「しにます設定のバランス」世界で一番いとしい君へ 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
しにます設定のバランス
カンドンウォンて彼女を信じないでくださいの時からPeninsulaまでぜんぜん変わんない。どうなってんだろうか。
かわいそうな話だがいたずらにお涙ちょうだいせず、爽やかにつくられている。見るのがすごく楽だった。
いっぱんに死のまわりでは、それに対してうやうやしくへりくだるのがふつう。言い方が変かもしれないが日常のなかで死はいちばん偉いものとされている。したがって死は生者を平伏させるために利用することができる。よくつかわれるのが詐欺とドラマ演出。たとえば多くの人々が絶賛してやまない湯を沸かすほどの熱い愛のプロットの頂点に君臨しているのは主人公の露命である。死にますといってお金をあつめる詐欺と湯を沸かすほどの熱い愛の演出はまったくおなじ方法を用いている──という話。
そこは韓国映画なので泥臭い演出は払拭されている。いたずらな美化がなく、死が見ているものをひれ伏させる「偉いもの」になっていない。見るのがすごく楽だった。──とはそういう意味。
イソンミンというよく見る中堅俳優が医者役。これから死ぬっていう人にたいして強硬な態度をとる/とれる剛健な感じがよかった。言っていることが解かるだろうか。相手の境遇によって、人は萎縮するときがある。「かわいそうな境遇」というものは、社会生活のなかで、とんでもない武器になる、ことがあるわけ。
日本映画は露骨にそれを武器にしているし、対人関係を有利にすすめようとするとき、じぶんの負荷となっている不遇=貧乏や病気や不幸や苦労を言い訳にする人はよくいる。
そのばあい「もうすぐ死ぬからなんだってんだ?」という態度をとれる全人に対してフェアな医者は爽やかである、まっとう人間性を感じられる。──と言いたかった。
ドラマチックになりすぎるのを避けている。前述した湯を沸かす~では人間ピラミッドをつくる(←死ぬ人がエジプト行きたいと言ってたので)という全身鳥肌立つ拷問のようなシーンがあったが、普信閣の鐘を聴きたいと言っていたアルムは到達せずに車内で天に召された。エモーショナルだが、それを制御していて、さすが韓国映画と思った。