「軽佻浮薄さがいかにもLA LA LAND(修正)」ラ・ラ・ランド l_love_WSS_&_LBさんの映画レビュー(感想・評価)
軽佻浮薄さがいかにもLA LA LAND(修正)
お付き合いで2回目を見て、レビューを加筆修正しました。
この映画では以下のことなどが気になってしまい、感動には至りませんでした。
・四季の区別がはっきりしていない温暖な気候のLAを舞台にわざわざ季節を区切ってストーリーを進めること。
・夢追い人の恋する二人がさして若そうに見えないこと。
・白人のセブが伝統的なジャズの復活を目指し黒人のキースが「ジャズは未来」と言うこと。
・そんなセブが弾く曲がジャズっぽく聞こえないこと。
などなど、パラドックスのように思えることがいろいろ。
ふわふわした夢見る夢男さんと夢子さんの周りが見えていない迷惑行為も含め、LA LA LAND的心境のLA LA LANDの住人たちの物語だと割り切ってしまえば腑に落ちなくもありません。
でもそんな軽佻浮薄なストーリーはまったく胸に響きませんでした。
過去の映画の自分の好きなシーンを引用&活用し、メタファーやリプライズなど映像+音楽的レトリックを用いて監督はやりたいことをやり尽くして達成感があったでしょう。
映像や音楽のアイディア、構成には確かに妙味があり、見る側には仕込まれた情報に気づき、意味を知る楽しみがありました。
私がなるほど!と思ったのは以下のこと。
・冒頭とラストの渋滞、憧れの女優と5年後のミア自身、イングリット・バーグマンとミアのポスターなどのリプライズ。
・セブとミア、セブとパーティーの招待客たちの車種、セブとキースの音楽性等の対照。
・往年の大スターが描かれた壁の前を歩き、映画館のスクリーンの前に立つオーディションに受かる前のミア。
・ジャック・ドゥミの手法に倣ったようなカラフルな色彩(カラーコーディネートはアメリカ的センス?)と衣装の色調の変化。
・セブが弾く一応ジャズのつもりの「ミアとセブのテーマ」のミッシェル・ルグラン風のオーケストラ演奏への展開。
等々、ほかにもいろいろあるでしょうし、もしかしたら、新旧の映画監督を思わせるドーランとワイルダーという主人公たちの姓も象徴の一つだったのかもしれません。
ミアとセブは新しさと旧さ、未来と過去を象徴するようなカップルだったのかな…と思います。
未来の新しい扉を開くべく背中を押してくれるのは、現在も含め未来から見た過去。
昔のミュージカル映画等からの引用も、過去と現在を繋ぎ、未来への橋渡しをする意味合いが込められているような気がします。
そういう象徴性には本当に感嘆します。
これでストーリーがよくできていて、抽象化とうまく噛み合っていたら、傑作になり得たんでしょうけど…。
ストーリーの希薄さがかえすがえすも残念でなりません。
それから、ミュージカル映画で肝心な歌とダンスは下手だし、俳優の演技も特に上手いとは思えず、そこが見ていてストレスでした。
映像と音楽で語る抽象的な映画のためか、歌、演技の上手さはかえって邪魔だったのかもしれませんが、何のカタルシスもなく、フラストレーションが募ります。
ラストはハッピーエンドでなくてよかったのでは。
そこは納得がいきました。
その必然性は映像の中で語られていて、二人の現実にもかなっていると思うので。
あり得たかもしれない人生に思いを馳せるのは、後悔ではないような。
あれをミアの後悔とするのは、男性のロマンチシズムではないかと個人的には思います。