劇場公開日 2017年2月24日

「ラストの十数分は圧巻で、涙が止まらなかった」ラ・ラ・ランド もとさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5ラストの十数分は圧巻で、涙が止まらなかった

2017年5月2日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

興奮

 見終わって映画館を出たとき、いつもの風景がちょっと違って見えるような映画に出会えたとき、やっぱり映画っていいな、って思う。最近ご無沙汰だったこの感覚が、久しぶりに沸き起こった。

 監督は「セッション」のデイミアン・チャゼル。正直、あの前作は音楽英才教育への憎しみが創作の原動力。音楽大好き人間には居心地の悪い、ツライ映画だったから、「ラ・ラ・ランド」も前評判はともかくとして、強い警戒心を抱いたまま映画館に足を運んだ。結果的に、この警戒心は作品を楽しむ上で「吉」と出た。いい意味で裏切られたのだ。

 冒頭、渋滞するハイウェイで突如始まる壮大なミュージカル。いらつく人々は音楽が鳴り出すやいなや車を飛び出し、その屋根やボンネットの上を跳ね回った。長回しのカメラの前を縦横無尽、緻密な動きで歌い、踊り回る。荒唐無稽な設定と、現在もヒットチャート上位に入る陽気なテーマ曲とで、気分はすっかり「ラ・ラ・ランド」の世界の中へ。出だし快調だ。

 しかし現実は厳しい。プリウスに乗り、撮影所のカフェでバイトする女優の卵、ミア(エマ・ストーン)は、今回もまたオーディションで散々な結果。ルームメイトの女の子たちに誘われパーティに向かうも、うわべだけの騒ぎで憂さ晴らしにもならない。帰ろうとするとプリウスはレッカー移動されていて、ただ惨めな思いで夜の街を歩いていた。

 一方、古いオープンカーに乗るジャズピアニストのセブ(ライアン・ゴズリング)は、いつか本物のジャズを聴かせる自分の店を出したいと思いながらも、レストランでオーナーの選曲に従って演奏するしか食っていけない悶々とした日々を過ごしていた。どうせ客の誰も聞いていないジングルベルを、魂もなく弾いていた。

 ミアはレストランから漏れ聞こえる美しいピアノの旋律に足を止め、思わず店の中に入ってゆく。それはセブがオーナーの選曲を無視して奏でた志ある音楽だった。セブは即刻解雇。そんなセブにミアは声をかけようとするも、あろう事か完全に無視されてしまう。それが2人のロマンチックとはほど遠い出会いだった。(本当の最初は冒頭の渋滞のハイウェイでクラクションを鳴らされたミアがセブに中指突き立てていた・・・)

 これは人生も恋も不器用にしかこなせない、男と女の夢追い物語だ。夕暮れ時の一瞬の空、いわゆる「マジックアワー」を背景にミュージカルとして進む不器用な2人の恋は、もどかしくも、心底ほほえましい。恋に落ちてゆく描写が一歩引いていて、ベタベタしていなくて、ちょうど応援したくなる心地よさなのだ。

 音楽もいい。「セッション」とは打って変わって、音楽への「愛」に満ち満ちている。ミュージカルの作るファンタジーの空間で、音楽が非常に心地よく響いていた。

 何より、とてもよくできたラストだった。ラストの十数分は圧巻で、涙が止まらなかった。とりあえず、ここでは「切ない」とだけ記しておきたい。「セッション」もそうだったけど、この監督の作品は観終わったあとにモヤモヤとした何かを残してゆく。

 一方、怒涛のラストへの誘い方には、正直、異論がある。

※以下、ネタバレあります!注意!!








 監督が計算ずくなのは分かるけれど、そしてこんなこと書くのは野暮だとも分かっているけれど、でもあのラストから逆算してどうしても納得いかないのは、ただ1つ。ミアがパリに旅立ってからの5年間をなぜここまで完全に空白にしたのか? もうひとつの映画が作れるほど長く、そして切ない時間だ。

 確かにオーディションの結果が知らされる前に、セブはミアの成功のために別れを告げた。でも、じゃあ2人はもうそれで潔く逢わないことができるものなのだろうか? なぜミアは別の人と結婚して子どもを産んだの? いったい何があったの? セブはミアのためにひとつの道を放り投げたのに、どうしてミアと一緒になろうともっと我を張らなかったの? ミアの成功のため? 人生、実際そんないい人の振る舞いをし続けることができるの? そういった疑問の手がかりとなるものがほとんど提示されていない。これほど大事な事柄をすべて観客にゆだねてしまえる監督の潔さは、正直すごい。

 でも、もうほんの少しだけ、尺として、30秒~1分だけでいい。メタファーだけでも見せて解決してくれていたら、お客さん的には、ラストの感動がもっともっともっともっと、上がったと思う・・・そしたらきっと、アカデミー賞作品賞授賞式であの「前代未聞の読み違え」は(この作品が受賞したことで)起こらなかったのでは、とまで思う。

 劇中の主人公たちは、売れなくても「自分のやりたいこと」を続けるのか、「わかりやすさ」を優先して客に迎合するのか。このよくあるテーマに葛藤していたけれど、監督もまた自身の作品で葛藤し、そして今回はほどよく迎合しつつも、肝となるこの部分では突き放した、とも言えそうだ。ハリウッドは結果的に、そこを機敏に評価していたように感じる。

 ミアが失ったもの、得たもの。
 セブが失ったもの、得たもの。

 それが怒濤のラストに凝縮されていて、あまりにツライ。そしてやはり、考えさせられる。人生というのは、選択の積み重ねだ。選んだ人生、そして(重要なのは)選ばなかった人生。その膨大な蓄積が累々と歩んできた道のりに置き去りにされているのを、まざまざと見せつけられたようなラストだった。

 ハッピーエンドではない。
 でも、後味は決して悪くない。
 それはきっと、セブとミアが最後、すべてを受け入れたかのように、ほほえみ合ったからだろう。もうきっと2度と出会うことはないだろう、別れの瞬間に。

 この監督、次作もとても楽しみだ。

もと
momokichiさんのコメント
2018年12月18日

素晴らしい言語化能力です。
ありがとう。

momokichi
MARUKOさんのコメント
2017年5月12日

自分は5年間を描くと間延びして説明臭くなる気がします

MARUKO