劇場公開日 2016年11月12日

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「「生きねば」」この世界の片隅に チンプソンさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0「生きねば」

2016年12月12日
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鑑賞方法:映画館

楽しい

怖い

公開館数が絞られたせいで、見れたのは一ヶ月後の12月10日。にも関わらず週間動員数は上位を維持している現象は、見終わった今、至極納得がいく。それほど“普通”の映画だったからだ。

“普通”とは何か?と聞かれた時の回答には必ず何かと対比した場合の“普通”を答える。
今の人々からしたら、物語の舞台となった1944年頃の人々の暮らしを“普通”とは思えない。食糧難や軍が間近にある環境を異常な状況であると、今現在と対比して思うからだ。
では当時の人はどう思っているか。高齢者は口癖のように現代をこう言う。

「便利な世の中だね」

高齢者の中では、今は“普通”ではないのだ。
“普通”とは、生まれて自覚したその瞬間から定義付けられる流動的なものであり、戦後70年以上経った現在の自分達から見た戦中は異常であり、しかし成長期をあの時代に迎えた人にとってはあれが“普通“なのだ。
勿論、悲しい思い苦しい思いがたくさんあった。けれどもそれはいつの時代にも潜み、付きまとう苦難であり、それを加味して人は“普通”を定義付ける。
問題なのはその“普通”とどう向き合い生きていくかだ。

人から見れば主人公のスズは、のろまで頼りない。しかし本人は頑張り屋さんで、やることはキチンとやる。嫁入り先で環境が変化した後でも頑張る(円形脱毛症が出るくらい)。
見た目は呆けた感じだが、根はしっかり。スズは嫁入り先の“普通”に順応しようと奮闘したわけだ。
そんなスズに対して同級生のテツは「普通の人でいてくれ」と打ち明ける。今後始まる異常な時代を予見してテツはスズに言ったのだ。
事実を知ってる我々は激化する空襲を知っている。その暗澹とした大戦末期でも、スズは変わらず、そしてスズのその周りも切迫した様子を見せない。どこかしらに笑いが含まれる。
それは知らず知らずのうちにスズの“普通”(のろま)に嫁入り先の家族も順応したからだ。
スズ自身が笑いの器としているように、スズの存在そのものが起点として周りを笑わせ、楽しませた。時代が異常な方向になる中でスズたちはスズのおかげで“普通”を保てたのだ。

しかし1945年になると、そのスズの“普通”は限界を迎える。
スズにふりかかった悲劇、責任はスズを普通の人でなくしてしまった。
ただ見ようによっては、その普通の人でなくなったスズは、現代の人にとっては“普通”に見えてしまう。あののろまなスズの感情が爆発したシーンを見て、逆に我々はそれを“普通”と見てしまうのだ。
しかしスズの感情爆発シーンを見た現代の人が感じたその“普通”が、戦後回復していく日常に対して何かの糧になるのか?と考えたら、なにもならない。
辛かった。だがそれは終わった。これからだ。
スズは再び“普通”に戻るのだ。

戦争が人を変えるのは事実であるが、そんな状況下でも希望を忘れない、生きる気持ちを忘れないのはとても大事なことであると思い知らされる映画だ。
監督がこれを先の311と掛けて震災映画とも語った時、自分の中で311当時報道された瓦礫から救出されたおじいさんの言葉を思い出した。

「また再建しましょう」

この言葉がピッタリの映画だった。
奇しくもこの物語は宮崎駿監督作品の「風立ちぬ」と通じるところがあると思う。
あれが飛行機設計に身を費やし、為した先に悲劇しかなく落胆した結末で終わったのに対して、これはその先を描く、「生きねば」を具体的に表した作品であると思う。
正直風立ちぬより「生きねば」というキャッチコピーが似合っている。それぐらい活力があった。

泣きたくなる作品だが、泣いちゃあスズさんに悪いなぁ・・・

チンプソン