「「なぎ」は弓へんに前の旧字体その下に刀」スノーデン いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「なぎ」は弓へんに前の旧字体その下に刀
ジョセフ・ゴードン=レビットという役者を常に注目している。初めは『インセプション』。バッドマンのロビン役や、ビル間の綱渡りも観た。この俳優を日本に例えるならば・・・堺雅人は顔が似ている。しかし、一番そのポジションは草彅剛なのではないだろうか?飄々としていて、役柄をきちんと把握し表現する。非常に器用な役者なのだろう。
そんな人がこの稀代のホイッスルブロワーを演じる今作品は、オリバーストーン監督なのになかなか上映館が少なく、観ることが困難だった。
で、やっと東武練馬なんて初めて行く場所で観たのだが、さすがオリバー監督の作り込み、これぞハリウッドなのだろうと噛みしめた。バックに流れる音楽もその時の主人公の心情や情景をきちんと表現しているので、丁寧にその気持ちを捉えることができる。
ただし・・・如何せん、プロットが難しすぎ。頭が悪いから映画で起こってる出来事がどれだけマズいことなのかを実感として受け止められずに映像が流れてしまう。それは現に実際に起きた事件自体が未だ全容の解明に届かず、当の本人はモスクワの霧の中に身を潜める状況だからである。そして、難解なコンピュータープログラム。『プリズム』『Xファイルスコア』等々、このプログラムが一体どういう仕組みで情報を抜き取ることができるのか、頭が整理できない内からドンドン話が進んで言ってしまう。
しかし、壁一面の遠隔映像で上司からの威圧的な話や家族のプライベート情報の人質等でスノーデンがこの状況の暴露を決意するところから香港経由のモスクワ行き迄は疾走感を持って観れた。スパイ映画さながらの逃走劇はこれが本当に行われたとしたら、綱渡りではないが、強い運を感じざるを得ない。特にルービックキューブの件は、伏線の回収も相俟って、緊張のアイデアだったと感じた。
ラスト、トークショーが終わった後のあのスノーデンは、本人ではないだろうか?多分・・・
追記
何故、スノーデンは全てを犠牲にして暴露することを決意したのか?
『てんかん』という病気が発症するシーンは2回。一つはパスタを作る場面。もう一つは友人のパーティにおいて、恋人が男と仲良く談笑している姿を目撃してしまった場面。前半は湯気、後半は飛ばしていたドローンの点滅。日常に常につきまとう発症のきっかけ。その地雷はどこに埋まっているのか誰にも分からない。常にそのきっかけが自分を縛り続ける。常に常に・・・
勿論、『てんかん』そのものが死と直結する症状では殆どない。只、これはある意味精神的な部分においては『死』よりも自分を蝕む悪魔であろうことは想像に難くない。より高度な仕事や生活を望み安定させる人生そのものが、この悪魔との契約を結ばなければならない矛盾なのだろう。摂薬すれば思考が覚束なくなり生活の維持は困難。しなければ悪魔が鎌首を振る。
勿論、持ち前の正義感が土台なのだろうが、彼は国家だけでなく自分自身の病気からも逃げなければならない身の上だった訳だ。
スノーデンという人間の本性はそれを観た人それぞれの感想なのだろうが、しかしこの顛末は彼のみが考え実行したことであり、それを誰も非難してはならない。
それこそが『自由』なのだから。
とかく、『自由』は面倒くさい。そして、『自由』は眩しい・・・