「ホントにスピルバーグか黒人でないと撮れなかった映画」グローリー 明日への行進 しんざんさんの映画レビュー(感想・評価)
ホントにスピルバーグか黒人でないと撮れなかった映画
「グローリー 明日への行進」
Maroon5の「Lost Stars」にアカデミー主題歌賞を競り勝った、感動曲Common,John Regendの「Glory」から邦題を、ということだろうが、黒人映画を全部グローリーにしてしまうのは、果たしてどれだけの興行効果があるのか、ある意味見ものだ。
映画はいわゆる「日本人の知っている」キング牧師のストーリーではない。しかし、アメリカ人ならだれでも知っているはずの「血の日曜日」が主軸のストーリー。
なぜか?とはここでは書かないが、監督のインタヴューでその理由は明らかになっている。
そう、本レヴューのタイトル通りで、以前「それでも夜は明ける」で思ったことが、本作では本当にそういう事情だったという。
とんでもない制限のなか、キング牧師の映画を作ったという熱意にまず敬意を表する。
たとえ、事件から50周年を前にして(全米公開)の、ここでしか、というタイミングはあろうとしてもだ。
一方あまりにその熱意が強すぎて、映画的な面白さがごっそり欠けている、という点はここでは眼を瞑るべきかと思う。
だから、伝記もので、「説明不足」とか「面白味がない」とか「あの事件が描かれていない」「あの・・・」という、そういうレビューに耳を貸してはだめだ。
そういう映画なので、我々日本人ははっきり言って、この映画ちんぷんかんぷんな人が続出するに違いない。少なくともキング牧師の基礎知識をもって臨まないと、普通に作られたドキュメンタリー映画より遥かに退屈になる可能性が高い。
しかし、そういう映画でも楽しむことは必要だ。
・キング牧師の基本知識をもって補完しながら観る
・当時のファッションを楽しむ
・内輪話の、デ・ニーロがオーディションで落ちた理由を勝手に納得してニヤニヤする
・「Glory」で泣く
・さらに上級者はラストの演説を楽しむ(俺には無理だった)
という、とにかく自己責任で観る映画。
追記
とにかく徹底的に娯楽色を出さないようにしている。これは「それでも夜は明ける」の「つくりっぽさ」からの反省なのかもしれない。
デ・ニーロやピットが、あの役やこの役をやったら、と思うと全く違う映画になっただろうし、これはこれで、熱意を押し通した「必要な映画」ということなのだ。
その「必要」いう意味は、本作は「それでも夜は明ける」と正反対な「非暴力」な作品として、まさしくキング牧師を描くべき姿勢として「必要だった」と俺は思っている。
そういう意味で今回のピット氏の働きはとても大きいかもしれない。