「戦争の皮を被った青春譚」この世界の片隅に 福田恆存さんの映画レビュー(感想・評価)
戦争の皮を被った青春譚
この作品は「戦争」に本質がある訳ではないらしい。
実はたんなる一田舎娘の青春譚なのでせう。
仮に戦争要素がごっそり抜けていても、普通に物語として成立していたやうに思われる。
この作品には戦争映画特有の切実さがない。
『野火』『永遠の0』『火垂るの墓』『はだしのゲン』などを見て感ずるあの呼吸器が締め付けられる切実感がない。それはやはり距離感の問題であらう。
『この世界の片隅に』はまさに戦争の片隅に位置する人々の話で、戦争映画によく漂う腐臭と吐き気、醜悪さ、絶望、目を背けたくなる感がまるでない。始終、流れるやうな綺麗な筋書きである。だがそれでよい。おかげで何度も観れる。
舞台は第二次世界大戦中の広島。
いかにも虐げられし人々の描写がなされそうだと予感せられる。が、蓋を開けてみるとそんな事は殆どない。普通(とはいかないまでも、それなり)に暮らしは成り立っているやうだった。
その上で勝手な縁談、若い男女が抱く感情、周囲との人間関係、葛藤、ウーマンリヴ精神これだけ素材が揃っていれば別に戦争映画でなくてもよい気がする。だが、ここに戦争といふスパイスが加わることによって我々はある種の感動パターンに嵌められて涙してしまうでせう。
戦争はあくまで付加価値なのかもしらん。
「従来の戦争映画とは違う」というより、「従来の青春譚に戦争要素を染み込ませただけの映画」であらう。
戦争そのものについてのイデオロギーを語るなら、フィクションのアニメである必要はないのでは?むしろフィクションの世界でイデオロギーを語るほうが悪質なのでは?
全く同意します。
私がこの作品に感じる違和感・嫌悪感について的を射た回答を記載して頂いていると思い、コメントさせて頂きました。
戦争を主人公の背景の一部としてしか使用していない点に関する問題点はもっと指摘されるべきと思います。
この作品は言葉は悪いかもしれませんがタチが悪く、人気や実力のある批評家(町山さん、宇多丸さん、岡田斗司夫さん、山田玲司さんetc)が褒めてしまった手前、批判しにくい・されにくい作品になってしまったと思います。
ですが、この作品に納得できない人は声を上げ続けるべきだと思います。
状況なんてテエマ次第でいくらでも好きなように作れるでせう。
私が一貫していっているのは、この作品は本質的には青春譚だといふこと。
はだしのゲンなどは、少年の生き様を通して戦争の悲惨さを伝えている。
つまり、本質は戦争にある。
一方で、この作品は戦争という材料を用いたりして少女の葛藤や情緒を描いている。
だから別にこれが一家惨殺事件で生き残った少女をテエマにしようと、中東の移民少女をテエマにしようと、部活をテエマにしようと本質は青春譚なのだから、何ら構造的な違いはなかろう。
状況なんてそもそもこの作品の飾りみたいなもので、決してその悲惨さをどうこうしようというものではない。
私はこの作品に「戦争映画特有」の切実感がないといっているだけで、切実感がないとまではさすがに思いませぬ。
しかし、その切実感とやらは、貴方のいふ戦争の悲惨な状況にではなく、あくまでそれを介したすずの情緒に表れているだけではないでせうか?(それならば、他の青春譚のシステムと何ら変わりはないでせう。テエマが戦争か部活かスラム街か。その程度の差でしかありませぬ。)
街が一瞬にして燃え尽きたシーンも無風の飛行機の襲来も一見写実的にみえがちですが、冒頭の「ばけもの」同様、印象的な感も拭えませんな。つまり、綺麗サッパリと描かれている。まあそれが貴方のいふアンチテーゼであるのなら、私がとやかくいふこともなかろう。