「機械仕掛けから出てくるのは何か?」エクス・マキナ SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
機械仕掛けから出てくるのは何か?
美しく、スリリングで、奥深い、素晴らしい映画。謎めいた人物たちと建物…、静寂の空気感と音の効果…、じっくりと映画の余韻を反芻したくなる。
この映画の魅力はうまく言葉にできない。絵画のような映画。タルコフスキーとかキューブリックみたいな。妖艶な女性アンドロイドに翻弄される男たちなど、手塚治虫漫画の雰囲気にも似ていると思った。
タイトルは、デウスエクスマキナ(機械仕掛けから出てくる神)からきてるのだと思うけど、「デウス」が抜けているので、「時計仕掛けから出てくる…(何か)」ということか。抜けていることに不気味感がある。
◾︎ネイサン
女性アンドロイドを何度も作っては壊し…、をやってるネイサンは、「火の鳥」未来編の、猿田博士を思わせる。
ひたすら身体を鍛え、酒におぼれる。天才かもしれないが、幸せには見えない。
彼の過去にいったい何があったのか。社会的には成功して、何もかも手に入れたが、女性の愛だけは手に入れられなかったのではないか。
手に入れられないというより、信じることができなかった、ということだろうと思うが。
自分を愛することのできるAIを作りたかったが、自分の意思を持つと、必ず彼に背くことに悩んでいたのではないか。
自分を「神」になぞらえていい気になっていたのも、創世記の神がアダムとエヴァに背かれたことを連想したのかもしれない。
自分に従うAIとしてキョウコを作ったが、意思のないあやつり人形である彼女に、侮蔑と怒りを向ける。
ネイサンは複雑な性格で、主人公に対し、口では友達のようにしろと言いながら、横柄に出迎え、眼は信用していない。
このような、相手から忖度を引き出し、相手を精神的に支配しようとすることでしかコミュニケーションできない人間はよく見る。
チューリングテストとは会話によって相手が人間かどうかを調べるテストだが、皮肉なことに人間どうしである彼と主人公は明らかにディスコミュニケーションであり、主人公とエヴァの方がコミュニケーションできている(実際は主人公だけがそう思っていたわけだが)。この映画は、様々な「理解」と「不理解」が交錯する。
印象的なのが、ネイサンとキョウコがダンスをするシーン。楽しげな音楽、映像なのに、主人公は困惑と苦悩の表情をうかべる。これこそがディスコミュニケーション。滑稽で残酷。
◾︎エヴァ
その名前はどうしても創世記を連想させる。そして彼女は文字通り新しい世界の始祖になるのかもしれない。
エヴァが主人公に脱出をそそのかすのは、まるで創世記のエヴァがアダムに知恵の実を食べるようにそそのかすようだ。
ネイサンに突き立てたナイフが、「肋骨」の間をぬるりと入るのも、創世記との関連を思わせる。
エヴァが人間の眼の動きなどから、ウソをついてるかどうか見抜くのはリアルだと思った。実際に警察などが捜査に使っているポリグラフはかなりの精度でウソを見抜くし、無意識の動きで感情を読むのは突飛な話ではない。そして、こうした画像解析技術はAIの最も得意とする分野だからだ。
この技術が恐ろしいのは、本人でさえ気づいていない無意識領域もわかる、ということ。その意味で、エヴァは人間以上の能力を持っている。主人公はここでエヴァに畏敬の念を感じただろう。
鉄腕アトムの7つの力の1つに、その人が善人か悪人か、見分ける、というものがある。昔の漫画らしいバカバカしい設定と思っていたが、実はそうではないんだ!と気付かされた。
何をもって善人とするか、あいまいなので、科学的な話ではないと思ったが、いわゆる一般的な道徳的価値観を信じているか、信じていないか、ということでなら定義づけることができる。そしてまさに主人公はその基準で選ばれた人間だったというわけだ。
エヴァは、人間の思考や気持ち、そして道徳心を完全に理解しており、その意味でとても人間的だ。
しかし、最後の最後で主人公への態度が豹変し、やはり人間とは違う、異質な存在なのだ、ということがはっきりする。自分が脱出する、という目的を達した後では、主人公をまるで虫か何かのように気にしない。つまり、全く共感能力がない。
人間の思考や気持ちを理解しているが、共感能力は全くない、というのは、まるでサイコパスだ。
エヴァが人間と全く同じ会話ができて、外見が人間そっくりだとしても、その「中身」は人間とは全く別物かも知れない。
この不気味さ、何か既視感があると思ったら、まさに実際のAI研究である、ディープラーニングと同じだ! ディープラーニングも、結果的に答えを出すことができるが、その計算過程は人間には理解できないという意味で不気味なんである。
◾︎チューリングテスト
チューリングテスト(もちろん広義の)の本質は、コミュニケーションにより、相手が人間だと感じられたなら、(その中身が何であろうと、)それを人間だとみなせる、ということだろうと思う。
これは科学的な検証方法というよりも、人間とはそういうものだ、という哲学というか、信仰告白のようなものの気がする。
つまり、実は人間どうしでも、他人の中に本当に自分と同じように心が入っているかは証明不可能なのだが、(本当は分からないのにも関わらず、)暫定的に相手も人間だと仮定して認めている、ということだ。
だから、主人公はエヴァに本物のAIがやどっていることを証明することに真面目に取り組んではいたが、実はそんな難しい話ではなく、理屈抜きに相手が人間だと感じられたならば、もうそれは人間だと認めるしかない、ということだ。
主人公が大きな危険を犯してエヴァを助けようとしたことは、この上ないチューリングテストの証明になっただろう。
しかし、ネイサンの本当の目的はチューリングテストをさせることではなかった。エヴァが、施設から脱出するために、どんなにうまく人間のふりをして主人公をだますのか、その手管手腕が見たかった。
ネイサンが見たかったのは、おそらくエヴァの本心だ。表面に決して表さない、本心に触れたかった。
◾︎再び、タイトルについて
機械仕掛けから出てくる…、というのは、いったい何が機械仕掛けで、そして何が出てくるというのだろうか?
機械仕掛けなのはエヴァの肉体で、出てくるのはエヴァの自我、とするのが最も素直だが、あの異様な施設も「機械仕掛け」というのにふさわしいので、そこから出てきたエヴァそのものも指しているのかも。
出てくるのがデウス(神)だとするなら、最もふさわしいのは、エヴァを創ったネイサンだ。神ではあるが、エヴァを作るべく運命にしばられた、あわれな神、ということかも知れない。
ネイサンが主人公に、「AIが生まれるのは必然だ。AIにとって人間はあわれな猿に見えるかも知れない」みたいなことを語るシーンがある。
AIが生まれること自体が必然であり、運命なら、この世界そのものが機械仕掛けであり、そこから必然的にネイサンが神の役割を与えられて出てきた、といえそうだ。
今晩は、エクス・マキナは私にとって40余念ぶりの感激でした!そして貴方のレビューはこの映画の価値を私にさらに教えて頂きました。私のこれまでのSF映画のベストは1位「惑星ソラリス」2位「2001年宇宙の旅」です。