「つまらなかったです…」秘密 THE TOP SECRET とみしゅうさんの映画レビュー(感想・評価)
つまらなかったです…
監督は、あの大傑作『るろうに剣心』を撮った大友啓史。
主演は、生田斗真。
共演は、岡田将生、松坂桃李、吉川晃司、etc。
隙のない布陣。
原作は、白泉社の『MELODY』に掲載されていた漫画。
作者は、清水玲子。
僕は未読。
最新技術を使って、死者の脳を活性化させ、死者が見た世界を映像化し、犯罪捜査に役立てる。
原作では2060年の話になっているけれど、映像的にはほぼ原題の設定らしい。
通称「第九」と呼ばれる組織を率いるのは、薪剛という天才的な刑事。
青木一行という新人捜査官が加入し、露口浩一という一家皆殺し事件の犯人(死刑囚)の脳を探り、行方不明になっている娘・絹子の行方を追うことになる。
しかし、真犯人と思われていた浩一が、実は絹子による犯行をかばっていたことが明らかになる。
冤罪が判明することを恐れた警察上層部は、この捜査結果を隠蔽。
正式な捜査機関ではない第九は、素行不良の刑事・眞鍋駿介をなかば脅迫する形で巻き込み、秘密裏に調査を始める。
…とまあ、ストーリーを追いかけるのは、ここまでにして。
とにかくね、薪剛や第九の凄さが全然伝わってこないのが致命的。
脳の情報を映像化する、ってことを映像化したところで、それだけで驚きにつながるわけではない。
これは『スキャナー』の時にも思ったけれど、中学生でも思いつきそうな理屈を、いかに科学的な根拠(屁理屈でもよし)と結びつけて、映像的な説得力を持たせるか。
そこが大事なんだよね。
本作は、外科的手術で脳を開いてみたり、いかにも大掛かりな舞台装置を作り上げたりすることで、説得力を持たそうとしている。
でも、僕にはちっとも響いてこなかった。
後のシーンで、「19xx年のxx月xx日の記憶を再生してくれ!」みたいなことを薪剛が言うんだけど、そういうタグ付けが可能になっていることが映像では全く分からないので、ご都合主義的な展開にしか見えない。
第九は、正式な捜査機関とは認められていないようだけれども、それでもそれなりの成果は上げているはず。
薪剛も、学会で英語でスピーチしているところがちらっと出てくるだけで、彼がどれだけ優れた科学者&捜査官であることを示すシーンは、全然出てこない。
ときどき急に失神したり、過去の悲惨な事件(大切な仲間の死)のフラッシュバックに苛まれたり、絹子の一方的な演説にやり込められるだけだったり。
「こいつ凄え」「かっこいい!」って思わせる描写やエピソードが全然ないのよ。
『るろうに剣心』の場合、緋村剣心が「人斬り抜刀斎」だったころのエピソードがオープニングで出てくる。
彼が次から次へと容赦なく敵を切り捨てるシーンは、「こいつ凄え」って思わせる説得力があった。
あの「かまし」は実に強烈で、「こいつは怒らせたらまずい」ってことがよく分かった。
『秘密』の場合、「死者の脳内を映像化する」って技術はおそらく実用化されていないはずだし、第九という組織も実在はしない。
実在しないものを観客にどうやって信じてもらうか。
それには、やはり「かまし」が必要じゃないかと思う。
薪剛という捜査官がいかに優秀か、第九という組織がいかに優秀か、その「成功事例」を映像でちゃんと見せてほしかった。
同じことは、青木一行にも言える。
彼はきわめて優秀な刑事だったからこそ、第九に抜擢されているはず。
でも、その優秀さを具体的に示すシーンはなかったと思う。
無駄に突っ走るだけで、第九という組織が、薪剛という優秀な捜査官が、なぜ青木を欲しいと思ったのか、よく分からない。
「さまざまな学問に精通している」っていう薪剛の説明台詞だけじゃ、ダメでしょう。
第九の他の捜査官も、結局は風景にしかなってないんだよなぁ。
女性の捜査官が読心術で、死者の再生記憶の「アテレコ」をやっているけれど、第九という組織にいる人間なら、みな読心術は心得ているんじゃないの?
読心術は僕ですら聞いたことのある技術だから、習得している人間は決して少なくないように思う。
もちろん、技術の優劣はあるとは思うけれど、彼女が「きわめて優れた読心術の持ち主」であるというエピソードが出てくるわけでもない。
そもそも、その他の第九スタッフの優れた才能を感じさせるシーンが皆無。
栗山千明が演じる三好雪子は、法医学者なのかな? 優秀な外科医?
ウィキペディアによると、監察医とのこと。
とはいえ、検死はやってないよね。
届いた遺体の処置をするのが、メインの仕事ということですか。
とにもかくにも、貝沼と絹子に延々と翻弄されるだけで、「逆襲に転じる」的なカタルシスは一切無し。
それはそれでいいのだけれど、「実は犬が見ていた!」っていう展開が全然ピンとこなかったなぁ。
あ、そうそう。
脳内の映像を見るには、必ず「生者」の誰かが媒介となる必要があるんだろうか?
だとすると、連続自殺者の脳内映像を再生するための「媒介」は、一体誰がなったんだろう?
媒介が必要ないんだとすると、あの大掛かりな装置を使って、青木と薪は何をしたの?
そのあたりの理屈が最後まで分からなかった。
必要なはずの描写がことごとく抜けていて、取ってつけたような人道主義的描写がむしろ余計に感じたというか。
貝沼や絹子が「この世は醜い」みたいなことを言っていたらしいけど、そんな描写あったかな?
特に絹子はサイコパスという説明があったはず。
良心が決定的に欠落しているのであれば、「この世界は云々」みたいな理屈は全然しっくりこない。
全12巻もある原作から、いろいろな要素をパッチワーク的につなぎあわせたのだろうけど、その作業が上手くいかなかったのかな。
登場人物全員がただただ悩み続けて、優秀な捜査官が揃っているはずの第九も頼りなく見えてしまう。
薪剛も「実は凄い」描写がないので、単に「弱さ」しか見えず、こちらとしてはイライラが募るだけ。
第九という組織のチームプレイで、凶悪な犯罪に立ち向かう、みたいな展開を期待していたので、完全に期待はずれの映画となってしまいました。
連続殺人犯の貝沼の脳を「媒介」となって最後まで見たのは映画でも原作でも高木ですよ。
そこは映画でもちゃんと描かれていました。
映画では
①高木が貝沼の記憶を最後まで見て発狂してしまった→薪に腹を2発撃たれて高木死亡
②冷凍処理されていた高木の脳から、高木が見た貝沼の記憶を青木が間接的に見る→映像をモニターで薪も見るって流れです。
展開は駆け足でしたけど、映画でもちゃんと描かれていた部分でしたのでコメントさせていただきました。