「ブラックホールの計算にも」奇蹟がくれた数式 kossyさんの映画レビュー(感想・評価)
ブラックホールの計算にも
第一次世界大戦前夜のこと。ラマヌジャン(パテル)は職を求めて何とか経理の仕事を得て、仕事外では数学にのめり込む青年。ケンブリッジ大学のG・H・ハーディ教授(アイアンズ)から良い返事を貰えたので、妻ジャーナキ(ビセ)と母親をインドに残し、単独で英国へ渡る。
インド人だとして迫害も受け、彼の独学での数学のため、講義でも邪魔者扱いされるラマヌジャン。彼は発見した素数に関する公式を発表したくてうずうずしていたのだが、ハーディからは直観よりも証明が大切だと諭され、やがて対立したりもする。神を信ずるラマヌジャンに対してハーディが独身で無神論者であったことも影響した。
そうやって共同研究する中で、ラマヌジャンはひらめきにより分割数の公式を発見したと報告する。これが公式化不可能とされていたため、にわかに信じがたいもので、ハーディは色めき立つものの、共に長い年月をかけて証明しようと力を合わせるのだった。そんな折、ハーディの右腕でもあったジョン・リトルウッド(トビー・ジョーンズ)が戦地に駆り出される。そしてラマヌジャンには結核という病魔が忍び寄っていた・・・
戦局は激化する中、ドイツのツェッペリン号が上空に飛んできたりする。大学の組合でも反戦の意見が多い。学問に没頭する彼らは戦争の無意味なことを知っているのだ。そして、ハーディはラマヌジャンをトリニティ・カレッジのフェローに推薦するが、委員会では否決され、ラマヌジャンの病状も悪化して、ホームから転落するなどしてケガを負う。しかし、結核の方が心配だったのだ。
分割数の証明をハーディが力説したため王立協会の会員となったラマヌジャン。大変な名誉を受けたため、一旦帰国する。しかし、帰国してから1年後に結核を再発して、32歳という若さでこの世を去ってしまったのだった・・・
ほぼ備忘録