キャロルのレビュー・感想・評価
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曇りガラスの向こう側
○作品全体
作中に何度か映し出される曇りガラスとその向こう側にいる誰か、または世界。その見通しの立たない景色がキャロルとテレーズの心情に合致していてとても良かった。
互いが心の中に相手へ見せない「なにか」を抱いていて、曇りガラスのような役割を担う。キャロルにとってのアビーという存在は、テレーズにとって見ればガラスの"もや"のよう。テレーズにとってのリチャードの存在は、キャロルがテレーズと出会った当初においてテレーズの数少ない親しい存在であり、テレーズが関係性を曖昧にするからこそキャロルにとって"もや"のように漂う存在となる(その証左として自分から誘った旅行の初っ端にリチャードの存在を気にしている)。
ただ、その曇りガラスは二人の間だけにあるものではなく、二人と世界の間にも曇りガラスはある。二人が乗る車の外から見た車内の二人、車内から見る車外の景色はたびたびインサートされる。二人に降りかかる様々な悩みをボカして、雪に覆われた世界へ出発する二人は「開放」というよりも密度の濃い「雲隠れ」のような印象を受けた。
曇りガラスによって見えないものがある分、生じるズレもある。キャロルは家族との別れと向き合わなければならなくなっている一方、テレーズは結婚と向き合わなければならない状況にあり、互いが心を重ねるにはあまりにも不安定だ。特にキャロルにとって娘との別れは不安定ながらも寄り添い合っていた二人を揺るがすもので、キャロルにとってのアビーという存在の重要性が鮮明になってしまい二人の心を引き離す。しかしラストシーン、大事なものを失ったという共通項を持つ二人が再び出会うとき、言葉を用いず目線を合わす。全てを見通したようなキャロルの笑みが自嘲気味でもあり、ついに互いのズレが払拭されたことを示すもののようにも映った。その瞬間がとてもグッとくるラストシーンでもあった。
○カメラワークとか
・ゆったりとしたカメラワーク、特に横へのPANやフォローが印象的(車に乗っているカットが多いからか)。だからこそ縦へPANするカットが際立つ。旅行へ行くことを決めた直後に降る雪、それを見上げる二人のシーンは上へのPAN。二人の取り巻く環境から二人を隠すように降り始める雪がとても静かでありながら感情的。
・四隅を暗くした画面が多かった画面内の密度を上げる役割だろうか。全体的に暗めの画面だったからか、二人が初めてドライブに行く場面でトンネルを抜けた瞬間にテレーズに差し込む強い光とレンズフレアが凄く印象に残った。とても良いカットだった。
・鏡を使った演出が印象的。物語が動く時に鏡がよく出てきたように感じた。鏡は曇りガラスと違って克明に映し出すからだろうか。特に印象的なのは二人が交わる前の鏡台のシーン。直接目を合わせるわけでなく、鏡を使って二人を向き合わせる。
○その他
・キャロルの赤いマニキュア。この作品における赤色は特別な色。登場する男性陣は暗い色の服を着ているし、テレーズもキャロルと出会うまでは寒色系の服を着ていた。テレーズが次第に暖色系の帽子やバッグを持ち始めたり、二人のラブシーンのラストカットがキャロルのマニキュアが塗られた手で終わったりするところを見ると、テレーズ目線の「特別」を表現しているように映った。それを強調するかのように、テレーズがキャロルと会話をする場面ではキャロルの手に寄った画面が多い。それに加えて強調するかのように白いタバコやモノクロの写真を持っていたりする。
・「曇りガラス」というモチーフに関連するけど、追ってきたトミーがテレーズと初めて交わした会話の中で「寒すぎてメガネのレンズの曇りもなくなるよ」みたいなことを言っていてゾッとした。二人の世界を構築する曇りガラスを晴らしてしまう存在。
…他の方も同題名で感想を書いているけれど、『マリア様がみてる』に触れた人間からするとこれしか考えられないくらいドンピシャな気がする…。
ケイト・ブランシェットの体当たり演技が素晴らしい
前知識なくて観たので、途中で同性愛ものであると分かってびっくり。タイトルが「キャロル&テレーズ」だったらちょっとは想像がついていたかもしれないが、あえて「キャロル」にしたのは、私のようにびっくりしてもらう意図があったのかな?
同性愛ものはなぜか多くの場合悲しい展開となるパターンが多いが(例えば「噂の二人」、もしかしたら時代背景は近いかもしれない)、この映画は違っていた。最後、テレーズがレンストランに座っているキャロルを見つけ、それに気づいたキャロルがテレーズを見つめ返すシーンは、結局二人は同じマンションに住むであろう予感がする。つまり、ハッピーエンドで、個人的には納得のいくエンディングだった。
それにしても、ケイト・ブランシェットの体を張った演技は素晴らしかった。
まさかの同性愛
何だか観そびれていたキャロル
やっと見ましたが、まさかの同性愛ものだったとは
しかしながらケイトブランシェットはエレガントな上流階級の奥様役がホントに似合いますね
私的にはロード・オブ・ザ・リングの
ガラドリエルの様な凄みのある役での作品にまた出て欲しいとこです
2021自宅鑑賞8
美しい恋愛物語
100万部を超えたとされるパトリシア・ハイスミスの原作を基に映画化された“禁じられた”愛の物語。
舞台は1950年代のニューヨーク。ルーニー・マーラー演じるテレーズが売り子をしているデパートに、ケイト・ブランシェット演じるキャロルが子どものクリスマスプレゼントを買いに訪れるところから物語は始まる。
一目でどうしようもなく惹かれていく2人。しかし、同時、同性愛は違法である。子どもの親権をめぐり、夫と争うキャロルが心理療法士の診察を受けさせられる等、治療の対象ですらあった。
ストーリーもそうだが、なんと言っても最大の注目は主演の2人の演技である。終盤にテレーズは、キャロルから自分との暮らしをとるか否か、選択を迫られる。キャロルは苦悩の末に、正直に生きることを選んだ。あなたはどうする?とテレーズに投げかけるのだ。ラストシーンのキャロル=ケイト・ブランシェットの視線にやられた。やはり、この人の演技は凄い。
難しい〜
ケイト・ブランシェットがとりあえず美しい!
1950年代を舞台にストーリーが作られていて、その時代のファッションがまた素敵!
品があり、どこかミステリアスな雰囲気を醸し出すマダムをバッチリ演じていました。女優さんってすごいわぁー。
自分を偽ることの苦痛さを吐露するシーンは観ていてとても苦しかった。誰でも自分を否定されると悲しくなるだろうに。たかが好きになった相手が同性だったというだけで、なんであそこまでされなきゃいけないのか。70年も前の時代だからこそなのか。セクシャルマイノリティーにとって、生きにくい時代だったのだと改めて思う。
不幸な結婚をしたキャロルにとって、幸せになる事を諦めたような生活だった。彼女にとって夫との間でどうにも埋まらない溝があり、その溝をいかに小さくできるか=歩み寄れるかが唯一の2人で出来る努力だったように思う。結果どうなったのかは分からなかったけれど、テレーズを誘うことが出来たということは、娘との面会権は手に入れられたということか?
正直、不倫してる状態なのでそこはもう一つ共感できなかったのですが、人が恋に落ちてしまう時はいつ来るか分からない。そしてそれがお互いが惹かれあってしまうともう歯車が回っちゃってどーにも行かないってことはありえると言う事です。
女優2人のお互いが愛しくてたまらない、でも、近づけない。の演技がとても良かった。これが不倫でなければもっとシンプルなのにー!ともやっとしました。
【1950年代の禁断の恋を、気品溢れる衣装、意匠で描き出した品性高き映画。】
エレガントで美しいキャロル・エガード(ケイト・ブランシェット:富裕で品性高き貴婦人を演じたら、右に出るものなし。)はある日、娘リンディへのクリスマスプレゼントを買いにデパートの玩具売り場へ足を運ぶ。
そこでテレーズ・ベルベット(ルーニー・マーラ:透き通るような透明感は圧倒的。)と出会う。
キャロルは夫ハージ(カイル・チャンドラー)と別居中で、愛する娘の親権を争っている。そのような状況の中、出会った無垢な娘テレーズに惹かれていく様を実に自然に演じるケイト。
又、ケイトに憧れの視線を送っていたテレーズも自然に彼女の想いを受け入れていく。
但し、描かれる様は二人の”プラトニック・ラブ”といっても良い程の清らかな関係性である。
今作のテーマは往々にして哀しい結末になることが多いが、今作では二人の将来の明るさを観る側に予想させるところが良い。
劇中の二人の衣裳(特に、キャロルに触発され、徐々に洗練された服装を身に着けていくテレーズの姿が良い)、当時の意匠なども眼福である。
<それにしても、今作の原作執筆者があの”パトリシア・ハイスミス”であったという事実には驚愕した。(実際、今作は当初別名義”クレア・モーガン”で出版されたそうである。)
パトリシア・ハイスミスは小学生の頃から好きな作家だが(それが、異常かもしれない・・)、今でいう”イヤミス”の元祖でしょう?。それが、捻りは充分あるが、こんな純愛小説を”見知らぬ乗客”発表直後、完成させていた事実にも驚いた作品。>
<2016年4月1日 劇場にて鑑賞>
私が貧しいからだろうか…
ケイトの旦那は何屋さん?
と思うほどのケイトのお金の使いぶりに…笑
でも予期せぬ映画だったのは確かですので
星3つにしました。
旦那さんとの離婚についての終盤の話し合いは
凄く良かった。私たちは醜くない、と。
きっと原作を本で読んだら、もっと作品の美しさが
伝わってくるんだろうと思いました。
もちろん2人のヒロインは凄く美人ですが。
ケイトブランシェットの美しさにうっとり
感想を表現するのは難しいけれど、なんだかとても良い作品だった。
デパート店員のテレーズとそこに買い物に来たキャロル。ふたりの物語はそこから始まる。
はっと息を呑むようなキャロルの美しさにテレーズは得体の知れないけれど、すごく惹かれる気持ちが湧き。
キャロルの思いのまま、テレーズは振り回されてしまう。そのせいで、沢山傷つき沢山涙を流したけれど。
でも最後には自分で決断したテレーズ。
一度深く傷つけられてしまったら、もう戻れないよね。
女同士とか関係なく、大恋愛だったからこそ。
大好きでたまらなかったからが故、傷はとてつもなく深い。
キャロルはテレーズとふたりで生きていく道をつくったけれど、それはもう手遅れだった。相手を傷つけてしまった代償を負うことに。
テレーズは大恋愛、大失恋を乗り越え一皮むけたよう。
この作品は描写や繊細な気持ちがとても美しく描かれていてなんだかとっても素敵な作品だった。
そして何より。キャロル演じるケイトブランシェットの美しさと色気に目が釘付けだった。
ごく自然なラブストーリー
一目惚れした相手に視線をおくり、相手も視線を返し、食事をしたりしながら徐々に距離を縮めていく。そんなごく自然な恋愛の始まり。ただし、女性同士。同性愛に対して理解を求めようというような意図は感じられず、ただただ美しい映画でした。特にキャロルの演技は素晴らしく、その表情やしぐさが言葉よりも多くのものを語っていて惹きこまれてしまいました。この名演技によりレズビアンという事実も自然に受け止められたような気がします。これで「また同性愛か!」と不快に感じる方は少ないんじゃないかな。1950年代ニューヨーク、世間では同性愛を病気と捉えられていたというのは切ない。二人が二人だけの幸せを手に入れられたらいいなぁと思います。
美しい
配役がいい。ケイト・ブランシェットが美しくて私も抱かれたい。
途中泣いて泣いて…このまま?いや、戻るのかな…うーん、でも別れたまま終わりなのかも?ってずっと不安になりながら観て、最終的には嬉し泣き。よかった。
失敗だったのは、家族がいる中、リビングのテレビで観たこと。エッチのシーンは慌てて飛ばした。皆さんは気をつけて…ネタバレなので見てないと思うけれど……。
「私に才能があるなら」「それは他人が教えてくれる」
映画「キャロル」(トッド・ヘインズ監督)から。
設定は、女性同士の同性愛の話だけど、
作品を通じて感じたのは「予告編」で見つけたフレーズ
「心に従って生きなければ、人生は無意味よ」
しかしながら、この1行では、この作品を思い出せない。
だから選んだ台詞は、まだ出会ったばかりの2人の会話から。
「あなたの夢なの? 写真家が」
「そうです、私に才能があるなら」
「それは他人が教えてくれる。あなたは努力し続ければいい。
正しいと思うことをやり、流れに任せて」
「そうですね」・・・の一部を拝借した。
誰でも「目指す分野で、自分に才能があるか、どうか」は、
気になるところであるが、短い人生の中で迷い悩む時間は勿体ない。
もし才能があれば、知らずと他人が評価してくれて、
気がついた時は、注目を浴びているはずだから、
始めたばかりで、才能があるか、ないかを心配するよりも、
とにかく、夢中になり続けなさい、とアドバイスしている。
あなたのとった行動が、世間の常識と違ったっていい、
歳を重ねて人生を振り返った時に、後悔しないためにも、
その時その時に、自分の心に従ったか、を判断基準としたい。
最近、同じようなことを考えていたので、妙に心に残った。
胸を抉られる 現在も変わらない状況を思う
まず大前提として。
素晴らしい映画でした。しかし、あまりに投影をしすぎてレビュー自体も客観的とは言えないと思いますが、映画自体はとても素晴らしく、色々な人に見ていただきたいです。
(内容が響く響かないはかなりあるかと思いますが、一度は見ていただきたいです。)
↓↓↓以下ネタバレ、自分語り含むレビューです。↓↓↓
自分はバイセクシャルの女です。
昨年恋人の女性と別れた自分には後半が辛すぎてずっと泣かずにはいられませんでした、、。
理由はなく、ただ恋に落ちていく。それがたまたま同性であっただけ。
長らくなかった喜びや、美しさに心躍るが、沢山の現実が当然そこにはあって。
同性愛自体が病気とされ「治療」を施されるキャロル。娘を取り戻す為に仕方なく「戻る」様。大半を諦める。それが「子」の為だと言わざる終えない状況。関係性すべてが異常とされる所など、かなり当事者的には胸を抉られる内容でした、。
勿論自分が被害者であると言うわけではありません。ですがそこに横たわる「現実」を思いっきり突きつけられた感じがしました。
それこそ帰る途中で吐いてしまうテレーズの様に、。最後の最後で(勿論どうなったかは分かりません)、少し希望が見えたのが救いでした。
実際、キャロルやテレーズにも矛盾はあるでしょう。でも、愛を求める気持ちを誰が止められるでしょうか。
正しいも悪いもない。ひとつの関係性のお話。
そこまで二人、ひいてはその他の人の「個性」が分かるわけでもない。それでも感情移入せずにはいられませんでした。
音楽も映像も、勿論内容も素晴らしかったです。
是非広く皆様に見ていただきたいです。
初めてのレビューをさせていただきした。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
贅沢言うともっと若い人が、、、
悲しいお話でした、、、
本当に贅沢言うともっと若い子同士がよかったなあなんて、、でもケイトの年齢だったから壁が分厚くなったんであって、、
車でどっかいくのって絶対悪いことの前兆だよね
それにしてもセールスマンは悪い奴だけど
ルーニーマーラちゃんはもう脱ぐの普通に
なってきちゃってるんですかね?
でもミレニアムのあの役の方がぴったりって感じ
なんとなく表情が無だからあんまり感情が
分かりづらい
印象に残ってるのは車窓からのシーン
テレーズが外を見るシーンが多かったなあ
同性愛の描き方が不思議な映画だった
憧れの人と寝るってどうかなとか
キャロルにとってのアビーって?テレーズって?とか
あとテレーズには彼氏いたのにキャロルにそんなに惹かれるかね?とか
いろいろ思っちゃいました
でもラスト、テレーズがパーティーを1人で抜けて街を歩く背中は、同性愛者の宿命だなあなんて良いシーンだと思った。あれがラストカットでも充分良かったんじゃないかなあ
キャロルの
「自分を偽りながら生きる私の存在意義は?」
この言葉が結構胸にきました
語らない作品
1950年代のアメリカは、同性愛を精神病としていたそうです。現代でも、同性愛がタブーになっている国は、まだまだ世界中に存在しています。
さらに、女性同士の恋愛を描いた映画は、ほとんど作られていません。
女性同士の恋愛というと、興味本位的にとられがちですが、テレーズは、レズビアンだからキャロルを愛したのではなく、キャロルという人間を愛しただけです。
そして、キャロルは、同性愛ということを隠しながら、生きているひとりです。
当時のふたりに、ひとりの人間を愛すること、同性愛として生きていくことの厳しさは、想像に難くありません。
そんな時に、もし私であればどの様に生きていくのでしょうか。
彼女達がアイデンティティを語れなかった当時と同じように、作品も決して多くを語ろうとしません。
しかし、ラストでみる彼女達には、差別に立ち向かって生きていくという信念が見えた気がするのです。
恋から愛へと向かう美しい映画
映像・音楽・演出ともにたいへん美しい、洗練の極みのような映画でした。
物語も説得力があって引き込まれました。
テレーズを演じるルーニー・マーラの目の演技が凄い。デパートでキャロルと出会ったときの目の表情で「あっ、いま恋に落ちた!」と解ってしまう。あの恋する瞳はハッキリと印象に残る。
キャロルはため息が出るほどエレガント。香りの表現が多かったのも、キャロルの官能的な魅力を引き立たせてます。旅先で2人が香水つけあってジャレるシーンには、女性同士の恋物語だからこそできる妖しい美しさを感じました。匂いってものすごく記憶に残りますし。
グッときた場面は、新年を迎えてからの美しいラブシーン…ではなく、
(そこももちろん名シーン)
キャロルが元夫に娘の親権を譲渡する代わりに娘の面会権を求めるシーンです。
キャロルって、これまで基本自分のことしか考えてなかった。テレーズのことも「私の天使」として見ていて、1人の人間として尊重しているというよりも、自分のためのかわいいペット+すがりたい依存対象って感覚だったと思う。だから彼女を傷つけた訳だし。
だがこのとき、ついにキャロルは自分のためでなく娘のために行動した。テレーズとの旅の失敗が彼女を成長させた。この後キャロルは仕事を得て、1人の自立した人間へと変化していく。再会したテレーズとの関係も、もはや以前とは違うものになるでしょう。
テレーズとの出会い〜逃避行までは燃えるような恋物語であり、キャロルの成長〜ラストまでは恋から愛へと変わっていく物語なのかな、と感じました。これから愛の物語が始まることを示唆するエンディングだったのでは、と思います。
1950'sの同性愛に対する不条理な偏見、そしてハージとリチャードのパートナーを所有物としか見ていない感じは怒りを禁じ得ないです。ハージの方が目立つけど、リチャードは相手の気持ちに一切目が行っておらず、かなりキモかった。後半テレーズに忘れられているのには思わず笑ってしまった。
それから、ブロークバック・マウンテンのような不条理に踏みにじられるような悲しいエンディングではなく、ハッピーエンドを匂わす終わり方だったのがとても良かった。
気になったポイントはケイト・ブランシェット様の背筋くらいですかね。ケイト様はお美しくあそばされていますが、脱ぐとまるで格闘家だ!範馬勇次郎的背筋。
普遍的な愛のスタンダードは、悲しいから美しい。
美しく切なく悲しくも神々しい。「キャロル」はそんな映画だ。美しいからと言って求め合う二人の愛のエネルギーや、悲しみの深さや、痛みの切実さが美しく偽られているかいうとそんなことは全くない。出会う瞬間の昂揚感、恋に落ちる瞬間の情熱、初めて肌が触れる火照り。愛の高まりに重ねて二人の体温が上がり、鼓動が激しくなっていく様がありありと伝わる。こちらまで息が上がるほど熱を帯びた愛を目撃する。
時代背景は50年代のアメリカ。当時、同性愛がどう見られていたかを考えれば、あまりにデリケートな題材だ。それをトッド・ヘインズ監督は2人の愛の物語を「同性愛」という飾りに寄りかかることなく、どこにでもいる「求め合う者たち」の愛のスタンダードとして成立させた。二人が、出会い、惹かれ、求め、受け入れ、理解し、共有し、愛し、愛され、傷つき、別れ、苦しみ、痛み、泣き、悔やみ、蘇り、諦め、諦めきれず、そして最後にもう一度だけ小さく微笑む。恋のはじまりから終わり、そしてその先。愛のはじまりから終わり、そしてその先まで、すべてがこの映画には描かれている。これはキャロルとテレーズの物語だ。けれどとてつもなく普遍的な愛のスタンダードだった。
その上で、同性愛であるという事実が、少しずつ歯車を狂わせてしまう様がさりげなく着々と描かれるのもいい。そこは、原作のパトリシア・ハイスミスの筆力を感じずにいられないし、原作を映画に再構築したフィリス・ナジーもまた然り。
更にこの映画が美しいのは、主演女優二人の名演の美しさに所以する。キャロルを演じるケイト・ブランシェット、そしてテレーズを演じるルーニー・マーラ。いずれもその容姿や存在感だけでなく、その演技までもが美しく華やかで荘厳だ。ブランシェットは整えられたヘアスタイルと、見事に着付けられたドレス姿がなんともよく似合う女優で、その彼女自身が持つ優雅さが役柄を雅に彩り、だからこそ、彼女が壊してしまった家庭の悲しみが色濃く滲む皮肉を体現する。思わずテレーズを引き寄せてしまった圧倒的な美しさと気品と知性と凛々しさ。悲しければ悲しいほどに優雅で美しくて痛々しい「キャロル」をブランシェットは見事に演じ切る。そしてそんなキャロルを愛してしまうテレーズ演じるルーニー・マーラがまたとてもいい。キャロルを通じて、愛することと愛されることの喜びと痛みを、肉体と精神で感じ表現する。マーラはまたその表現を決して大げさに誇張することはせず、内面に広げて溢れさせ、静かに瞳の奥からこぼすような演技をする。大きな瞳から、彼女の愛の悦びと痛みが溢れてこぼれる瞬間に目が釘付けになる。
またこの映画はファッションも目に楽しい。ブランシェットが纏う豪華で上品なローブも煌びやかで美しいし、マーラが纏う小粒で愛らしくもセンスのいい遊びのあるファッションも美しい。特にマーラが主に着用する、カラフルな編み込みの帽子と、同じ色合いの縁取りを配した紺のコートの組み合わせや、白いブラウスに黒のワンピースを重ねたさりげなくも品のいいコーディネートも可愛らしい。物語、演出、演技、美術、ファッション、音楽・・・。なにからなにまで美しい映画であり、美しいが故に尚悲しく、悲しさを含めてまた美しい。そんな映画だった。
ホントに厄介
突然、降ってくる豪雨のように、その世界を一変させてしまう。
この病はホントに厄介だ。
ある種の呪縛のように、心を捉えて離さない。
そういう痛みを伴う愛の形を、この作品に感じた。
切ないとか悲しいとかじゃない。
断崖の絶壁に立ち、飛ぶか飛ばないかを選択するような…。
その後の人生を犠牲にしても良いと、捨てる事によって得られる唯一のもの。
酷く危険で、だからこそ手にする価値があるとでも言うような危うさを孕んだ作品だった。
なんていうか、彼女たちの求め合う形が、自分のものにしたいとかされたいじゃなくて、一つになりたいと思ってるように思えた。
そして、
男同士とかだと、絶対こんな感想には至らない!
全40件中、1~20件目を表示