天使が消えた街のレビュー・感想・評価
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天使が微笑まなかった映画
2007年にイタリア・ペルージャで起きたイギリス人女子留学生殺害事件をモチーフにしたミステリー・ドラマ。
いつぞやの「アンビリバボー」か「世界仰天ニュース」で取り上げられ、見よう見ようと思っていた内にすっかり忘れ、今になって鑑賞。
尚映画では、2011年のイタリア・トスカーナに変更されている。
イギリス人女子留学生のエリザベスが殺害され、ルームメイトのアメリカ人女子留学生ジェシカとその恋人らが逮捕。(名称も実際の事件から変更されている)
実際の事件でも本作でも、ジェシカの美貌があれこれ良くも悪くもフューチャーされ、スキャンダラスで加熱な報道合戦が展開。
マスコミのゲスさは万国共通。
その控訴審が始まろうとしている中、事件の映画化オファーを受けた映画監督のトーマスは現地へ。
アメリカ人ジャーナリストのシモーンの協力で、事件についてリサーチ。
下世話なサスペンス作品ではなく、被害者に寄り添った作品を作ろうとするが…。
事件の概要が語られるサスペンス・ミステリーではなく、意表を突いた作り。
それでも事件に迫った序盤~中盤までは良かった…のだが、
中盤~後半につれ、迷走と言うか、話が見えて来なくなる。
それはトーマス自体が思うように製作が進まずを反映。
何だかこの題材がおざなりになり、シモーンと関係を持ったり、悪夢で化け物が登場したり、トーマスのイマジネーションでヘンなシーンやヘンな展開になったり、もう訳が分からない。何を描きたいの…?
監督はマイケル・ウィンターボトム。個人的に好きな『ひかりのまち』などのヒューマン・ドラマの名匠。
同じく実録事件を題材にした『マイティ・ハート』もヒューマン・ドラマ仕立てで、端からサスペンス・ミステリーは期待出来なかったのだ。
この題材と途中までの展開と、トーマスに協力する女子大生役のカーラ・デルヴィーニュの“天使”の魅力のみに。
「映画」とは
出だしから神曲(しんきょく)のようなものが流れてきて、あぁ ただ事ではない(バットエンドか問題提起してくるタイプの)作品だなと感じた
フィクションなのかノンフィクションなのか
劇中にも言及されているように2つを織り交ぜることで問題を提唱する
生と死、妻の元に戻るか新しい彼女を迎えるか、地獄から煉獄へそして天国へ
作中で監督を演じるキャラクターの理想そのものが映画になっている
最近、映画を作る側に関する映画を立て続けに見ているんですが、中でもこれが私の中ではダントツで好みでした
ドキュメンタリーのようでもあり、史実のようでもあり、でもそのどれにも至っておらず
見ようによっては中途半端な と思いもするけれど、それこそが生と死と人生なのかなと
ダンテを読んだことがないので自分の解釈があっている自身はないけれど…
地獄とは
妻を奪われ愛する娘と会うのもままならず、映画監督として新たな作品が出せていない(スポンサーの求めるものではなく彼の想う作品を出したいという思いが強いが故)という状況
また、真実を追求しようとせずうわべしか報道しないメディアへの憤りも地獄であり、煉獄への橋渡しかな
煉獄とは
真実を見つけられなくて薬に手を出し始めてから。誰も信じられなくなって真実を見つけられずに、プロットもうまくいかずに何も進まないという試練、というかままならない状況
天国とは
ここは見てたらわかるけれど、答えを、真実を求めてくすぶっていたけれど、それがわからずともダンテ巡礼の時に穏やかな雰囲気になっていたので 裁判後が天国かな
煉獄からの解放は元妻ときちんと話し合おうと決めて前に進んだこと
結局こうやってみると、事件については監督の成長?のためのファクターであって真実がどうだったかとかわかんなくてもオッケーだったんだなぁと
気になりはするけど実際 真実がうやむやな事件だってあるだろうし そういうままならないのが社会なのかな
監督の書いてるプロットが映像と一緒に流れるシーンは特に好きです
脚本から映像ってこうやって撮るんだと感動
ほんとに、起承転結 答えを必ず求める人にとっては「だから 何がどうなった????」って映画なんだけれど、キャラクターの語る「撮りたい映画」「映画とはこうあって欲しい」と思うように物語が進み スポンサーやオーディエンスが求める「商品」ではなく 映画としてあるべき形で映画ができていて素晴らしいと感じた
なかなか 映画業界も大変(日本はそうだけど海外はどうなんだろ?)で 売れるものを作らなきゃスポンサーにもついてもらえない。でもそれが果たして映画のあるべき姿なのか。
その問題提起がいちばん感じられて、自分もそう思うところがあるのでいい作品だなと感じた
企画も流れ女房も寝取られコカインに逃げるクソ監督の逃避
本当の事実や裁きは存在しない、がテーマの映画を作ろうとするも筆は遅いわ方向性は定まらないわダメダメ監督の劇中劇というかセルフドキュメントというか。
ダンテの神曲、新生
女優陣が可愛いのが救い
支配的なセックスは何を意味するのか
みなさんが書いている通りの映画(でも私にとってはけっこうよかった)
みなさんが書いている通りのつかみどころのない映画。
低評価の意味がよくわかる。映画の中で監督が言っていた通りに作った感じ。
でも、私にとってはけっこうよかった。
なぜだろう。
映画の中ではまったく描かれていない被害者なのだけど、一人の人間として生きた、まわりの人にとってはかけがえのない存在というか。
実際、私たちにとっては、人の死なんてそんなもんですよね。
知らない人の死なんて悲しくもなんともない。
だけど当事者たちにとっては、それこそ深い悲しみの中から立ち上がることさえできない。
うまく言えないのだけれど、なんかそんなことを感じながら見終えました。
わからなかったという人は、レヴューのりゃんひささんの解説が一番よくわかるかも。
何も良いところが無い糞映画 金返せ
予告では事件の真相を描くサスペンスかと思いきや全然違うという、まず非常に残念なストーリー性に加えて
芸術家気取りの謎の意味をなさない、ただ混乱させるだけのインサート
ケイト・ベッキンセールとの恋はどうなったの?あれは遊びなの?何の意味があるの?
最後カーラー・デルヴィーニュに癒されるみたいな展開だけど、全然そうは感じなかった
全く共感できなかったし、スランプに陥っている監督の話なんて興味ないし
本当にお金返して欲しい。
和訳の人も初心者
支離滅裂…
監督が個人的趣味で撮ったような映画で、無駄に予算をかけたような印象。よくもまぁ、この映画の内容のような結末にならなかったものだなと思う。監督のネームバリューといったところか─。
酒、ドラッグ、セックス、マーダー、暴力、全部出てきます、そして話も決して良いものではありません。
結局、何を伝えたかったのか、全く理解できませんでした。中途半端に墜ちてゆく監督のお話を長々と見せられて何も得るものがありませんでした。
まさかフェリーニのあの監督ものを真似たわけでもあるまい・・・個人的にはあの名作と呼ばれるものも好みでないし、当然、この映画も好きになれるはずもない。
「ベニスに死す」のような滅びの美学的なものも感じたなぁ。嫌な影響も継承していくということなんでしょうかねぇー。
つかみ所がない
サスペンスではなく事件を取材した映画監督の話。
大してディープな波風が立つ訳でもないし山場がない。
記者達に対する気持ちとかはわかるけど、ところどころ差し込まれる夢の表現とか、妄想に飲み込まれてコカインに溺れる主人公とか、エピローグ部分とか、自分には噛み砕けなかった。
冴えない映画監督が再起をかけて映画を作ろうとしたが、世間の欲しがるものとは感覚がずれていて、自分の案は否定され、ちんたらやってて結局失敗。それでももっと自分は人間らしく生きて行くんだ。って感じ?
実際の事件で感じたウインターボトム監督自身の気持ち
この作品は、イタリアで実際に起きた英国人女子留学生殺害事件(被疑者の名から、アマンダ・ノックスと称される)をモチーフにしていますが、通常のミステリー映画とはまったく異なります。
そこいらあたりは踏まえておかないと、なんじゃぁこりゃぁ的な映画になってしまいます(かくいう、りゃんひさはかなりこの状態でした)。
英国人の映画監督トーマス(ダニエル・ブリュール)は、5年ほど前にシエナで起こった英国人女子留学生殺害事件について映画化するように製作者から依頼された。
彼は、先ごろ離婚したばかりで、英国の人気女優である元妻との間で、幼い娘の親権を争っている最中であり、それが故か、最近は監督業は振るわず、まったく映画が撮れていないような情況である。
イタリアに赴いた彼は、事件を取材する女性ジャーナリスト・シモーン(ケイト・ベッキンセイル)の助けを借りて、実際に事件が起きた現場や関係者たちに取材をするが、脚本は一向にはかどらない。
その上、ドラッグに溺れるようになったトーマスは、しばしば幻覚をみるようになっていた。
たとえば、事件があった日の様子や、彼がみてしまった妻の浮気現場などなど・・・
といったハナシ。
事件の再現や謎解きはまるでありません。
この映画で描かれるのは、映画監督トーマスの苦悩。
なにか、救いや慰めはないのか・・・
ただただ、ドラッグに溺れる彼の姿は痛々しく、観ていて陰鬱になってきます。
そんな彼が、劇中、2度ほどつぶやくセリフが印象的です。
「暴力や死が溢れる映画を撮るのは、もういやだ。愛のある映画を撮るんだ」と。
このセリフは、マイケル・ウィンターボトム自身の心のうちなんでしょう。
『ウェルカム・トゥ・サラエボ』『イン・ディス・ワールド』『マイティ・ハート/愛と絆』と国際紛争を舞台にした映画や、『アイ ウォント ユー』『キラー・インサイド・ミー』などの暴力と死がモチーフの映画を撮ってきた彼にとっての。
なので、最近作は、ほとんど大きな出来事が起こらない日常を足かけ5年かけて描いた『いとしきエブリデイ』を撮ったのでしょう。
この映画には具体的な暴力や死のシーンはほとんど出てこないのですが、いくつか印象に残るシーンがあります。
ひとつはトーマスがみる幻影・幻覚(これは判り易い)。
もうひとつは、英国の元妻のもとで暮らす娘とのインターネット会話のシーン。
ここでは、一方的に通信が切断されることで、娘の画像が静止画のまま動かなくなってしまうシーンがあり、死を感じさせます。
このように、図らずも暴力や死に囚われたトーマスは、だれが犯人とか、なぜ殺したとかいう事件の内容よりも、事件の被害者がどのような女性であったのかに惹かれていきます。
被害者の劇中の役名はエリザベス、実際の事件ではメレディス・カーチャー。
この被害者の姿が、のちに女性ジャーナリスト・シモーンに替わってトーマスを案内する英国人大学生メラニー(カーラ・デルヴィーニュ)とダブっていきます。
そして、そのメラニーはトーマスの幼い娘の姿とも重なり合っていきます。
この事件で確かなことは、ひとりのエリザベスという被害者がいたということ。
幻影ではなく、それだけは確か。
そう、トーマスは感じるのでありました・・・
といった感じの映画なのだけれど、やはり、サスペンスやミステリー映画だという思い込みがあったせいか、どうにも曖昧模糊としていて、すんなりと入ってきませんでした。
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