ラ・ラ・ランドのレビュー・感想・評価
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さよなら、さよならハリウッド
もう全部、分かりきってるじゃないですか。
冒頭6分にもわたる息継ぎなしのロングショット、茶目っ気あるアイリスアウト、『カサブランカ』、『理由なき反抗』、しつこいくらいデカい"THE END"の文字、そして陳腐なサクセスストーリー。すべてはハリウッドというトポスに蓄積した栄華の遺骸だ。
かつて『雨に唄えば』はサイレントとトーキーの相剋をテクニカラーのギラギラした色彩の中で高らかに歌い上げた。そこへは無声から有声へ、さらに無色から有色へと飛躍的に進歩を遂げる映画芸術と、それらを次から次へと世に送り出す「夢の工場」ハリウッドへの絶大な信頼と期待があった。それは赤狩り事件やベトナム戦争を経ていくぶんか色褪せかけたこともあったけれど、90年代を迎える頃には元のように夢と希望の溢れるハリウッド映画が蘇り、全世界の劇場を笑いと興奮と感動でいっぱいにした。
しかしそんなものは所詮くだらないまやかしにすぎない、と正面切ってハリウッドに唾を吐きつけたのがアメリカ映画の異端児ロバート・アルトマンだ。彼の『ザ・プレイヤー』にはハリウッドという空間そのものへの辛辣な呪詛が込められていた。オーソン・ウェルズ『黒い罠』やヒッチコック『ロープ』を明らかな参照項とした冒頭の長回しシーンは、そうした無害で再利用可能な撮影技法や物語に終始することで目先のカネや名声を得ようとするハリウッドの浅ましさに対する自己言及的な非難だ。ハリウッドなどというものはもうとっくに死んでいて、今じゃ資本主義に汚染された巨大なガラクタをコピー&ペーストで増産する虚無空間に成り果てているのだとアルトマンは苦笑する。
さて、ようやく『ラ・ラ・ランド』。本作もまた『ザ・プレイヤー』同様、6分にもわたる冗長な長回しで幕を開ける。この時点で本作は自分自身がハリウッド映画であると、すなわち既に息絶えた文芸であるという自覚を備えている。そもそもミュージカルという語りの手法からして懐古趣味もいいところだし、セブのジャズ趣味や数々の名作古典映画のくだりも、本作が既に亡きハリウッドへの郷愁と憧憬に彩られていることを示している。思えばマジックアワーの空と海を背景にセブとミアがタップダンスを舞う一連のシーンもやけに背景とのCG合成が杜撰だったが、あれもひょっとするとCG黎明期(それこそヒッチコックの時代)の映画に捧げたささやかなオマージュだったのかもしれない。
こうして懐古モードに浸りながら、物語もまた古き良きハリウッド映画の顰に倣って陳腐なサクセスストーリーへと突き進んでいく。セブもミアも、長きにわたる苦節を経て(しかし具体的な経緯は描かれない)、最終的には自分たちの夢を叶える。セブはジャズバーの経営者に、ミアはハリウッドスターに。
しかしロバート・アルトマンが20年も前に指摘したように、また今では誰もが気づいているように、そういうハリウッドのモードは完全に死んでしまった。フランク・キャプラのバカみたいな喜劇映画みたいに、キス一つで誰もがハッピーエンドを迎えるなんてことはもうできない。何かを手に入れるなら、その代わりに何かを手放す必要がある。こんなのは誰でもわかる簡単な法則だ。あるいは狂騒のハリウッドだけが忘れていた法則。
だから本作は愛を捨てた。陳腐なサクセスストーリーの代償としてセブとミアの愛を差し出させたのだ。
ジャズバーで偶然再会したセブとミアが空想するifの世界線は、そのままハリウッドへの追悼と見做すことができる。美しかったハリウッド。かつてハンフリー・ボガートが紫煙をくゆらせ、ジェームズ・ディーンが感傷的な涙を浮かべたあのハリウッド。それらはハリボテめいた幻燈の中に浮かび上がり、やがて消えていく。
全てが消え去ったあとで画面上に現れる"THE END"の文字はことさら悲痛さを帯びている。こんなふうにしてどれだけ忠実にあの日のハリウッドをなぞったところで、本当に大切なものは、もう既に失われてしまっているのだ。どうしようもない。
本作をもってハリウッド映画は完全に死んだと言っていいかもしれない(いったい何度死ぬんだか…)。しかし今なおハリウッドは「夢の工場」を自称してビッグバジェットのド派手な映画を次から次へと量産し続けている。これがホンモノの映画だ!と言わんばかりの勢いと声量で。
だけど、もう、全部、分かりきってるじゃないですか。
「カフェソサエティ」の長い版
LA LA LAND Live in Concert:A Celebration of Hollywood
LA LA LAND Live in Concert:A Celebration of Hollywood
東京フォーラムのオーケストラ・ジャズバンドの生演奏と、スクリーンの中の演奏が、完璧にシンクロしてて、鳥肌が立つほど感動しました❗🎉😆
ダンサー達のパフォーマンスはイマイチだったかも😅
夢を追う人たちの物語です。 ワクワクがたくさんのミュージカル映画の...
はまらない
夢追い人達の躍動感溢れる恋物語
期待に違わず、エネルギッシュで、躍動感、スピード感溢れる極めて現実的な上質ミュージカルだった。
ロサンゼルス暮らしのミア(エマ・ストーン)は映画女優を夢見て、日々、アルバイトをしながらオーディション受け続けているが、中々結果が出ずに悶々としている。彼女は、パーティー帰りに何気なく立ち寄ったレストランで、渋滞道路で出会ったセバスチャン(ライアンコズリング)がピアノ演奏しているのを目撃する。二人は、その後も偶然の出会いを重ね、互いに夢を追っていることを知り、惹かれ合っていく。やがて、セバスチャンは、二人の生活のためにジャズピアニストになって店を持つという夢を諦め、バンドに加わり成功を収めるが、二人の関係に亀裂が生じる。その後、ミアも映画女優のチャンスを掴み取っていくのだが・・・。
冒頭の渋滞道路での躍動感溢れる歌とダンスに心を鷲掴みにされる。アメリカンドリームを目指す者達の気持ちを鼓舞する歌とダンスは、本作のプロローグとして見応え十分であり、これから始まる本編への期待を掻き立てる。
前半は、夢を追かける主人公達の直向きさ、懸命さ、主人公達の出逢と恋愛模様が描かれ、パンチの効いた楽曲に乗ったスピード感ある展開にグイグイ引き込まれる。歌の場面の割合が程良く選曲も適切なので、心地良いノリノリ感、ワクワク感で鑑賞できる。特に、夢の切欠を掴むために、ミアが女友達とパーティーに向かうシーンが印象的。路上を横一列になってカラフルな服装で闊歩する彼女達のキレキレのダンスが清々しかった。
アメイジングスパイダーマンでエマ・ストーンを観た時、典型的なアメリカ女性という雰囲気があり、アメリカ映画お得意のミュージカルに出演すれば、映える女優だろうなと思っていたが、その通りの存在感ある演技を魅せてくれた。特に、オーディションシーンでは、正面からアップが多く、顔の表情で揺れ動く心理を見事に表現している。
前半の躍動感に比べ、後半は、シリアスな展開になり一気にリアル感が強くなる。特に、二人の生活のために現実的な生き方を選んだセバスチャンと夢を諦めて欲しくないミアとの激論シーンは超リアルであり、すれ違う二人の想いが見事に表現されている。更に、ラスト近くでは、二人が選ぶことができたもうひとつの選択視が走馬灯のように回想される。“一つの夢を掴み取るということは、もう一つの夢を諦めること”という極めて現実的な展開であり、前半とは異なる切なさが際立っている。
今作は、ファンタジー部分も堪能できるが、ファンタジーとリアリティを融合させた秀逸な演出で、従来作とは味わいの違う、極めて現実的なミュージカルに仕上がっている。やはり、ミュージカル作品は、アメリカ映画の独壇場であることを実感できる作品である。
ミュージカル映画苦手だけど。。。
ラスト15分を永遠に観たい!レトロさを上手に使った大ヒット作品!
公開当時観て以来ぶりくらいに観ました!
音楽とダンスが素晴らしいですね…!
40年代50年代のミュージカルを彷彿とさせる映画と言うことでワクワクしながら映画館へ行った記憶があります。
そして何人かの友人に解説を求められた記憶も強いです…。
「なぜ急に歌い出して車の上で踊って知らない人とハイタッチするの?」
「なんで急に暗くなったり宙に浮くの?」
「最後は結局何?」
と聞かれることが多かったですね…。
私的はもっと沢山の急な展開や周りを巻き込む急な歌とダンスを期待していたのですが、解説を求められたことを考えると、やり過ぎ厳禁でこれくらいが丁度良く観客の心に刺さり大成功だったのだと思います。
40年代50年代のミュージカル映画の良さを現代でも通用するような見せ方で、オマージュも散りばめたからこその大ヒットだったのでしょう。
公開当時は「レトロな映画」として推されていたのでスマホが出てきたり近代的だったのは驚きましたが、若い人も混乱せずに観れた理由だとも思います。
確かに最近は便利になりすぎていて、メールや電話が出来ないと物語が進まなかったりしますもんね…💦
そんなスマホ社会設定なのにお互い連絡先を交換しないということで、スマホや携帯が普及していなかった時代のすぐに連絡の取れない不便さとヤキモキするシーンが作られていてすごいです。
今の時代は予定が合わなくなったらスマートフォンでサクッと連絡すれば良いけど、ちょっと昔までは予定が合わなくなっても携帯電話がないから待ち合わせが上手く出来なかったんですよね…。
「ちょっと遅れる!」なんて連絡もできないから「いつ来るのかなー本当に来てくれるかなー」ってヤキモキ…。
そんな不便さがロマンティックな愛を育てるような気もしちゃいます。
ラスト15分は本当に最高なので永遠に観ていたいです。
少し切ない素敵な物語
まさに素敵と言う「言葉」がにあう最高傑作でした。
衣装・しぐさ・言葉・歌・ダンスやミュージカル要素によって最大限にかっこよさ、かわいさが引き立っていました。やはり、驚くは冒頭のミュージカルシーン。なんの予告もなしに流れた冒頭のシーンで圧倒されました。今後語り継がれるほどの名シーンだと思います。
そしてこの映画を観て「傑作を観た」という満足感のようなものはあると思うが、少し違和感を感じるのは自分だけではないと思います。ハッピーエンドと捉えさえしない人もいるのではないしょうか。
自分はハッピーエンドに思います。様々な人生における、ある一つの幸せを目撃できる傑作。また、JAZZに対するPOPSの描き方が残酷なまでに刺さります。
いつもいつまでも観ていたい
僕は正直ミュージカルはすごく好きではありませんでした。
確かに楽しかったり、かっこよかったりの名作ミュージカルは好きでしたが、そういうジャンルとして観ているところがどこかありました。
つまり、ミュージカルだからここで歌ったり踊ったりするものだと。
ここはダンスの発表の場面だと。
そして、この映画を見る前も、ややたかをくくっていたところはありました。
「セッション」の監督が作ったミュージカル。
女優を目指す女の子と若きジャスピアニストの恋。
予告編で流れるダンスシーン。
まあまあこんなもんだろう、と、
想像の枠をつくっていました。
だから、こんなに感動するとは、正直思っていませんでした。
良い映画は観た後も、「もう一度観たい。そしたらきっと新しい発見があるたもしれない。」と思うものです。
今乗り換えです。武蔵野線へ
この映画に関してもきっと見落としているとこがたくさんあるでしょう。
だから、浅いレビューです。ごめんなさい
この映画って、映像や音響のチカラをすごくよく理解しているな て思うんです。
例えば前にあったシーンが全く別の意味合いで繰り返される【あのシーンもあのシーンも。】ことで、独特の映画的なリズムが生まれていたなと感じました。
同じ場所でも二人の心情によって全く違う景気に見えてことや季節の変化は、まるで交響曲の楽章の如し。
これもまた実に音楽的。
それから、生活上の雑音【警告音やクラクション】も、打楽器のような強烈な意味を持った音として効果的に使われています。
つまり、踊っていなくても、歌っていなくても、全編がとても音楽的、つまりミュージカルなのです。
エンディングのダンスダンスのシーンは、
この映画を2時間観続けてきた観客の時間の積み重ねと、
主人公二人の歴史が重なり、途中から涙涙でした。
こんなに泣いたダンスシーンは今までなかった!
そして、どーしても力説したいのが、
エマ・ストーンの魅力的なこと!
予告編より数段かわいい!チャーミング!
2時間ずっと彼女に恋してました!
素敵な映画をありがとう!
「仕事が終わったら、見ておいで」と言ってくれた奥さんありがとう!
今度は一緒に観ましょうね。
追記の提案
これから先ずっとこの映画を上映し続ける映画館を作ってください。
仕事や家事に疲れた人、魔法の力で言わされたい人がいつでも行ける、1日一回の上映でもいいので、ずーとやっている映画館を!
大人しめなミュージカル映画
幸せな気持ちに浸れる心地よい時間を
本編どこー
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