「「キャロル」に込められた真実」キャロル 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
「キャロル」に込められた真実
1950年代。今よりもまして、LGBTの人たちへの風当たりは強かった。それは罪であり、精神疾患として病人扱いもされた。少し前の「チョコレート・ドーナッツ」の中でさえ、経済的にも社会的にも問題がない人間が、ゲイであるというだけで、司法での立場は弱かった。50年代ならなおさらだろうと思う。
旦那から見れば、キャロルはなんて身勝手な女なんだと思うのだろう。だけど、一度、キャロル本人の感情に寄り添うテレーズの気持ちになりかわってしまうと、途端にその燃えるような恋心に捕らわれてしまう。
テレーズ・べリベットというその名前。勝手ながら、そこから連想する名前、言葉は、聖女テレサと柔らかな手触りのベルベット。キャロルからすれば、テレーズはまさにそんな女性に見えたのじゃないかな。
キャロルは、天使のようなテレーズを愛した。例えばベッドシーンの前後で、キャロルの指輪を目立つようにカメラが抜くのだが、指輪をはめているショットと外しているショットで、キャロルの心情を上手く伝えてくれる演出もみごと。
とにかく、映像も美術も音楽も台詞も主演の二人も美しい。
そしてラスト。ハッピーでもなく悲劇でもなく、つづいていくことを暗示させる場面が、僕の心をざわざわと波立たせてくる。
だからたぶん僕は、この映画を忘れてしまったとしても、しばらくたってどこかでこのノスタルジックな劇中曲をもし耳にしたら、記憶がよみがえったせつなに、昔の恋を思い出した時のように頬を涙が伝うかも知れない。
この映画の原作を書いたのは、「太陽がいっぱい」などで有名なパトリシア・ハイスミス。当時、同性愛が罪であった時代に、名前を隠して書いたものらしい。
この小説の背景でなにより衝撃なのは、この物語のほとんどの部分が、パトリシア自身の体験した事実であったということ。一晩で書き上げたという。つまり、テレーズは、パトリシア本人。彼女の若かりし日の画像をみると、これがまた綺麗な方なのだ。
それを知ると、「キャロル」というタイトルに込められた思いが、かつての恋人への恋文のように思えてきてたまらなくなった。