「ゾンビの様式美を基本踏襲したニューウェーブ」セル Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
ゾンビの様式美を基本踏襲したニューウェーブ
原題は、あの「ザ・セル」(2001)の"Cell = 独房"ではなく、"Cell=cellular phone(携帯電話)"である。
スティーヴン・キング最新作にして、ジャンルとしては"ゾンビもの"。公開された各国での評価が悪いので、日本公開はされないのかと思っていたら、限定スクリーン数での公開。これもゾンビの出世頭「バイオハザード ザ・ファイナル」のおこぼれのような、オトナの事情の匂いがプンプンする。
そもそもゾンビ映画はB級であるべきで、ゾンビ映画に過度な期待をするほうが間違っているし、その"様式美"を楽しむものだ。そういう意味で本作はゾンビマニアにはかなり楽しめる。
ゾンビ発生には、古典的な呪術から、科学実験やウィルス感染とバリエーションがあるが、本作は携帯電話に出ることでゾンビ化するという、珍しい設定の"ニューウェーブ"である。おそらく着想は、"携帯電話の電波が脳波に影響する"という学説から生まれたものだろう。
電波によって脳が混乱させられ、コントロールされるゾンビ携帯人(Phoney)と健常者(Normy)の闘いである。まるで現代人のケータイ依存を揶揄したような設定になっていて、Phoney≒phony(偽りの)と掛けているのがシャレている。昆虫の集団行動のように動くゾンビたちの様子がモッシュっぽくて、集団で怒りが増幅していく。このあたりはメタルをバカにしたようなキングの意図が感じられる。
ゾンビに襲われた人間がゾンビ化するというのは、吸血鬼の亜流であるが、本作ではゾンビの口から発する電子音で脳が乱され、ゾンビ化する。夜、ゾンビたちが集団で眠るというのは、昼夜逆だが吸血鬼っぽい。その間に通信ダウンロードでバージョンアップされるというのが、とても今どき。
原作とはテイストが違うようだが、原作者スティーヴン・キング自らの脚本なので、そのまま受け取るしかない。エンディングの未決着さ加減は、"様式美"としては、実にまっとうである。フツウの映画ファンは観てはいけない、ゾンビファンのための余興である。
(2017/2/17 TOHOシネマズ六本木ヒルズ/シネスコ)