キャロルのレビュー・感想・評価
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大人の余裕と恋い焦がれる少女
デパートで働くテレーズと、
離婚協議中のマダム、キャロルの
同性愛のお話。
最初のシーンは、ゴタゴタが終わって
久しぶりに再会した二人が
レストランで向き合うところ。
神妙な面持ちの二人がどんな関係かは、
二人と観客のみぞ知る…
終始落ち着いたキャロルと、
燃えるようにキャロルに
恋い焦がれるテレーズが対照的ながら、
お互いを必要としている感じが良い。
テレーズもだんだん
表情が豊かになっていくし。
付き合ってた彼氏がいるのに
キャロルを選んだのは、
想像できる彼女の人生からしたら
相当な覚悟というか
思い切りがいったと思う。
ただ、二人の演技やBGMはよかったのに、
ストーリーは結構普遍的だったかな?
余韻は残るけど、いまひとつ
何か欲しい感じはありました。
恋心だったり、好きになる感情に性別は関係無いんだ。と、素直に思えた...
恋心だったり、好きになる感情に性別は関係無いんだ。と、素直に思えた映画。魅力的な2人の女優さんの演技力は本当に見事。ラストシーン、テレーズの表情に涙が溢れました。
ピアノの音は女心で揺れる
同性愛モノに共感できるか、観ようか迷ったのですが、怪しい魅力全開の美魔女と彼女の虜になった生娘の、ただの恋愛話ではないです。
Carolは本当の愛を知っている人、そしてありのままの自分と心を愛している人だと思いました。
女性の魅力を凝縮したこの映画では恐らくあえて、登場する男性が皆、押し付けがましい性格に描かれています。それ故、女性ならではの繊細さ、相手の心を汲む優しさと共感が際立っています。自分の心の方向性が定まらないThereseが答えに窮する時、男性陣は皆トンチンカンで一方的な慰め方や問い詰め方ですが、女性陣は暖かく包み込むような対応です。傷付いた時、Carolに側にいて欲しい!と思いました。
映画"Shame"では"we're not bad people"というセリフに依存症の苦しみが現れていましたが、この映画ではCarolが"we're not ugly people"と言い放ちます。世間の枠に当てはまらない恋愛、価値観で生きようとも、そこに清らかな美はあるのです。
John Galsworthyの一節
"Love is not a hot-house flower, but a wild plant...(中略)... flower or weed, whose scent and colour are always wild!"
まさにこれです。
幾つになっても揺れる女心に、映像だけでなく音楽も美しく重なりました。
ケイト・ブランシェットの魅力
アメリカ東海岸の1950年代初期の雰囲気がよく再現されていたと思う。古めの画質で、古い映画を見ているようたった。ルーニー・マーラはよかった。上流階級の綺麗な女性に憧れる写真家志望の若い女性。作風に関しては素晴らしいと思う。欲を言えば、まだプロではないけれど、プロを目指している女性の写真家という部分にもっとクローズしてほしかった。当時はフィルムを買うのにも金がかかり、現像するのに時間も手間もかかり、一枚の写真の価値は現在よりはるかに貴重なものだったはずだ。そのあたりの書き込みのリアリティがもうひとつだったように思う。ラスト近くの、双方の弁護士たちがたくさん出てきて、離婚や親権の話し合いをするシーンがもっとも描きたかったことのように私には思われる。
ブランシェットの衣装がすばらしい
同性愛を描いた作品を観ると、しばしば思うことがある。
なぜ、異性同士の性愛を描いたものよりも、同性同士のそれのほうが切ない感情が強く伝わってくるのか。
やはり、性愛というきわめて個人的な問題は、そこに社会的な規範などの障壁が存在しなければ、他人の心に届くドラマとして成り立たないのだ。
逆に言うと、なんの障壁もない男女が、どれほど深く愛し合おうとも、それは個人的な感情の出来事に過ぎず、赤の他人の心を動かす題材としては弱いということである。
時々、その手の個人的な「事情」を描いた作品に出会うことがあるが、非常に無駄な時間を過ごした気分になる。
この作品は、現在以上に同性愛への無理解が強かった20世紀半ばの二人の女性の恋模様を描く。
恋が始まる瞬間の期待と不安、恋が進行していくときの高揚感と視野の狭さ、恋が終わろうとするときの身を切られるような思いを、映画は一つ一つ丁寧に伝えている。
これは、シナリオや俳優の演技以上に、音楽と彼女たちの衣装・美術によるところが大きい。特にケイト・ブランシェットのための衣装は、その時代を想起させつつも、現代にも通用する洗練されたもので、ため息が出るほどに素晴らしい。
天から堕ちてきた人、貴方
出てくる女優さんが皆、美しい、キャロルもテレーズもアビーも。
そして、皆綺麗に煙草を吸ってお酒を飲む姿ら見とれてしまいます。
原作を読んだ後に映画を観に行きました。
内容が凝縮されていて、観ていて全てに引きつけられます。
時代背景などから同性愛は認められない、世間から後ろ指指されるだけではすまないだろうということはわかるだけに、二人の恋が幸せとは遠い場所にあるというのがわかります。
ただ、この映画内容、レズビアン女性なら納得できても男性には難しい、理解しづらいところがあるかもしれないと思いました。
キャロルの友人アビーの存在です。
昔、そういう関係を持ったけど、現在は友人としてキャロルを支えている、そして彼女の娘の名付け親でもあります。
娘もアビーおばちゃまと慕っています。
これは夫からしたら面白くない。
いや、わからない感覚だと思います。
ベッドシーンもケイトの体格。肩や腰、体全体の骨格、ラインがきりきりとしまっていて圧倒されました
女同士だけど、思わず男のような逞しさ。
でも、綺麗なんです、ビジュアルが。
勿論、映画全体の景色、流れるような人の行き来とカメラワーク。
少しけだるいレトロチックな音楽が素敵です。
古い映画を観ているようにノスタルジックな雰囲気が味わうことができます。
レズだから、同性愛だからと考えず興味があるなら観てほしい。
そんな映画です。
陶然
美しくて素敵な愛の傑作です。陳腐な表現ですが。人生の選択と情熱。世代、性別を問わないテーマにひとつの答えを提示してくれます。恋愛や結婚に悩む若人たちにオススメしたいです。
トッドヘインズの作品は初めて触れましたが豊穣な表現力に感銘。
ゴミの様な男しか出てこないところや盗聴のくだりの唐突さなど、後から考えると笑ってしまうけれど、それも含めて恋に落ちました。
少女マンガ
まずなによりケイト・ブランシェットが妖艶でかっこいい。
女が惚れる女。
ルーニー・マーラの瞳がきらきらして、まるで初恋のような、新しい気持ちに戸惑いつつも期待している表情が素敵でした。
感情の表現、移行が映像でうまく現れていて、見ながらつい背中を押したくなりました。
あと冒頭に出てきたラストのシーン、
あれは最初はまさかラストシーンだとは思わなかった。
「もう行くわ」「本当に?」というのはそこでまだ気づいてない恋心がざわっとしたのか?!と思ったらもう色々決着がついていたところとは・・・
どこが盛り上がりどころなのかがいまいち分からず、ちょっと眠くなるところもありましたが、線の細いタッチの少女マンガを見ているような気分でした。
最後まで観れました。
登場人物の関係か物語の進行とともにりかいできました。最初は主演の二人のきれいな顔にみとれていましたが、後半はどのような展開になるのかを考えながら最後まで観ることができました。個人的には良い終わり方をしてくれたと思える映画でした。
なんというドラマチック
ここ数年フィクションでも現実でも見たことのないレベルの、あまりに完璧な「ドラマチック」。
もう、なんというかとにかく素晴らしい「ドラマチック」。
自分は同性愛者の社会的扱いがなんたらとか生きざまが云々とかはあまりよく分からないし映画の題材としては正直どうでもいい。とにかくこの映画は「ドラマチック」の描き方が素晴らしい。素晴らしすぎる。素晴らしいにも程があるというか、ごく控えめに言ってマジで涙が止まらないほど素晴らしく完璧過ぎる。「ドラマチック」を作り上げるための配役、脚本、音楽、映像全てがあまりにも完璧。同性愛というテーマも、正直「ドラマチック」を構成するための1要素に過ぎなかったのかなと思える。
ラストシーンが最高、忘れられない、席からなかなか立てなかった、とかレビューでさんざん絶賛されてるの読んでかなりハードル上げまくってから期待しつつ見たけど、まじでラストシーンがやばすぎ。最後のカットがぷつりと暗転して終幕なんだけど、別に感涙のシーンではなかったはずなのにエンドロール流れてる間無性に涙が止まらなかった。何が泣けるってこんなに完璧なドラマチックを精神世界に有している人がいるんだなって思ってしぬほど感動して涙止まらなかった。とにかくそのくらいにはものすごく素敵で美しくてかっこよくて素晴らしい「ドラマチック」なんだよ・・・・
映画ってこれでいいじゃん、って思った。
谷崎と芥川の文学論争うんぬんではないが、題材やストーリーになんの意味がある?ただ一瞬の狂おしいエモーション、思わず溜め息出るような完璧なドラマチックのためだけの映画も良いじゃん。それに特化して極めていたら、それはそれでやはり一流じゃん、と。
以外ネタバレ
ラストがバッドエンドだというレビューほうほうで見かけたけど、、バッドエンドじゃないよね?いや、何をもってハッピー/バッドとするかというお話ならまた別なのかも知れないけれど・・
一人じゃ何も決められなくて何も出来なかったテレーズが、成長して大人になって強くなって、逆境の中でも初めて自分の意思で選んだのがキャロルなのであって、そしてまた、成熟した一人の女性としてテレーズが対峙したとき、「待ってたわ」と言わんばかりに余裕の、妖艶な笑みでいつ何時もずっと変わらず美しい姿で彼女を迎えるのが、キャロルなんですよ・・(そしてこのシーンがもう、何度でも言うけど本当にもんっっっっっ・・・・・・・・っっのすごく、美しくて危うくて切なくてかっこよくてどうしようもなく途徹もなく途方もなくドラマチック)。
キャロルが彼女らしく美しく生きて行くために犠牲にしたのが子供と共にある生活で、そしてまたその生き方の先に待つのが必ずしも幸せなことばかりでないのは想像にかたくないので、そういうことを考えると手放しにハッピーではないのかもしれないけれど、二人にとってはハッピーエンドですよ。キャロルとテレーズの関係を描いた作品ですから、これをバッドエンドとするのは不適切でしょう。
観賞後なぜか懐かしいアニメですがウテナを思い出しました
女優を観る映画。
タイトルの通り、美しく素晴らしく演技力のある女優陣を観る映画です。
ケイトブランシェットは知的かつ妖艶、ルーニーマーラはオードリーヘップバーンか、ナタリーポートマンかといった清純な妖精感、そして、アメホラシリーズでお馴染みのサラポールソンの演技も光ります。
50年代の雰囲気、衣装、音楽もとっても素敵。
キャロルとテレーズが絡ませあう視線の演技、ぞくぞくしますね。
本当に演技なのかしら?って。
作品全体に流れる空気感がたまりません。
全体的に女性が観ないとあまり面白くないでしょうね。
ある意味男性不在の映画ですから。
ケイトブランシェットの迫力☆
全然期待しないで行きました。
話の内容は至ってフツーでしたが、ケイトブランシェットの迫力は圧巻☆
ルーニー・マーラの頑張りもすごいですが、恐ろしい存在感ですね、相変わらず。
もうひとつの『太陽がいっぱい』
観始め、何だか画面のピントがボケてるというか滲んでるなあと。昔のフィルムが劣化した感じともちょっと似ている。自分の疲れ目のせいなのか、座った席のせいで歪んで見えるのか。ただでさえ滲んでいるのにガラス越しのシーンも多く、霞がかっている。
だが、ラストシーンでは、キャロルの表情をクリアに映し出す。
この世界では、あなたしか見えないと言わんばかりに。
あなたさえ受け入れてくれればそれで良いと言わんばかりに。
—
原作パトリシア・ハイスミス。
このうえもなく意地悪で孤独な小説ばかり書いてきた。
(『キャロル』は、ハイスミスにしては珍しくシンプルなハッピーエンドだ。)
「あなたが受け入れてくれればそれでいい」
それなのに、拒絶される人の話を多く書いてきた。
例えばハイスミスの代表作『太陽がいっぱい』は、中流階級の若者が、上流階級の同性に強い憧れを抱くが、結局は拒絶されてしまうという話だった。
『キャロル』と『太陽がいっぱい』は、片やハッピーエンド、片や拒絶の、対称的な作品だったのではないか。
実は『太陽がいっぱい』グリーンリーフと『キャロル』は、同じ人物をモデルにしている。
作家デビューする前のハイスミスはイタリアを旅行中、上流階級の女性Kathryn Cohenと関係を持つが、帰国後捨てられてしまう。
その失意の中で、現実に反抗するように書き綴ったのが本作『キャロル』であり、その女性と旅したイタリアを舞台に後年書かれたのが『太陽がいっぱい』だった。
片やロマンス、片や殺人と逃亡のピカレスク、そして男女の違いはあるが、この二作は表裏一体であり、ネガとポジである。
どちらも
「あなたが受け入れてくれればそれでいい」
という、ただそれだけの愛の物語だったのかもしれない。
意地悪、人間嫌い、掟破りのミステリと評されるハイスミスの根底には、どうしようもなく共鳴を求める一人の人間がいたのかもしれない。
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ただの愛の物語を、トッド・ヘインズ&エド・ラックマンは非常に上質に仕上げたと思う。
最初に書いた画面の滲みも、後で調べたらフィルムがスーパー16のせいだった。なるほどブローアップか。霞みがかったようなもどかしさも、ラストの感情も、ラックマンの巧みな技にかきおこされたものだったのか。まんまとその策にハマってしまい悔しい気もしたが、その他、ラブストーリーを支える技の数々に唸った。
男女の違いはあれ、幾度となく繰り返されてきた愛の物語。
「結局は配役を変えて何度も繰り返される」ものであり「古典」だと、ハイスミスは言った。そして
「古典とは時代を超越した、人間の業を描くもの」とも。
この映画は、原作発表から半世紀以上たって作られた。見事、時代を超越した新しき古典であることをトッド・ヘインズは証明したのではないか。
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追記1:
恋人二人の関係は、テレーズが手袋を送る事で動きだし、テレーズがラスト走ることで決定づけられる。決断しているのは、じつはテレーズの方だ。最初は、自分が何者なのか何を引き起こすのか判っていないが、ラストは判った上での決断だった。その変化を、テレーズ役のルーニー・マーラは非常に繊細に演じていたと思う。
キャロル役のケイト・ブランシェットは、取り繕った表情の裏に、若いテレーズに年の離れた自分が受け入れてもらえるのか、そんな怯えと惑いが見え隠れし、そこが上手いなあと思った。
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追記2:
脚本が、個人的には素晴らしいと思った。もっと背景を説明した方が、より楽に共感を得られたかもしれないが、あくまでもシンプルに絵的に見せる構成も良かった。枝葉を落として幹を残すような、そんな構成だったようにも思う。
原作はハッピーエンドだが、それでも意地悪なハイスミスらしい毒がそこかしこに散りばめられていた。
対して映画はまろやかだ。
そのまろやかさ、静謐さは、ハイスミスの遺作『スモールgの夜』(テレーズと似た人物が出てくる。この小説もまた『キャロル』の相似形である)と通づるところがあるなあと思った。
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追記3:
キャロルのモデルは、上記のKathryn他、幾人かいる。若き日のハイスミスがデパートで働いていた際に接客した女性。彼女とはそれきり会う事はなかったらしいが、その出来事を元に本作のアウトラインを思いついたという。なんという妄想力。この妄想にKathrynとの交情が絡み合い、『キャロル』に結実したのであろう。(妄想の女王ハイスミスにモデルがどうの言うのも野暮だけども。ほんとにいろいろ長々書いてすみませんでした。)
何ともドラマティック
始めのほうは女性が好きそうな小綺麗な悲しい愛の映画で自分にはハマらないかと思ったが、後半は何ともドラマティックになり、グイグイ引き込まれた。
登場人物の視点を想起されるカメラワークと喜怒哀楽を如実に表す音楽、主役二人の抑えの効いた演技。どれをとっても一級品。
映像もレトロな色調が美しく、特に夜と朝、都会と田舎の対比が絶妙だった。
レコード、カメラ、タバコ、電話といった小道具の一つ一つもなんとも印象的。
展開はネタバレになるが「支配していたと思っていたらいつの間にか遠いところへ」という悲しくも最もツボに入るパターン。後引くな〜
出会ってしまった
年上の美しい(本当に息を呑むように美しい)キャロルに、テレーズの視線がフィックスして動き出す、恋の物語です。
音楽がとても雰囲気に合っていて素敵でした。「You Belong to Me」が、この時代の歌だとは知りませんでした。アリーマイラブでよく使われていて知っていたのですが。
見終わってからも「You Belong to Me」と「別れの曲」が、頭から離れませんでした。仕事中に無音で口ずさむ始末です。
「You Belong to Me」の入ったCDは持っているので、別れの曲のボーカルバージョンがほしくて、iTunes Storeでがんばって探しましたが、男性ボーカル版しか見つからず・・・。キャロルのサントラにも別れの曲は入ってないのですよね。女性が歌う別れの曲が欲しい!どうしたらいいのかしら。
女と女が出会って、抗いようのない恋に落ちました。キャロルにとってテレーズはまさに苦界に降り立つ天使に見えたのでしょう。テレーズにとってキャロルは成熟した人生の扉を開く先導者といった感じでしょうか。
どんな時代であっても、人の恋路を他人がとやかく言うのはおかしいと思いますが、そうはいかないのが社会であって文化だと思います。1950年代の同性愛は病気扱いだったのですね。イミテーションゲームでのベネ様を思い出しました。キャロルが夫とその両親に精神を病んだ女として扱われることに、胸が痛みました。
娘のために、求められる「正常な」母・妻を演じようと必死で取り繕っていたキャロルでしたが、離婚調停の席で、本音をぶちまけます。自らに誠実でない人生に意味はないと。
自分を偽らないと決め、その大きな代償を引き受けると語る姿に涙が出ました。
テレーズにとっては、同世代の彼氏との「ごっこ」ではない、初めての恋愛だったと思われます。キャロルに冷たくされ、とめどなくあふれる涙や、正面に座るキャロルを見つめる表情などから、キャロルへの思いに全てが支配された(それは喜びであり、痛みですが)様を感じました。強い喜びは、強い痛みを呼びますのでね。
望む/望まざるに関わらず、遭遇したら避けられない、天からの贈り物、あるいは災難ともいえる恋というのが、時々あって、テレーズが巻き込まれたものはそれなんだ、と思いました。
世にあまたある恋愛は、殆どが真似事であり、性欲の交換に過ぎないのではないかと、私は思っています。殆どの人は、運命の恋とか、真実の愛みたいなものを体験できずに人生が終わる気がします。なので、うらやましさと、その激しさにぬるい真似事で十分でしょという負け惜しみとを感じました。
テレーズの成長物語でもあります。女子大生のようだったテレーズが、キャロルとの出会いと別れを経験し、新聞社での仕事と成熟した女性らしさを獲得した様子が伺えます。
そんな中、再会した二人が選んだ結末はいかに、というところですが、どちらとも取れる描き方で解釈が分かれるところです。朗々と謳いあげられた「別れの曲」の後にラストが来るわけですからね。永遠の別れを告げたのか、愛を語ったのか。私は後者であってほしいと思っています。
ケイト・ブランシェットの美しさと存在感が凄い
ケイト・ブランシェットが画面に映るだけで見惚れてしまう凄い存在感に圧倒された。こんな女性と恋が出来たら最高だけど。最後のシーンは無言の二人が再会する場面で終わるけど鳥肌が立った。素晴らしい芸術作品だと思う。
2017/1/31 WOWOWで2回目鑑賞。素晴らしい映画と再認識。
胸えぐるものはなかった
古き良きアメリカ、美しいセレブの生活、雰囲気、空気感は良い。
辛い恋愛を描いた映画だと思うが、胸えぐるようなものはなかった。
社会問題提起の視点から見ると、かつて同性愛が病気や異常とみなされていた社会を描いた、ということがあると思う。
ただ、同性愛者の本当の苦しみが描けているかは少し疑問がある。
キャロルは自分の行動を恥じないし、人間にもとる行動であるとも全く思っていない。キャロルはキャラ的にそれでいいのかもしれないが、役割的にテレーズにはもっと葛藤があっても良かったのでないか。
同性愛の苦しみというのは、単にそれを社会が受け入れない、というだけでなく、自分自身もそれを不道徳なこと、恥ずべきことだと思ってしまう、ということがあると思う。そういった苦しみがほとんど描かれなかったのは、もったいないと思った。
また、鍵となるのがキャロルの夫の描きかた。この作品では、自分勝手で粗暴で幼稚な、単なる「敵」として描かれるが、彼の行動はあの時代では納得できないことはない。
夫からすれば、不貞をはたらくこと自体が許されないことなのに、その相手が女性。今の感覚でいえば、麻薬をやってたくらいの感じか。その麻薬依存状態は治ったように見えず、その異常な精神状態が治りさえすれば、キャロルも眼を覚まし、自分のもとに戻ってきて、全て丸くおさまるのに、と感じている。
夫を、キャロルを善意から更生させようとする、善人として描くこともできたはず。その方が、同性愛の問題の本質を提示することができたのではないか。同性愛者を否定するのは、一部の頭の悪い独善的な権力主義者なのではなく、むしろ大多数の、自分は正しいと信じている普通の人間である、という。
二人の女優に魅せられる
しょっぱなから、二人の関係性を匂わす監督の手腕に唸ります。
こういう繊細な演出が大好物なので一気に引き込まれましたが、一番の見所もやはり同シーン。
小細工ナシ。真正面から見据えるカットに女優達への信頼感が溢れていて、観る側の魂が揺さぶられます。
二人の女優の演技に魅せられる映画でした。
とくに顔の骨格を変えたのではないか?と思う程、ケイト・ブランシェットのゴツイ演技が素晴らしい。
だって、あの目はイケメン過ぎるでしょう。
それに呼応して、トキメキの息遣いが聞こえるかのようなルーニー・マーラ。
心の成長を演じきった彼女が、やはり主演なのでしょうね。
あと、外せないのは小間物屋との会話シーン!
3人の関係性が絶妙すぎて、たまりません(≧∇≦)
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