「ポスターとか予告を見て描いたイメージを、一回捨てていただけますか?」チャッピー さぽしゃさんの映画レビュー(感想・評価)
ポスターとか予告を見て描いたイメージを、一回捨てていただけますか?
あの、素晴らしいんですよ。本当に素晴らしいんです。
わたし的には「第9地区」よりテーマ&テーマの描かれ方が素晴らしいと思うんです。
ただAIとは?それは魂か?心はあるのか?AI搭載ロボットは人間の脅威になるのか?といったテーマがSF映画としても、親と子の関係とは?親の愛とは?躾とは?人間の成長とは?といったテーマがヒューマンドラマとしても普遍的なので、そこを語ると良さが伝わらないような気がしています。
いつも訴求ポイントを決めてそこを推すような書き方をするんですけど、本作に限ってはそこを推すと逆に……、なんです。だから今回は、ポイントを推すの止めます!
きっと配給会社も困ったと思うんです。困ったからこその、残酷なシーンを編集カットしての、チャッピー癒やし系アピール。うーん……、癒やし。そこは否定しませんけど、できれば、そこも一回忘れて頂きたいです!
そう、お願いですから、前情報を全て忘れてください。なんだったら、私が書いたこの文章も忘れてください!
あと直ぐにロボコップとか、日本のアニメ(攻殻機動隊とか)を彷彿とさせます。バルキリー?マクロスっぽい!と思ったら違うようで(笑)
監督は士郎正宗せんせのファンみたいです。あ、だからこそ、日本で受け入れられやすいと期待しているのです!が、そこをどう評価されるか。心配です。素晴らしい作品なだけに、心配です。
なんで心配かっていうと、アメリカではあんまり評価が良くないらしいんです。
多分ですね、登場人物達の英語の訛りが酷いからですよ(笑)
私は字幕がまだついてないのを観たので、「え、なんて?」と思うところが沢山ありました。
でもすみません!一点だけ言わせてください。
自律型AIを搭載したロボットのチャッピーは、全能ではなく赤ちゃんの状態です。
自分を略奪したギャングスタ夫婦を親と慕い、彼等のアイデンティティの影響を色濃く受けて学び、成長します。
私の永延の研究テーマである、人間は「氏か育ちか」の"大逆転"的なテーマに繋がり、興味深かったです。
フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」という本の中で、こんなことを言っています。
「"歴史は繰り返す"とは同じことを繰り返してしまう人間の愚かさを表しているのではなく、経験からしか学べない人間の哀しい性を表している」
つまり自律型AI搭載ロボットは人間と同じく哀しい性を背負い、人間世界で経験し学ぶなら、人間以上の存在にはなれないのかも知れません。
人間は人間以上の存在を作りだせない?
ならば、自律型AI搭載ロボットは人間の脅威にはならない。なれないと思いました。
先日、高度な人工知能の誕生に備え、スタンフォード大学ロースクールで「ロボットに罪は問えるか?」の公開講義が行われました。
まさにチャッピーとギャングスタ両親の関係に通じる、難問です。
そんな世の中は、直ぐそこまで来ているのでしょうか?
ラスト、未知の領域に踏み込みます。
PS 恐らく沢山の男子が観に行くと思われますが、全ての「お母さん」と呼ばれる方達に観て頂きたいです。
母親役である、die antwoordのヨーランディはもの凄くユニークな容姿です。可愛いけど、美しいか?と聞かれると、即答はできません(笑)
でも終盤のあるシーンで、チャッピー内にある画像が映りますが、もの凄く神秘的で美しいんです。チャッピーに、母親はそう見えてるんです。
母親は子供にとって特別な存在なんだと、はっとさせられました。