奇蹟がくれた数式のレビュー・感想・評価
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常人離れした天才の偉業を常人に伝えるのは難しい
インドで数学をほぼ独学でマスターし、独創的な数式を次々に“発見”した天才数学者ラマヌジャンと、彼の手紙からその数式の価値を見抜き、ラマヌジャンを英国ケンブリッジ大に招聘したハーディ教授の心の交流が描かれる。
実在の天才研究者を描く伝記映画は数多いが、分野が純粋数学や理論物理学だったりすると、彼らの偉業の本質を一般の観客に伝えるのは難しい。そのため、たいていは研究以外の人生のドラマ(恋愛、難病、精神的な問題など)で、共感や感動につなげようとする。
本作は、ラマヌジャンの数式の価値や独創性、エレガントさを伝えようと健闘しているが、やはり物足りなさは残る。
ラマヌジャンの高揚感や苦悩をデブ・パテルが巧みに表現し、それを支えるハーディ教授を演じたジェレミー・アイアンズの穏やかな渋さもいい。2人の味わい深い演技は、自分のような凡人が“奇蹟”に触れられないもどかしさを、ある程度は補ってくれる。
出会いによって人は変わる、普遍的な物語
天才に国境などない。本作でも天才的な数学的頭脳を持つインド人青年がイギリスへ渡り、差別や孤独に耐えながら研究に明け暮れる。
舞台となるケンブリッジは『炎のランナー』や『博士と彼女のセオリー』でおなじみの学術都市。とりわけ本作では伝統と格式を誇るトリニティ・カレッッジが学内の映画撮影を初めて許可したことも見どころとなっている。また、第一次大戦中の雰囲気を描いた点も興味深く、教師や生徒の数が減り、学内が看護所へと変わりゆく様は、この時代がいかに英国の暮らしを変貌させ、多くの尊いものを奪い去ったかを教えてくれる。
主演デヴ・パテルもさることながら、その師となるジェレミー・アイアンズも変わり者ぶりを発揮。数学に人生を捧げた二人が出会い、ぎこちない気持ちの伝え方ではあっても、いつしかしっかりと敬意と友情を育んでいく。その過程こそ本作の伝えるもっとも尊い奇蹟なのかもしれない。
大学生におすすめ
一理系として、予想よりも証明こそ苦痛で成した時の喜びが大きいものはないと感じた。
特に、ラマヌジャンの見出す数式は文字通り奇蹟の代物であり、必ずしも予想が真ではなくも、本人からすれば天啓なのだと思う。
文学的に惜しい点として、フィックションにはなるかもしれぬが、有神論者と無心論者の価値観の相違を描いて欲しかった。
英国の皮肉も分かりやすぎて、残念であった。
ターゲット層が見えないが、イギリスらしさは少ない。
よって、なぜイギリスの文化に体が合わないかまでのコンテクストが少ない。
劇中では、スポットとしてラマヌジャンの苦悩がメインで、次いでハーディのフェローとしての視座からの視点にもなり、どちらの人物の描写も丁寧に書かれてそこは評価できる。
大学1年生の理系が課題で見る分には、数学の尊さと基礎の大切さを悟らせるには良さそうだ。
劇中でも描写されていはないが、学問は来るものを拒んではならないという、古代ギリシアのアカデミアの思想、プラトン主義にも通ずるものはやはり学者のコモンセンスに根差しているのだろう。
戦中の学者のリベラル思想が定かではないが、戦争というものがいかに愚行で忌むべきものかも含めて、学問がそれ自体で万国共通で尊いものなのだろう。
全体として、この監督も2人を通し、大衆映画から超越した普遍的な学者間特有の象徴を示したかったのかと思われる。
この監督の他の作品も観てみたい。
惜しい人
最終的に友情を深められたとはいえ、もしラマヌジャンが病を得なかったら果たして教授らそこまで証明に力を入れただろうか?
チラとそんなことを考えてしまった。
この当時に何もかも振り切ってインドからイギリスへ渡るなど、どれほどの覚悟と勇気だったか。
ただでさえインドはイギリスの植民地だった。
イギリスでどんなに差別を受けたかは想像にかたくない。
そこに、もっと早くに気づいてあげられていたなら。
ラマヌジャンはもっと、素晴らしい功績をほかにも残せたのでは?
惜しい才能が消えたことを思うと口惜しい。
名前が後世に残ったからいいだろう、とは思えなかった。
残らないよりはもちろん良いが。
さて実在の人物を描いたものなので、そうだったのかと勉強にはなるものの、面白いか?と聞かれたら…そういうタイプのものでは無いような。
インドの天才数学者ラマヌジャンと彼の才能に惹かれたハーディとの実話...
インドの天才数学者ラマヌジャンと彼の才能に惹かれたハーディとの実話。
お互いに芯を持ち、堅物同士がぶつかり、目標に向かっていく。
そして友情が生まれる。
とても素敵な関係性だった。
面白かった
思えば、数式の研究というジャンルの話を
アクションなどの無いシーンなのに、飽きさせずにうまくまとめているなと思った。
とても良い作品と思う。
一点だけ、なぜか主人公ラマヌジャンよりハーディの方に愛着を持ってしまう。
(見送りの時の演技も素晴らしかった)
もう少しラマヌジャンに感情移入出来れば良かったなと思う。
うん。やはりハーディの方が印象的だった。
世界はパターンで溢れている。
数式が降りてくる
正しいと思う直観
天才とはそういう人なのだろうと思った。
ヴィーガンの苦労がわかる映画
いまだに加藤純一や西村博之みたいにヴィーガンを叩く日本人ばかりだが、
世界中の人が肉を食ったら食料の平等性は破綻する。だから格差があるのだが。
これこそSF映画プラットフォームの順番に上の階層から下の階層に降りいく食事台のような話だ。
ラマヌジャンは生まれ上ヴィーガンで霊能力とも言えるような天才的な能力を発揮したが、
イギリス人の周りの理解がなさすぎて苦労しまくっている。じゃがいもを食べようとしたらラード(動物油)で料理してあったり。今の日本もこのときのイギリスのようにヴィーガンにだと食べるものがないので、ラマヌジャンの苦労には深く共感した。今の日本だと韓国企業の叙々苑や中華料理であるラーメンとかが世の中でチヤホヤされていて、悲しいことに日本人が日本食をたべなくなっちゃった。
おばあちゃん家で孫の俺が作った味噌汁に肉や卵を入れられたり、和の文化を理解できなくなっているというかなというか。昔はもっと仏教などで四肢の肉は避けてたりしたと思うだけど。女が肉をガツガツ時代。体が強くなるというが精神薬を始め慢性病などの薬が大量に使われている時代である。
数学という共通言語
数学という共通言語があってもインド人というだけでなかなか受け入れられない。その上、ラマヌジャンは結果だけ出して証明するということを知らなかった。
ハーディは証明の大切さを説き、同僚のラッセルから厳しすぎる、人として扱っていないのではないかとまで言われる。
無心論者のハーディと、神を信じ、発想は女神からくると語るラマヌジャン。2人の間には人種以外にも壁がある。
そんな正反対な2人が少しずつわかり合っていく。
知り合いもいない中で友情を求めたラマヌジャン。それに気づいてもっと気にかけてあげたら良いのにと見ていてもどかしい。
デヴ・パテルはマリーゴールドホテルの印象が強くて、天才数学者のイメージが湧かなかった。
観ているうちにラマヌジャンの持つ前向きさ、根拠のないようにも思える自信が彼のイメージにピッタリに思えた。
私はあなたがたが出来ない事をやったのだ
天才数学者の話。
偉大なる数学者は私が思うに一番仙人に近い存在なのではないかと思う。
人の人智では決していけない境地へ一番近づく事の出来る特異的な人が数学者というイメージだ。
そんな人智を超えた人間を描くというのはとても難しいと思う。
この映画でもなんとか頑張って、ラマヌジャンという怪物的な存在を描こうとしてるが、全てを描ききっているという風には残念ながら思えない。
ある程度ラマヌジャンの事を以前から知っていた人がいればある程度の理解力が深まるが、全くラマヌジャンを知らない人がいたら、ラマヌジャンの圧倒的な数学力が伝わりにくそうだ。
ポッと出て来た天才があれよあれよと渡英して、大学内の激しい地位や権力争いに巻き込まれているのを見ていると何の映画なんだろうと思うだろう。
それにしては世界でもトップレベルの大学での教授達の人種がどうとかいう偏見で、ちっともラマヌジャンを認めようとしない感じは、いくらの賢人と言えど一枚向いてしまえば、ここまで愚かになるのだよというのは正面から逃げないで描いていて好感が持てて面白かった。
ラマヌジャンの信仰と妻との関係性も中途半端にほとんど詳しく説明されないまま、進んでいくのでこれなら省いても良かったかなと思ってしまった。
もっと幼い頃からどういう風に才能を開花させて、その才能がどう活かされて、認知されていくのかという過程をもっとピックアップして見せて欲しかったなと思うぐらい、ラマヌジャンの言い表せない存在感が魅力的だった。
天才数学者。
惹き込まれる作品です。
インド人の天才数学者ラマヌジャンの史実。
当時のインドはイギリスの植民地で偏見や人種差別があって大変な時代だった。自分を判ってもらうことも儘ならない。
ラマヌジャンは数式はひらめき。女神様からの導きだと。宗教も関係している。論文のノートをみると数式が芸術作品の様に見える。
数式を証明することが研究の目的である。
今やインドの教育は独自の計算方式があってあっという間に難しい計算も解いてしまう。
数式を覚えて使えば難しい問題でも容易に解ける。
今のインドの発展はラマヌジャンの功績なのかも。
素晴らしいですね。またデブパテルの演技も。
感動しきりの映画です。
天才の存在を知り得た、それに尽きます。
芸術の天才の感性は世間の評価や個人の好みに左右され曖昧だけど、数学の天才の感性は公式が証明されれば揺るぎ無い。
正に目に見える神の真理ですね。
とは言え数学に明るくない自分のような凡人には、天才具合の凄さはイマイチ響かず‥(個人の問題です…)
ハーディとラマヌジャンの「才能」との交流は描かれていたけど、「人」としての交流は感じられなかったなぁ。
ラマヌジャンという数学の天才の存在を知り得た、って映画かな。
「アンビリーバボの再現ドラマ」レベルで充分だったかも。
実話を再現ドラマ以上に魅せるのは難しいですね!
それとマドラスでの妻、母親との会話が全て英語なのも冒頭から冷めました‥。
植民地化?の当時は英語が公用語だったんですかね⁉︎
数学という世界共通言語
作中に「数式は創られるのものではなく、既にそこにある」という言葉があるが、数学者達は純粋にその存在を確めたいと同じ道を歩んでいる。
そんな中で出会った2人の物語。
ラマヌジャンについて調べてみると作中よりもっと多くを残していて、それは漠然と提供されているが、その辺りがもう少し感じられるような演出であれば、もっと満足出来たように思う。
若干の差別的描写もあったが、実際のところはあの程度では無かっただろう。
実際のところを良く知らないが、全体を通して良心的にまとめ過ぎたように感じる。
それでも何が2人を繋いで、結論としてどんな風にその世界に影響したのかが感じられ、温かい映画だった。
2人の間に芽生えたもの、出会えたこと、発想の源、それら全ては証明の出来るものではなく、運命にさえ感じられるもので、数式を超越したもので、当たり前に手に入るとは思えず、何かしらの意思を感じ、それを神とすら思えてしまうのだろう。
夭逝の天才
主人公S・ラマヌジャンは若くして多くの数論の定理を発見したインドの天才、彼の才能を評価した上司の勧めでケンブリッジ大の数学者に研究発表の支援の手紙を出すことになる。劇中ではガンマ関数の負値のふるまいと言っていますが、実際は「1+2+3+4+…=マイナス12分の1」という間違っているが奇妙な数式を記した手紙を見た英ケンブリッジ大の数学者ハーディー教授は数学の巨人オイラーが「ゼータ関数」という特殊な関数を使って導き出したのと同じ答えに、「天才」と直感し英国に呼び寄せることになる。さすがゼロを発明した国だけあってインダス文明のDNAは素晴らしい、私には殆どちんぷんかんぷんだったが数学監修に日系アメリカ人の数学者ケン・小野の名が、今もエモリー大学教授でラマヌジャンの研究を行っているらしい、ただ劇中の分割数の説明シーンで100の分割数は204,226通りと言っていますが50の分割数の誤りです、どこで間違ったのでしょう。
ハーディー教授とラマヌジャンは映画では親子ほどに見えますが実際は10歳差だったらしい、無神論者のハーディー教授と敬虔なヒンドゥー教徒の奇妙な師弟関係、ラマヌジャンのひらめきの源泉が女神の啓示であり人は神の定めた真理を発見するだけと言う、現代でも宇宙の仕組みを解く数式を「神の数式」と呼び相対性理論と量子力学の融合などが試みられているので含蓄のある表現ですね。
第一次大戦や人種偏見、教授たちの才能への妬みなどを乗り越え王立協会のフェローに認められるほどの業績を上げますが祖国で32歳で病死してしまう。嫁姑のよくある話まで実話かどうかは分かりませんが夭逝の天才の生きざまを描いた秀作でした。
余談ですが同じような話で真逆の師弟関係の実話があります、インドの天才チャンドラセカールとケンブリッジ大のアーサー・スタンレー・エディントン教授の醜聞、なんとエディントンは支援するふりをして策略を用いてチャンドラセカールのブラックホールの学説を潰してしまうのです、後にチャンドラセカールの説が正しかったことが認められノーベル賞を得ますが天文学研究が失った時間は計り知れません、権威とは怖いものです。
素数は人生を狂わす
デヴ・パテルの主演作品、良い演技だった。天才数学者の活躍と苦悩を描く実話。
個人的には文系人間だけど、数学系の話は好きかも。
ハーディとリトルウッドはもちろん実在の数学者で素数の研究に大きな影響を与えた権威との事。素数は数学界の最大にして最も美しい研究課題なんだとか^_^;
才能を遺せた運命
非常に興味をそそる題材。作中でも言ってるが、数式って芸術のようでもある、さらに信仰とも通じるのかもしれない。全然ちがうもののようで、思考の方法は近いのかもしれないし、目に見えない真実を求めようとするその思考力は共通して有用と思わせられる。
まさに奇跡的なのは、短命でありながら才能を遺せた運命にある。インドの貧しい暮らしの中、生涯を終えていたかもしれないのに、異国の地への出会いを授かっている。帰郷してからわずか1年の命だったことを考えると、信仰心もないが、神が与えた運命、と思えなくもないエピソードである。
映画としてはシンプルだが、そのぶん題材の良さは伝わる出来かと。キャスティングも良い。
【英国数学者とインド天才数学魔術師ラマヌジャンとの国、年齢を越えた友情を描く素晴らしき、英国映画。】
「アインシュタインと並ぶ無限の天才」とも称されたインドの数学者ラマヌジャンと、彼を見出したイギリス人数学者ハーディの実話を映画化した伝記ドラマ。
デブ・パテルと英国が誇る名優、ジェレミー・アイアンズの共演作。
(矢張り、英国紳士といえば、ジェレミー・アイアンズである・・。)
第一次世界大戦勃発の年、独学で数学を研究してきたラマヌジャンはイギリス、ケンブリッジ大学の数学者G・H・ハーディ(ジェレミー・アイアンズ)に分厚い手紙を送る。その手紙に書かれていた内容に驚愕したハーディは直ぐに彼を大学に招聘する事を決める。
世界大戦が徐々に二人の研究に影を落とし始めるが・・・
<天才は天才を知る・・。二人の天才数学者の国籍、年齢を越えた、数学を通して芽生えた深い友情を、英国映画らしく格調高く描きだした作品>
<2016年10月22日 劇場にて鑑賞>
数式はみなに平等
個人評価:3.4
1914年のこの時代でさえ、数式の前では人種や身分は意味を無くし、皆平等だという事教えられる。偉大な数式の発見、それは神に触れる事に等しいとさえ感じる。
相変わらず渋いジェレミー・アイアンズの声が、本作のストーリーによく染みる。
物理学のテイストはやや薄いが、天才達の人間ドラマが描かれている。
ブラックホールの計算にも
第一次世界大戦前夜のこと。ラマヌジャン(パテル)は職を求めて何とか経理の仕事を得て、仕事外では数学にのめり込む青年。ケンブリッジ大学のG・H・ハーディ教授(アイアンズ)から良い返事を貰えたので、妻ジャーナキ(ビセ)と母親をインドに残し、単独で英国へ渡る。
インド人だとして迫害も受け、彼の独学での数学のため、講義でも邪魔者扱いされるラマヌジャン。彼は発見した素数に関する公式を発表したくてうずうずしていたのだが、ハーディからは直観よりも証明が大切だと諭され、やがて対立したりもする。神を信ずるラマヌジャンに対してハーディが独身で無神論者であったことも影響した。
そうやって共同研究する中で、ラマヌジャンはひらめきにより分割数の公式を発見したと報告する。これが公式化不可能とされていたため、にわかに信じがたいもので、ハーディは色めき立つものの、共に長い年月をかけて証明しようと力を合わせるのだった。そんな折、ハーディの右腕でもあったジョン・リトルウッド(トビー・ジョーンズ)が戦地に駆り出される。そしてラマヌジャンには結核という病魔が忍び寄っていた・・・
戦局は激化する中、ドイツのツェッペリン号が上空に飛んできたりする。大学の組合でも反戦の意見が多い。学問に没頭する彼らは戦争の無意味なことを知っているのだ。そして、ハーディはラマヌジャンをトリニティ・カレッジのフェローに推薦するが、委員会では否決され、ラマヌジャンの病状も悪化して、ホームから転落するなどしてケガを負う。しかし、結核の方が心配だったのだ。
分割数の証明をハーディが力説したため王立協会の会員となったラマヌジャン。大変な名誉を受けたため、一旦帰国する。しかし、帰国してから1年後に結核を再発して、32歳という若さでこの世を去ってしまったのだった・・・
ほぼ備忘録
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