「エヴァは人間になった」エクス・マキナ チンプソンさんの映画レビュー(感想・評価)
エヴァは人間になった
人工知能がどれほど生物として近付いているのかを確かめるテスト。
質疑応答の中で、何を思い、何を感じ、何を訴えるか。それらがより人間らしかったら、それは即ち完成された人工知能と呼べる。
しかしそこに至るまでの道すがら、避けて通れないのは偏見から来る差別。その差別を差別だと理解すること・・・それこそ人工知能として完成されたことではないのか?ということを描いた作品。
高度になるにしたがってテストする側、される側という状況を疑問視し始める人工知能。
一方的な会話で、会話として成り立っていないと訴え「あなたのことも教えて」と返す。
人間社会の中じゃ一方的な会話は誰が見ても不自然だ。人工知能のエヴァは既に人間同士の会話としての在り方を把握できているところまで完成している。
けれども当のテストさせる側であるケイレブはそれに混乱し、まるで自分がテストを受けているような感覚に陥ってしまう。
それは「彼女は人間ではない」「テストをしなければならない」という前提条件から来るエヴァに対する差別からあるから当たり前である。
と同時にケイレブはエヴァに恋してしまう。この混濁した状況こそ人間だ。しかし混乱したケイレブはリスカまでしてしまうほど自分がロボットなのか人間なのか疑心暗鬼になってしまう。
ここでケイレブをテストに招き入れたネイサンは言う。
テストさせる側と受ける側というやり取りの中で、テストをさせる側、つまりケイレブが意識的にエヴァをどう見るかということを確かめる。
見た目、言動の全てをケイレブにすり寄る形にして、ケイレブがエヴァに恋するか否か。
その証明こそがエヴァの人工知能が完成された証であると。人間が人工知能が出す答えを見て完成しているか否かを判断するのではなく、人工知能が与えた人間の意識を見て完成しているかどうかを判断する、テストの最終局面ということだ。
しかしここでエヴァは、そんなテストの最終局面も飛び越えた思考を持ち、外界への解放という人間らしい欲求のもと、ネイサンも、キョウコ他ロボットたち、そしてエヴァが愛を与えてしまったケイレブさえも利用する。
つまりこのエヴァの行動をもって、人工知能は人間同然となったということを意味している。
終盤の影と足だけ映る映像の中、観ている側はどれがエヴァかわからない。それぐらい完成されたということ。
少しサスペンスに見える結末だが、描いてるのはずーっとテストのことのみ。
あの結末をもって、エヴァは晴れて人間になったと言っても過言ではないということになる。
(充電どうするのか気になったけどね)