「64事件がやっと動き出す後編だが」64 ロクヨン 後編 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
64事件がやっと動き出す後編だが
警察内部の現場と事務方の対立や、警察と報道の対立ばかりが描かれて、なんだか64事件が脇に追いやられていた前編に比べて、後編は、遂に「64事件」が再び動き出しました。
昭和64年に起こった通称「64事件」。
その時効もあと少しとなったある日、「64事件」を模倣した少女誘拐事件が起こる。
捜査本部の戒厳令もあり、事件の実体は皆目見えず、被害者一家の名前さえ明らかにされない。
それに業を煮やしたマスコミ連は、「これは警察内部での狂言誘拐、自作自演ではないか」という追及まで出る始末。
さて、ふたたび起こった「64事件」は・・・
というハナシは、前編と比して、事件の内実に迫るもので、スリリングかつ大胆な展開。
おぉぉ、これはおもしろい
誰が今回の犯人なのか、そして、誰が昭和64年の犯人なのか、と興味津々。
で、後編だけならばかなりの満足なのだけれど、前後編を通じてみると、あまりにもバランスが悪すぎる。
起承転結を事件に絞っていうならば、
起=昭和の64事件と、事件が解決されなかった事情が描かれる、
承=模倣した64事件が起こる
転=模倣事件と昭和の64事件の犯人が明らかになる
結=犯人、被害者、捜査陣が事件に対して決着をつける
ということになろう。
ならば、前編は「起」でほほほぼ費やした感じ。
それも、警察内部の対立、警察と報道の対立が主軸で、サスペンスからもミステリーからも遠かった。
この部分を割愛して2時間30分程度の1本にまとめるか、もしくは前編を64模倣事件の途中まで描くかしておけば、もっと面白くなっただろうと思われる。
特に、前編であれほど描いていた警察内部の対立は、後編では薄められて、ほぼ形骸化してしまったし、警察と報道の対立も相変わらずの怒号と怒声描写ばかりで、事件本体とあまりからんでいっていなかった。
(つまり、後編では、ふたつの事件を描くのに時間切れになってしまい、それ以外のことを描く時間がなくなったような感じ)
後編だけならば、その緊迫感とアクロバティックなトリック、さらには犯人を陥落させるためのフェイクも含めて、サスペンス&ミステリーとして興味深く観られ、70点の評価としてもいいんだけれど、全編を通してみると、そこまでは評価できません。
全編とおしての評価は65点としておきます。