黄金のアデーレ 名画の帰還のレビュー・感想・評価
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可愛いお婆ちゃん
封切りのSWを観るか、上映が終わってしまうアデーレを観るか迷いましたがSWは混みまくってるだろうとコチラにしました。
実話を基にした話はあまり好きではないのですが評判良かったので観てきました。
場内は歳を重ねたお姉さんたちばかりで一人浮いてる感じでした。
バックボーンは戦争なので重いテーマではあるんですが私には少し単調でした。
前半はウトウトしかけましたね。
途中、ランドルが仕事を辞めてまで、この絵を取り戻そうと奮闘し始めてからが面白かったです。
想像通りの展開でしたが心に沁みるものはありました。
戦争は何も生み出さないですね。
終わった後、劇場を出るとライトセーバーを持った集団がごった返してました(笑)
すごくよかった
主人公の奥さんが、彼の背中を押す場面が素晴らしかった。破水していて自分も大変な時にあんな風に言えるなんて、すごい女性だ。
法律的に決定的な証拠があっても、ちょっとした意図で採用されなかったり、理不尽な裁定が下る事もあるというのがとても残念だ。しかしそれが現実で、それを受け入れようとするお婆さんの立場も分かる。
絵が返還されることが決定して、過去と現在を行き来する場面がとても感動的だった。高校生くらいの時は感動的な音楽が掛かるだけで鳥肌が立ったものだが、久しぶりにじわじわと鳥肌が立った。映画を見ただけで彼女の辛さや悲しみが理解できるわけはないのだが、伝わるものがあったのだろう。
おばさん向けの映画だと思っていたら、法廷サスペンスの要素もあり、文系の静かな闘争が熱く描かれていてとても面白かった。
人種差別、法治主義(公平な裁判)の大切さなどを深く考えさせられた
ナチス時代の悲劇を背景に、クリムトの描いたオーストリアのモナリザと言われた絵画「黄金のアデーレ」が正当な所有権者に取り戻されるまでを史実に基づいて描いた一編。オーストリアでのユダヤ人迫害を逃れてアメリカに移住した本来の相続権利者の老婦人が主役だが、大戦時の思い出したくない記憶を背負いつつ、駆け出し弁護士の働きで国境を越えての裁判に勝利するまでを描いてます。
ナチス時代の悲劇、人種差別、法治主義(公平な裁判)の大切さなどを深く考えさせられました。ウィーンを題材とした映画ですから、駆け出し弁護士がシェーンベルクの孫だったり、カラヤンの名前が出たりして音楽ファンにも見所は多いと思います。まじめな内容の濃い良心的映画でした。
重い実話を淡白に。
シェーンベルクの孫である経験の浅い弁護士が、クリムトの絵のモデルとなったアデーレの姪の代理人となって、オーストリア政府を相手取ってアデーレの肖像画の返還を提訴して争う実話。
若い弁護士がこの戦いに取りつかれたように挑むその原動力や、最高裁までたどり着く法廷の展開、ウィーンでの調停で遂に勝利に至る過程など、どれも実にあっさりと描かれている。
一方、現代の物語の展開に挿入される過去の断片は幾分ドラマチックに描写されていた。
現代編の方にもっとサスペンス感を持たせることはできたと思うが、それは避けたのだろう。
全体的に淡白な演出だが、役者達の魅力が出ていた。
やはり、役者で魅せる映画は安心して観ていられる。
ヘレン・ミレン演じる老女マリアが、母国オーストリアへ渡ることを強く拒絶する場面は印象的だ。
ただ、彼女の若い頃は金髪じゃないのが気になった。なぜ金髪にしなかったのだろうか?
実話という重さ以外は、重苦しさがなく観られる良質な映画。
the WOMAN IN GOLD 傑作!
クリムトがちょっとだけ身近に感じられた。あの時代を今にもってくるのは、よくある手法ではあるけれども、それがまったく自然で、かつ、リアルに感じられた。最近ミケランジェロプロジェクトを見たばかりでもやもやしていたものを綺麗に消し去ってくれた。ウィーンの街中もカリフォルニアの丘も美しい。オーストリア系アメリカ人の主人公ふたりに共感する。あの時代を少しずつ思い出して行く過程と、主人公たちの闘いがぴったり合っていてとても納得させられるのだ。戦争の悲惨さはとても部分的にしか語られないが、ユダヤ人一家、ナチの将校の俳優、洗濯物干しているおばさんなどすべての配役に魅了された。美術、音楽、編集どれも素晴らしい。今年のマイベスト1。
美大に合格していたら・・・
ナチスが自宅の壁から持って行ってしまった絵「黄金のアデーレ」の返還裁判の実話。
第二次世界大戦中の出来事、消化されていない記憶、主人公の強さ、新人弁護士の心の移ろい・・・全てがすばらしい
主人公の結婚式の場面は涙が止まらなかった、辛さの中の幸福だからだろうか・・・
本当にヒトラーが美大に合格していたら・・・つい、そう考えてしまう。
ダニエル・ブリュールに見惚れる。
この映画の見どころはどこまでもクリムトが描いた「黄金のアデーレ」とその絵が掛かるサロンにある。
この映画はその初頭に描かれたクリムトの「黄金のアデーレ」を20世紀末、アメリカに住むアデーレの姪のマリアとシェーンベルクの孫ランディが取り戻そうとする物語だ。物語と言っても実話だが、ウィーン・ベルヴェデーレに展示されていた「黄金のアデーレ」はもともとはユダヤ人家族ブロッホ=バウアー家邸宅のサロンを飾っていた肖像画。幸せな家族と家族の象徴を軍靴で汚し奪っていったナチス・オーストリア。奪われ、追われたマリア・アルトマンは、若き弁護士ランドル・シェーンベルクと彼の家族の助けを借り、クリムトの名画を取り戻そうと画策する。
しかし、この映画の見どころはどこまでもクリムトが描いた「黄金のアデーレ」とその絵が掛かるサロンにある。ウィーンエリザベート通りに現存するブロッホ=バウアー家邸宅は19世紀末の文化サロン。画家クリムトをはじめとして、音楽家マーラー、作家シュニッツラー、精神科医フロイト等が集まったところだ。そして、ナチス以前にクリムトが描いたアデーレだが、その表情はどこまでも「悲しい」。その「悲しみ」を取り戻すのは今を生きる、マリアとランディともう一人、この物語の貴重な伏線となっている戦時中のナチス党軍人を父に持つウィーンのジャーナリスト・フルヴェルトゥス。クリムトの「黄金のアデーレ」には後のユダヤ人家族と彼らの「悲しみ」だけが予見され描かれていたのではない、20世紀という新たな世紀、その世界に生きる人間の「悲しみ」が描かれていたのだ。
観るべき映画です
構成がとてもシャープで。
言ってみて「起こったことしか描いてない」のですけど、ほんのすこしの間の演出で、すごく想像力を掻き立てられるのです、という作品でした。
主人公となったマリアさん。
事実をそのまま受け取ると、彼女は「ものすごい強運の持ち主の女性」。だけどそこで思考を止めず、彼女が抱えた運命について掘り下げて考えてみる。
世紀末ウィーンに活躍した芸術家たちが築いた芸術家文化とユダヤ人の歴史を継承し、アメリカに「逃げてきた」という彼女自身の「原罪」。裁判に関しても、言葉とは裏腹に常に臆病になっているのは、恐らく、彼女が大西洋を渡って今まで生き延びてきた間ずっと抱えてきた葛藤がそこにあるからなのでは?
そして晩年まで働き続けた。働き者です。きっとそれが彼女のDNA、なのかな。
どんな方だったんだろう。…難しい方だったのかも。そんなことを思いました。
また、全編を通じて、国民としての自尊心、正義、そして前に進むことの意味を考えさせられます。複雑な問題で、解決するしないの話ではないのですが、映画ははっきりそこを突いてくる。
人間の尊厳とは何か、この絵の所有権を一つのメタファーにして、観る者に問うてくるような、そんなメッセージを感じました。
評価は、私がクリムト作品が大好きで大学の時ベルヴェデーレで受けた感激を思い出したという理由で星多めで。
真摯な歴史観を持つことを問いかける映画
御年82歳になる米国在住のユダヤ人女性マリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)。
彼女の姉ルイーゼが亡くなり、遺品の整理をしているうちに、姉がオーストリア政府に絵画の返還を求めていたことを知った。
絵画はクリムトの名画「黄金のアデーレ」他、計5点。
アデーレはふたりの伯母にあたる人物。
それらの絵画は、オーストリアに侵攻してきたナチス・ドイツが強制接収してウィーンの美術館に飾ったもの。
マリアは、友人の息子で駆け出し弁護士のランディ・シェーンベルク(ライアン・レイノルズ)に、絵画を取り戻すよう依頼する・・・というハナシ。
オーストリア政府が所有権を主張する絵画をどのような手段で取り戻したかということに興味津々だったので、映画を観る前は、丁々発止の法廷ものかしらん、と想像していたけれど、そんなことはなかった。
たしかに、どのように取り戻したかはわかるけれど、映画はそこのところを強調したいわけではなかった。
では、どのようなところを描きたかったのか。
絵画を取り戻そうとする現在と、マリアが夫とともにオーストリアを脱出しなければならなかった過去とを交互に描くことで、ナチスによって暗い時代を迎えた当時を強く印象付けるとともに、当時の非道・不法行為を現在、どのように捉えて、どのように償うか、というを考えさせることがこの映画の眼目といえよう。
簡潔にいえば「歴史どのように観るか」、真摯な歴史観を持つことを問いかける映画といえるでしょう。
マリアとは、初めは、是が非でも「黄金のアデーレ」の実物を手元に置きたいとは思っていなかった、過去の非道・不法行為に加担したオーストリア政府がそのことを認めることがいちばん重要だった、というように描かれている。
それが、オーストリア政府及び美術館が、絵画の価値その他から、絶対に手放したくないがゆえに、過去の過ちを認めず、どんどんと事態がこじれていった印象を受ける。
そう、これは一絵画の物語ではないということ。
『マリリン 7日間の恋』のサイモン・カーティス監督の演出は巧みで飽きさせないし、出演陣は渋いところばかりだけれど映画通なら「おお、このひとが!」と思うような布陣。
列挙すると・・・
ウィーンでマリアらに協力する記者にダニエル・ブリュール、
ランディの妻はケイティ・ホームズ、ランディの上司にチャールズ・ダンス、ランディの母親にフランセス・フィッシャー、
米国の判事にエリザベス・マクガヴァン、ジョナサン・プライス。
この顔ぶれを観るだけでも、少々嬉しくなりました。
歴史的名作!『ミケランジェロ・プロジェクト』をご覧になった方は必見!
とにかく素晴らしい作品です。
『ミケランジェロ・プロジェクト』をご覧になった方は必見!ストークスたちモニュメンツ・メンの活躍で多くの美術品がナチスより奪還できました。ではそれらの美術品がその後どうなったのかということを問いかけるのが本作です。
モニュメンツ・メンの活動は、元の持ち主に返却することを目的としていたのに、いまだに10万点もの美術品がもとの所有者に返されていないのが現状なのだそうです。
そんななかで、20世紀が終わる頃、ある裁判のニュースが世界を仰天させました。アメリカに暮らす82歳のマリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)が、オーストリア政府を訴えたのです。
“オーストリアのモナリザ”と称えられ、国の美術館に飾られてきたクリムトの名画〈黄金のアデーレ〉を、「私に返してほしい」という驚きの要求でした。
伯母・アデーレの肖像画は、第二次世界大戦中、ナチスに略奪されたもので、正当な持ち主である自分のもとに返して欲しいというのが、彼女の主張でした。共に立ち上がったのは、駆け出し弁護士のランディ・シェーンベルク(ライアン・レイノルズ)。対するオーストリア政府は、真っ向から反論します。
大切なものすべてを奪われ、祖国を捨てたマリアが、クリムトの名画よりも本当に取り戻したかったものとは何か?
史実に基づき、決して大上段に正義を振りかざすのでなく、主人公の目線で葬られた歴史の闇に光を当てていく作品でした。その困難に屈しない情熱に、感動しました。
ラストにアデーレ夫人とともにアップされる〈黄金のアデーレ〉を見せつけられて、この名画に込められたドラマが走馬燈のよう駆け巡り、自然と涙がこみ上げてきたのです。
見終わって、ある作品との共通点を感じました。それは『永遠の0』です。戦後世代が戦争中に起こった真実に触れることで、自分たちのアイデンティティに目覚めるという骨子は、この作品でも同じだったのです。
本作でも戦後世代のランディは、全く戦争中のことには興味を示そうとしませんでした。しかし懇意にしているマリアが、オバタリアンといっていいほど執拗に弁護してくれ~といってくるので、根負けして引き受けたのでした。でも調査してみると、〈黄金のアデーレ〉の時価評価はなんと1億ドル。金に目が眩んだランディは、果然やる気を出して、所属事務所を説得して、ウィーンに向かったのでした。
ウィーンでは、オーストリア人ジャーナリスト、フベルトゥス・チェルニン(ダニエル・ブリュール)の協力もあり、ランディは〈黄金のアデーレ〉がナチスに奪われた過程を克明に知ることになります。それは、ランディも人ごとではありませんでした。それは祖父の作曲家シェーンベルクがマリアと同じウィーンの出身で、マリアと同じくナチスに追われてアメリカへと移住していたからです。この訴訟は、ランディにとっても、自らのルーツに関わることだったのです。
そしてランディの正義感に火を灯したのは、当時のウィーン市民の多くはナチスを歓迎したこと。ウィーン市庁舎は赤くカギ十字の旗で埋め尽くされました。そんなウィーン市民がユダヤ人迫害に手を貸したことが許せなかったのです。
オーストリアでは、略奪作品の返還法が1998年に制定されて以来、各地の美術館で収蔵品の来歴調査が進み、元の所有者の遺族への返還が進んでいました。しかし、国宝級の〈黄金のアデーレ〉だけは別格でした。公聴会で訴えをあっさり退けられたマリアたちは、そこに絶対に返還しないというオーストリア政府の意志を感じ取ったのです。
もう二度とこんな屈辱は受けたくないと、裁判からの撤退を言いはじめるマリア。彼女の気持ちはよく分かりました。この裁定は迫害や略奪受けた当時に等しいくらいの屈辱だったのです。返還法がありながら、どうして奪われたものが帰ってこないのか、見ている方も苛立ちがつのりました。
しかし、オーストリア政府には明確な根拠が。アデーレは、自分を描いた作品については国立のベルヴェデーレ宮殿美術館に寄贈するように遺言していたのです。
普通ならここでドラマが終わるはずです。しかし、ここからランディの戦いが始まりました。裁定を聞いたとき、突然トイレに駆け込んで、嗚咽するランディの姿にもらい泣きしてしまいました。彼にとってもはや〈黄金のアデーレ〉は、損得を超えた、自分のかけがえのない歴史そのものになっていたのです。
その嗚咽に、『永遠の0』のシーンが重なって、泣けてきたのです。既出のストークスも軍の幹部たちに文化や芸術を保護することは命を紡ぐことなんだ、文化や芸術を失うことにいまは何も感じられないだろうが、その後の時間の中で、われわれの命が失われてしまったことに気づくだろうと語っていました。歴史の真実を知ることは、命を知ることそのものだったのです。
ランディの夜を徹した調査が再開します。膨大な資料からついにアデーレの夫フェルディナントが、自らの所有する絵画を政府へ寄贈する考えを取り消し、遺言で甥姪に相続させるとした遺言を発見。アデーレの政府に寄贈する遺言が無効なのだという確証を掴むのです。
しかしオーストリアで裁判に持ち込もうにも、高額な裁判費用が問題に。そこでランディは、ウルトラCの起死回生策を思いつくのです。それは、マリアがアメリカ国籍を持つことを利用して、「米国民は国内において他国政府に対し訴訟を起こす権利を有す」という外国主権免除法に基づき、カルフォルニアでオーストリア政府を訴えたのでした。
この裁判は、最高裁でまで持ち込まれ、マリアに有利な判決が下されると、オーストリアはオーストリア人裁判官3名で構成された仲裁委員会で示談に応じることに合意。2006年1月17日、マリアへの返還が決定したのでした。
この間、幾度となくマリアは激高し、もう無理たわとサジを投げ、裁判から撤退して普通の生活に戻りたいとごねたのです。それを必至でなだめつつ、自身は莫大な借金と第2子出産を控えつつも、決して怯もうとしなかったランディの信念が感動的でした。夫の家庭を顧みない暴走にも、理解を示そうとする身重の妻の言葉にも泣けました。
本作は有名な歴史史実を再現しているだけに、結末は分かっています。しかし結末が問題ではなく、なぜマリアが戦後半世紀も経って、勝訴が難しい裁判に挑んだのか、その心情にふれるべき作品なのです。
器用でデリケートで、面白くてふてぶてしい、そんなマリアのキャラクターに適した素質を全て持っていたのが、名優ヘレン・ミレルでした。ヘレンによって、素晴らしいユーモアの持ち主で、気品があっておおらか、そしてとてもパワフルな生前のマリアが完璧に再現されたのでした。名優によって、普通のおばちゃんに見えるマリアの内に秘めた怒りが表現されていました。それは壊された家族の幸せや奪われた人生に対するヘレンの怒りだったのです。
そんなヘレンよりも、全編を通じて素晴らしかったのは、ランディ役のライアン・レイノルズです。彼は本作を監修したランディ本人との接触をあえて避けて、独自の役作りをしたそうです。でも結局、本人に会ったらすぐに意気投合。お墨付きがもらえたようです。
記者のフベルトゥス役のダニエル・ブリュールはドイツの著名俳優。映画『ラッシュ/プライドと友情』のニキ・ラウダ役といったら分かりやすいでしょう。そんな彼はドイツ人として今でも罪悪感と向き合っているそうなんです。そんな彼の役に深く共感して演技にも注目してください。
最後に、裁判の行方と平行するもう一つの見どころを紹介します。それは、ナチスのオーストリア併合の際の侵攻当時の若き日のマリアの物語です。それは裁判シーンに挿入する形で、断片的に描かれていきます。マリアと家族の逃亡の話は、それだけで1本の映画が撮れるほどスリリングなナチスとの逃避行シーンでした。
また、ナチスに協力してしまったオーストリア最大のトラウマを再現した本作の撮影を暖かく迎え入れたウィーン市民の寛容さにも敬意を捧げたいと思います。過去と向き合わせてくれるマリアの物語の再現は、ウィーン市の歴史にとって、非常に重要な存在だったようです。本作によって、重要な話を次の世代へ伝え続けることができるわけですから。そんな歴史的に残っていく名作だと思います。
全32件中、21~32件目を表示