劇場公開日 2015年11月27日

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「素材はすべて超一級品なのだが」黄金のアデーレ 名画の帰還 ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0素材はすべて超一級品なのだが

2015年12月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

怖い

知的

難しい

音楽の都、芸術の都といわれるオーストリア、ウィーン。モーツァルトやベートーヴェンが住んだ街であり、ここで開かれる音楽祭には世界各国から観客が押し寄せる、世界有数の観光都市。そこが故郷なんて、日本人からすると羨ましく思いますね。
だけど、その故郷に、二度と帰りたくない、と思う人物もいるのです。
華やかなウィーン。実は影の顔があります。ウィーンがあまり表に出したくない、忌まわしい過去。
かつてナチスドイツがウィーンを併合したとき。ウィーン市民たちは、あのヒトラーを大歓迎して出迎えました。
やがてウィーンでもユダヤ人の迫害が始まります。
迫害などという生易しいものではなかった実態が、本作でも描かれます。
それはナチスがユダヤ人を「狩りの獲物」のように執拗に追回し、狩っていたのです。
本作については、正直、やや期待しすぎました。
なにせ、主演はエリザベス女王を演じたキャリアを持つ、ヘレン・ミレンですよ!
僕はヘレン・ミレンが演じた「クィーン」を観ました。
そのとき僕は、精神状態が極めて敏感になっていた時期でした。
上映中、あまりにいたたまれず、途中退席した記憶があります。
それは作品が稚拙だったからではありません。その真逆です。
作品が素晴らしすぎたのです。
ヘレン・ミレン演じる、エリザベスのあまりの孤独、疎外感、その波長が、当時、僕が置かれていた境遇と、まさに振幅がぴったり合ってしまったのです。
小さな振動でも、ある周波数の波長が合うと「共振」という現象が起こります。それは巨大な橋梁でも破壊してしまう巨大な力となります。
僕の精神の中に、まさにその「共振」が起こったのでした。
ヘレン・ミレンの演技によって僕の心が破壊されそうになったのです。
それほどすごい作品であり、名演でした。
そして本作では、作品のモチーフとして、グスタフ・クリムトの傑作と名高い「黄金のアデーレ」という肖像画が登場します。
ナチスによって強奪された、この名画の返還を求めて、主人公マリア・アルトマンがオーストリア政府を相手に訴訟を起こし、ついに名画を取り戻すという、奇跡のような本当の話がベースになっているのです。
セミドキュメンタリー仕立てなのですね。
「事実は小説より奇なり」はまさに真理です。
頭でこねくり回したストーリーより、ドキュメンタリーの方が数百倍も面白い。興味深い。
これだけの「美味しい」材料をギュッと映画作品に押し込んだのが本作。
面白くない訳がない!!
とあなたも、思うでしょう? 僕もそう思ったから観に行きました。
ところが、実際は、残念ながらイマイチでした。
告白すると、前半はうかつにも寝てしまいました。
最大の問題は、編集でしょうね。
映画の後半などは、安物の紙芝居のようにポンポンとストーリーが展開してゆきます。
ヘレン・ミレンの重厚な演技を期待したいところでしたが、これが監督の趣味の問題なのか、意外にあっさりとした味付け。
むしろ素晴らしかったのは、回想シーンにおける、若い頃の主人公。それを演じた、日本ではほとんど知られていない女優さん、タチアナ・マズラニー。
この人は良かったねぇ~。ちょっと大竹しのぶさんに似ていますよ。
ナチスの追っ手が迫ってくる。夫と共に、オーストリアからアメリカへ脱出を目指します。隠れては逃げ、隠れては逃げ、あと少しで飛行場までたどり着く、その緊迫感。
ナチは、逃げるユダヤ人相手には平気でピストルを向ける、発砲する。もう、相手を人間と思っていないのです。そういうナチスの手から逃避行をする緊迫のシーン。これはよかったですよぉ~。
当時、ユダヤ系の人たちがどのような形で、国外へ逃れたのか? 本当に命がけの逃避行であったことがわかります。
それから、本作において、ヘレン・ミレンが、あえて「ドイツ語訛り」の英語を話していることに、皆さん気づかれましたか? その辺りはさすがですね。
それから、ウィーンの新聞記者役のダニエル・ブリュール。彼はもう、抜群でしたね。むしろ本作において真実味や、重厚さを与えたのは、彼の存在感が大きかった。彼のドイツ語でのセリフ回し、これが何より作品に緊迫感とリアルさを与えていて素晴らしかった。
彼の主演した「コッホ先生と僕らの革命」 「ラッシュ/プライドと友情」どちらも僕は鑑賞しました。素晴らしい俳優さんに成長していますね。

本作では、訴訟を起こすキーマンとなる、若いアメリカ人弁護士、この人は作曲家のシェーンベルグの子孫なんですね。ウィーン政府相手に大胆な訴訟を起こし、一度は挫折を味わうわけですが、その後、アメリカでも訴訟を起こせる、と思いつき、再度アメリカにおいて訴訟を起こします。この辺りの彼の複雑な心境、自分の出自、そして、もう一度訴訟を起こそうと決意する、そのあたりの心の揺れ動き、一つの国を相手に一個人が訴訟を起こすという、極めてレアなケースの訴訟を、「どうしてもやり抜くんだ」という決意。それが、どうして彼の心の中で生じたのか? その動機をうまく表現できないもどかしさを感じてしまいました。このあたりがちょっと残念。さらには「黄金のアデーレ」という名画、とクリムトという絵画界の大スター、これをもう少し掘り下げて描いても良かったのでは? と美術ファンなら思うところなのです。その辺りに食い足りなさを感じてしまう作品でありました。
いやぁ~、作品を構成する素材はすべて超一級品ばかりだったからこそ、それを生かしきれなかったのは、残念でなりませんでした。

ユキト@アマミヤ