この世界の片隅に : 映画評論・批評
2016年11月8日更新
2016年11月12日よりテアトル新宿ほかにてロードショー
すずさんと共に生きる至福の126分。戦時の日常を描く人間賛歌
大災害や戦争の影響を語る時、我々はしばしば犠牲者の数によってそれを語ろうとする。だがその数の裏には、犠牲者の分だけ途方もない悲しみが積み重なっている。人の命の重みは数によって決まるものではない。交通事故で家族を失った悲しみと戦争のそれとに、どれほどの違いがあるのか。積み重なった悲劇の山の大きさを知ることも重要だが、その積み上げられた、塵のようなひとつひとつの人生を想像する力を決して忘れてはならない。
こうの史代原作、片渕須直監督「この世界の片隅に」はそんな小さな物語への視点を大切にする作品だ。本作は戦争を伝える作品ではなく、戦争のある日常を伝える作品だ。原作のあとがきの言葉を借りれば「戦時下の生活がだらだらと続く作品」。日常のなかに平然と悲劇が入り込む戦時下の特殊性と、食べたり、笑ったり、喧嘩したり、愛したりといった普遍的な営みが同居する。少ない配給の中で工夫する食事がとても美味しそうで、間抜けなことにはみんな笑い、連日やってくる空襲警報にも次第に慣れ、防空壕の中で世間話に花が咲く。そんな日常を温かみある手描きの作画で切り取ってゆく。
とにかく、画面に映る人が、風が、海が、瑞々しい輝きを放ち、もうほとんどの日本人が体験したことのないはずの時代の息吹が画面の隅々から発せられている。漆黒のスクリーンにすうっと画面が映し出されてまもなく、この世界に引き込まれてゆく感覚。素朴で美しいアニメーションと声優陣の素晴らしい演技が一糸乱れず調和し、この時代に生きたことはないのに懐かしさが胸いっぱいに広がる。特に出色なのは主人公すず役ののん。芝居の良し悪しの次元を飛び越えて「すずさん」としてフィルムの中で生きている。
観客はこの映画を見ている最中、すずさんと共に生きるのだ。戦時下の過酷な時代にあっても、人間らしくあろうとする彼女と共に生きることを許してくれるこの126分間は、なんて幸せな時間なのだろうと心から思える作品だ。
(杉本穂高)