太陽のレビュー・感想・評価
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家庭用ゲームのようなシナリオ!!
悪い意味で家庭用ゲームか学生演劇のようなシナリオで、それでもテンポが良ければ良いのですが尺も長すぎて終始退屈でした。日本の寒村を舞台にしているのに種族の固有名詞(キュリオ、ノクス)が野村FFっぽくて気持ち悪く、対立構造も空想の域を出ず最後まで馴染めませんでした。役作りした事がないと言う神木君の喚き散らす一辺倒な演技は飽きました。
太陽
この先の人間の在り方を
問いかけているような映画でした。
太陽の下で貧しい生活を
余儀なくされている旧人類、
太陽の下では生きれないが
ハイテクで裕福な生活をしている新人類。
旧人類は
笑ったり泣いたり怒ったり
私利私欲に走ったり
人間味があったように感じました。
新人類は感情というものが薄く、
どちらかというとロボットのような
かんじで人間味がなかったように感じます。
最後新人類になった麦ちゃんが
その悲しい変わりようを表していた
のではないかと思いました。
そんな悲しい現実の中、
古川くんの役は希望でした。
人間というのは汚い部分も
ありますが、人間味がなくなって
ロボットのようになってしまうのは
悲しい。
この先ますます世界がハイテク化し、
人間が人間でなくなっていってしまう
のではないか、そんな危機感を覚えました。
ミニレビュー
満足度60点(100点満点中)
舞台なら傑作であろうとしか思わなかった作品。悪くないんだが、映画なのに舞台的なシーンは正直浮いてるようにしか思えない。神木隆之介も正直オーバーすぎるかな。クライマックスもコメディのような感じになっていて見てる側としては感動もハラハラもなにもなかった。ラストあたりも良いんだが、門脇麦のキャラが安定してない。というか演技が殺されていたように感じたかな。個人的には入江監督は『日々ロック』や『ジョーカーゲーム』的なコミカルながらシリアスな作品が一番合ってるように感じる。
考えさせらるれ内容でした。
ウイルスにより、人類は少なくなっていき、種族は二つに分かれました。
ウイルスに強くなり、老化も遅いが、太陽に浴びると死んでしまう「ノクス」と旧人類「キュリオ」。キュリオは、ノクスに管理されています。
ある日、青年がキュリオを殺してしまい、その青年は逃げました。
青年が暮らしていた村は、ひどい扱いを受け貧しくなっていきました。
そんな村で、育った少年は、ノクスになりたいという思いが強く、あることをきっかけにノクスの友人ができます。
しかし、そんな中、キュリオを殺した青年が村に帰ってきます。
その青年は、ノクスに管理される人生は駄目だと主張していました。
その話を聞いた少年は、どちらがいいのか悩み、ある決心をします。
というのが、大体の内容でした。
この話は、色々なことが、両極端に比べられる話だったと思います。
昼間に、生きるか、夜に、生きるかや田舎と都会どちらがいいのか。
ノクスは、生命体としては、いいと思います。病気にならないでしょうし老化も遅いしかし、観ている限りでは、感情が感じられない気がしました。
たいして、キュリオは、貧弱で、悩んでいる不完全な生き物だと感じました。
どちらが、いいのかは個人的な判断になると思います。
自分にとって何が一番なのか考える作品だと思いました。
素晴らしい
早稲田松竹で鑑賞
圧倒されたレベルで面白かったです
鑑賞後自分には珍しく打ちのめされた感覚があった
個人的にも好きだし、映画批評的な観点からも傑作の部類に入るのではないか
その割にここの評価は低くなってるな
という感じがします
2本立てで一緒に見たアイアムアヒーローが出落ちの無内容な映画だったので
こちらが見れてよかった
映画、物語りに肝心な「必然性」が全く存在しない。
入江悠監督という事で観に行って、愕然とした一本。
映画、物語りに肝心な「必然性」が、画面にも演技にも全く存在しないのが致命的だった。
評価された舞台の映画化ということだが、舞台だからこそ許されることを映画でそのままやってしまってはダメだろう。
ギャーギャー煩瑣い多動障害のような神木氏のキャラ、要所要所で棒読の門脇氏の演技など、これで良いのか?と思ってしまうちぐはぐな人物描写。
設定のみだけで、人物もその行動の理由も何も説明のない展開。
心情的にリアリティのない、長回しとは到底呼べない冗長な演出
後半、村上純氏が「いつもの調子でいつものキャラ」で飛び出してきたときには思わず吹き出してしまった。
(他のお客様には申し訳ないが、ここが一番面白かったわ)
すべては脚本も兼ねた監督の、完全な力不足としか思えず。
「SR」以降の仕事ぶりに、「一発屋」という言葉が頭から消えなくなった作品。
SFなヒューマン
ここではないどこかを夢見ることだったり、仲間を守ろうとすることだったり、子供の将来を思うことだったり、太刀打ち出来ない自然の摂理の中でもより快適に生きるためのテクノロジーを開発することだったり、誰もが良くありたいと思う中で、それ故に生じる摩擦。こんなにも人間は未熟で、それをこうやって映画で俯瞰しようとしているっていうところ込みでおもしろい!と思わせてくれる。濃い時間でした。
昼と夜、それぞれの光
日本の村の昔ながらの清貧な美しさと、システマティックな夜の都会の美しさと、昼と夜と、それぞれに生きる人々。
キュリオの日常は、見ていて痛いし酷いし惨めであるが、人らしさに溢れている。辛いシーンも多いが、戦前の日本はこんな感じだったのかな。
小説のノクスの内的特徴?あるいは欠陥?みたいなのが、映画版では省略ぎみだったが、ノクス側は最小限の登場人物でうまく描かれていたと思う。
なんか、途中からずっと泣いてました。
キュリオとノクス
映画も舞台も見た。映画が舞台的という意見も聞くが、二つ見比べるとやはり違っていて面白い。
どちらも人間について考えさせられる。何が幸福か、人間とは何か、差別とは何か、自由とは何か、などなど。
ノクス自身が自分達を劣等視して、しばられている感もある。
痛々しいが、見る価値のある映画だと思う。
集団につきまとう闇
田舎か都会か。集団か個人か。よく見かける命題ではあるが、それをSFで味付けしてより明確にした感じ。良い作品を観たなぁ、と思いましたが、爽快感とは無縁です(笑)
音楽よりも音。セリフよりも感情表現。それらがまさに、舞台脚本。
異色の角度から問いかけられる、生きていくことの意味。
【賛否両論チェック】
賛:舞台の設定が斬新。新人類として制約の中で豊かな暮らしを生きるか、旧人類として貧しくも自由に生きるか、決断を迫られる若者達の悲哀がしっかりと描かれるのも印象的。
否:展開はかなり淡々と進むので、興味を惹かれないと眠くなりそう。グロシーンやラブシーンもあり。
設定はかなりSFチックな印象ですが、本作で描かれているのは、農村で貧しく暮らしていた“キュリオ”の主人公達が、都会の“ノクス”からの接触によって、次第にその生活をかき乱されていく様子が淡々と描かれていく、あくまでも静かな雰囲気の作品です。そのため、人によっては退屈で眠くなるかも知れません。
日の光を浴びられなくなるが、文明的な生活を送れるノクスを選ぶか、生活は貧しいが、あくまでも人間として生き続けるか。若き少年少女達に突きつけられる究極の選択に、なんとも考えさせられます。
グロシーンや乱暴するシーンも少しありますが、「生きていく」ということの意義を変化球な角度から問いかけてくる、異色の作品といえそうです。
ノクスの恐ろしさ
ノクスは心から善良。
本当にキュリオのことも平等に考えている。
しかしとにかく感情がない。
人間は感情を持ち、日々悩みが尽きないからこそ人間なのに、ノクスは恐ろしいまでに無機質で、とても機械的な存在。
ぞっとする。
すべてを何の疑いもなく受け入れている。
門脇麦さんのノクスになった後の演技が、心に刺さる。
声色や表情がまるでロボットのようになってしまった。
彼女のお父さんは、キュリオがノクスになると人間としての感性やあたたかみがなくなってしまうことを知りながらも、彼女の「豊かな」生活を願って送り出した。
その無条件な愛にただただ胸を打たれた。
思い入れのあるマフラーも、あっけなく新しいマフラーがあるからと断ってしまうような生き物がノクス。
豊かさとは何か、そして、人間の危うさを問うている映画だった。
舞台っぽい、、、
演技の仕方とか定点カメラでの演技とか長回しとか、舞台っぽい。
それがどうも嘘っぽい。
神木くんのキャラクターはブレてるし、門脇麦も平坦。
役者としては父親役の古舘さんの憤りを感じるところが好きです。
話も乗り切らんかった。
やりたいことは何となくわかるなぁ、と思いつつ、解説を見たり聞いたりもしたんだけど、それもピンとこない。
最近、テーマが良ければいい作品のように語られることがあるけど、面白いと感じなければいい作品とは思わんなぁ、このへんは相性もあるし、しゃあないんやと思う。
ラストはあの映画っぽいなぁ。
元の舞台も観たい
予想通り、重くて、面白い映画でした。殺害とか強○とか、観ていて心が痛いシーンもたくさんあるけれど、鉄彦とノクスの友情に希望が見えます。
新種のウイルスに感染して抗体を持ったノクスが、何らかの作用で高い知性を持つのはまあわからなくはないにしても、感染していないキュリオがどういう理由で感情的で粗暴なのかが、腑に落ちないけど。
65点
他者との「壁」について、物理的な距離より精神面の方がより深く重い。イノセンスな偶発性がそれを越えた。
伊藤計画『ハーモニー』を逆側から観たような。絶望<マシな現実(真綿で首を絞められるような)を選ぶしかないという絶望
希望と絶望は裏表
迷ってるなら観てほしいというレビューを見かけて鑑賞しました。
観てよかったとおもいました。
ありがとうございます。
確かにSFのようで、個人的には「わたしを離さないで」を観た後のような後味のわるさと、それにはなかった希望のようなキラキラしたものを半分ずつ感じました。
舞台のようだといわれる後半のシーン、わたしはとてもすきです。
叔父さんには得ることができなかった友情を神木くんが得たことで未来は変わって行くのかなあとおもいました。
バンパイヤの要素も混入
評判の芝居から映画へ引っ張られることは、漫画原作のそれと同じで商業的にも又は大衆化的にも一つのシステムとなっているのだろう。この映画もその一つである。演劇のメリットはその瞬間の生の息づかい。ディテールに凝ることよりもパッションに任せることで得ることができる感情の支配。観客との一体感を厭が応にも包まれる空気がそこにはある。
逆に映画はカメラのレンズからのスクリーンという触媒を経ての出来事。“覗き見る”眼の前の風景は、凝った仮想現実を淡々と観客に説明するように流れていく。一歩引いた第三者の眼で観客は体験していく。
そうしたアプローチ方法の対極にある見世物がどれほどの意義があっての出会いを繰り広げるのか、興味津々である。
勿論、元々の観劇はしていないので、興味だけなのだが・・・
で、映画からの一方的な方向の感想だが、この作品は演劇でのアプローチ以外は成功しないのではないだろうかということである。、ワーゲンビートルの電気自動車のような走行音、音楽を聴くときの周りの壁に映されるディスプレイ、転換手術の部屋位が、SF感を匂わすシーン位で、SFのテーマであるディストピアがバックボーンに敷かれている事くらいである。
題材や訴求したいことなど、総じて演劇からのアプローチの方が上手くいくのではと強く感じた。
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