり、功名心を捨てきれない遠藤寿内(西村雅彦さん)が住職にせっついたりする場面では断固として拒否。
けど、お上への訴状では、先代浅野屋の遺訓を破って、銭を貯め、子に受け継がせ、しかも他言を禁じたこともオープンにしている。
もし頑なに他言厳禁なら萱場が心を動かされることもなく悲願は叶わなかった。
何のための掟なのか を考えればおのずと切り分けは見えてくる。
長文になりすぎたので残りは拙ブログで
ブログタイトル『ライフオブパイ専用ザク格納庫』まで。
で、書き出しに戻るけど、羽生君の小学生時代のエピソード、みんな慎んで敢えて書かないのだとしたらすいません。
気持ちいい映画
原作の「無私の日本人」を読んでみたくなった。
現代では、ボランティア精神という言葉と置き換えると理解が深まるか?それだと、ちょっと聞こえ方が軽く感じてしまうのは私だけだろうか。
日本人には、ボランティア精神は根付かないとよく言われる。
しかし、日本人には昔からお互いさま精神や、もったいない精神など、海外に誇れる国民性がある。
お互いさま精神などは、ボランティア精神に通ずるところがああると思うが、意味合いが少し違う。お互いさまは貧富に関係なく存在するが、ボランティアは富の象徴である気がして、あまり僕は好きではない。
自分のすべての財産を自分以外の何かの為に…、そんな崇高な人間がこの世には確かにいた。
「海賊と呼ばれた男」に登場する日田重太郎もそんな一人だと思う。
この映画にも、そんな素晴らしい人物が登場する。
見終わった後には、すがすがしい気持ちが胸いっぱいに広がる、そんな映画でした。
ぜひ、ご覧あれ!
構図的には山崎努VS松田龍平
250年前の仙台藩の小さな村が舞台。実話だというが、面白すぎる。いや、たいへんためになる作品だった。「マルサの女」の山崎努が、登場シーンは少ないものの重要な役回りで出演している、ご高齢で大変だったろうと思う。松田龍平君がほんとに嫌味な役をやっているが、ものがたりの中では、これまたキーパーソンである。しかも登場シーンすべてに緊張感があり、物語を締めてくれている。さらに、仙台出身フィギュアスケート選手羽生結弦の特別出演がある。脚本がよいので泣ける上に、最後には笑えるという深い感銘を受ける仕上がりになっていた。妻夫木聡、瑛太、阿部サダヲみないい。出てくる役者が全て顔つき体つきから扮装まで当時を研究して再現しているかのようで、リアリティを感じた。基本はコメディだが、サスペンス要素もあり、原作を読んでみたい。
コメディかと思っていたら…
予想外に奥深い話で、人の想いや家族の絆に、思わず涙が出てしまいました。
しかも実話というのだから凄いですよね。
羽生くんが殿様を演じると知って正直、演技できるのかなと思ってたんですが…
新人俳優だと言われても全く違和感なく自然に演じてる様に私には見えました。
あの錚々たる俳優陣の中で凄いですよね。
阿部サダさんはじめ、妻夫木くんに瑛太くんに見事な俳優陣が沢山出演していて楽しかったです。
最後の山崎努さんの笑顔が素敵だったな。
山崎さんは出番は少ないけど存在感があって未来の子らのために、世代を超えて願いを託したんだろうなと感じさせてくれるとても素敵な笑顔でした。
観終わった後に少し幸せな気分になれる映画だったと思います。
妻夫木聡のファンになりました
妻夫木聡、出演作何度か観ていたはずですが、今まで全く顔が覚えられませんでした。しかし今回の浅野屋役!!出てくるたび物悲しそうな憂いを秘めたような顔をしていて、泣いてしまいました。いい顔しますね。
予告編見ずにポスターだけ見て行った作品だったので、タイトルから殿から利息もらって悠々自適に暮らそうというコメディかと思って
たのですが、全然違う!!いい意味で期待を裏切ってくれました。
序盤は阿部サダヲにおされ嫌々巻き込まれる瑛太を面白く観ていたのですが、ストーリーが進むにつれて先代浅野屋の子、子孫、町を思う気持ちが明らかになり、涙なくしては観れませんでした。その想いに突き動かされ役人、町民が動く。1人の父親の想いから始まった願いが何十年の時を経て叶ったんです。町を救った。他人にどう思われようがかまわない。ただただ自分の信じている正義を貫き、子孫、町の幸せを願っていた男がいた。そんな素晴らしいストーリーに道化を含ませコメディタッチで描いたお腹いっぱいの作品です!
中村監督すごい!
中村監督による中村ファミリーによる感動的な会心作です。
題名とポスターでコメディと思わせておいて、中身は涙腺を刺激する人情噺です。しいたげられた民衆の汗と涙の苦労話であり、家族の絆の再生の話でもあります。
ですが全編湿っぽい暗い話ではなく、ところどころでクスリと笑わせてくれます。
濱田岳のナレーションもほのぼのとした味を出しています。
阿部サダヲ、瑛太、竹内結子はキャラが立っていて言うまでもありませんが、妻夫木聡が素晴らしかった。これが妻夫木君?と言うような抑えた演技で感動の渦の中心となっていきます。
千葉雄大もキャスティングの意外性がありましたが、とても落ち着いた演技で難しい役どころをきちんとこなしています。
そしてなんと言っても松田龍平の怪演が光ります。
こんな演技 空気感 他の人では絶対出せない!
ですが!!やっぱり山崎努なのです。
最初と中盤、そして最後の最後にも良いところを見事に持っていってしまいました!!あのしわしわの顔で!!
人情話
拾い物だった。
コメディなのかと観にいったら、いやいや、とてもとても深い人情物語であった。
扱ってるのは「金」に絡む事柄ではあるのだが「金」よりも…いや、「金」も大事だが「金の使い方」も同じくらい大事だと考えさせてくれる。
金に振り回されてる世の中ではあるが、それを駆使してるのは人間なんだと。
「人」なくしては全てが絵空事に終わるのだと。
凄いしっかりした中身のある作品だった。
凄く素直に理解し共感できる。
全ての伏線をしっかりと回収してくれる点も良かった。
役者陣に曲者も多く見応えがある。
思わぬところで出会った良質な人情物語であった。
松田龍平を監督自らが怪優に育ったと評していたが、ブラフじゃなかった。
父親の遺伝子を継いでると思ったカットがあった。
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