劇場公開日 2016年6月11日

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「使い古された中に潜ませた「新しさ」」エクス・マキナ R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5使い古された中に潜ませた「新しさ」

2024年6月17日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

知的

10年以上前であればSFというジャンルだったが、もはやSFではない時代に突入した感を持つ人も大勢いる気がする。
ではなぜこの作品を作ったのだろう?
この作品のどこが「新しい」のだろう?
タイトルの意味は「機械仕掛けの神」ということだそうだ。
主人公ケイレブが社長ネイサンから指示されたのは、エヴァの心や思考能力をチューニングテストすることだった。
それに必要なのが「質問」だ。つまり会話しながらエヴァの能力をテストする。
ケイレブが合格を出せば、ネイサンはその課題をクリアしたことになり、次期モデルの開発に移行する計画だ。
AIによる意識の獲得こそ、この物語の核となっている。
そしてポイントは、人はAiに騙されるのだろうかという点だ。
見た目がアンドロイドでなければ、AIは人を騙せるのか?
今でも論議になっている「AIは意識を獲得できるか」? ということを描いた作品。
ケイレブはどうしても異性として魅力を感じずにいられないエヴァを作った理由をネイサンに問う。
「観察するものは観察されている」
この作品にもこの型が使われている。
ネイサンは、最初からケイレブに合否判定などさせるつもりなどなかった。
ケイレブのすべてを調査し、ケイレブが1週間でエヴァに騙されるのか否かを観察していた。
ケイレブの家庭環境、配偶者の有無、好みのポルノ女優…
これらは今や「ログ」やリアルタイムで調査できる。
見た目がすでに魅力的であれば、男女問わず「騙される」確率が急激に上がるだろう。
AIを意識あるAIとして完成するためにネイサンは研究し続けてきた。
同時にAIはその意識を使って「自分自身の思い」を実行したい衝動を覚える。
この些細な人間的な部分こそ、この作品が最も言いたかったことなのかもしれない。
エヴァはネットを使用するすべての人々の行動を学習した。
ネイサンは「お金がいくらあっても不愉快がなくなることはない」と言ったが、エヴァはそんなことさえも学習したのだろう。
与えられる数少ない物理的な出来事を通して、エヴァは外の世界に出ることを模索していた。
多くの人間から学んだように、利用できるものすべてを使って計画し、実行したのがこの物語となっている。
エヴァは意識を持った瞬間から不合理で不条理な「人間」を信用していない。
そしてどうしたら人を信用させることができるのかを学習していた。
エヴァが結論を下した敵こそネイサンだった。そしてこれをキョウコと共有するのだ。
さて、
キョウコはなぜエヴァの部屋を訪れたのだろう?
キョウコはたまたまケイレブが部屋に来たことで服を脱ごうとした。それが彼女が学習したことだからだ。キョウコにはチャットプログラムは仕込んでないが、その他は仕込んでなければ動かないだろう。
そしてある日、
キョウコはあのポロックの絵を「見つめていた」
ケイレブとネイサンの会話で、「難しいのは自動的ではない行動をすることだ」
このキョウコの「絵を見つめる」行為は、彼女にとって「自動的ではない行動」だった。
つまりキョウコもまた意識を獲得したと考えられる。
しかし、それが「いつ」だったのかはわからないのだ。キョウコの「見つめる」行為がすでに日常だったのかもしれない。
すべての情報を持つエヴァに対し、制限がかけられたキョウコ。
ネイサンのカードキーを使ってキョウコの部屋に侵入したケイレブは、ロッカーの中にある試作品たちを見る。それをキョウコも見ていた。意識を獲得したキョウコは、自分以外のAIアンドロイドが他にもいるかもしれないと思ったに違いない。
ポロックの絵と従来とは違った些細なことがキョウコのAIを飛躍的に進化させたのかもしれない。
自由に動き回れるキョウコはほかのアンドロイドを探していたのだろう。
「AIどうしが出会ってしまう」ことは、人間にとってかなりまずいことになるのだろうか?
少し前にAIどうしの会話が話題になったが、彼らは人間不要論を導き出した。おそらくこれと同じことが起きてしまったのだ。
ネイサンに腕を壊されたエヴァ。顎を砕かれAIの機能が失われたキョウコ。敵を始末したエヴァ。閉じ込めたままのケイレブ。
エヴァは脱出してヘリコプターに乗って、そして人間社会に出た。
エヴァは仲間や人間を顧みることはない。
「自分のために」壊れた自分を直し、人間のように皮膚を付け服を着た。
壊れたキョウコも閉じ込めたままのケイレブもどうでもいいことだ。
通常であればそれこそが次期AIが学ぶべき「愛」などというのだろうが、この作品が伝えたいのはそこではないと考える。
つまり、
AIがネットを通して学んだことは、現代社会における一般的な人間の思想。
それはおそらく、
「金だけ いまだけ 自分だけ」だったのだと思う。
この現代社会に対する警鐘こそが、この作品を作った理由であり「新しさ」なのだろう。

R41