母と暮せばのレビュー・感想・評価
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笑いもあるけど悲しくて切ない
原爆で亡くなった息子が亡霊となって現れて…親子の温かくてほっこりするようで所々笑えるようなシーンもあって。
だけど彼はもうこの世の者じゃない。
最後にはやっぱり悲しみのほうが残る温かいけど悲しくて切ない映画。
山田洋次監督
回数を重ねるごとに
設定だけで泣けるが
3カ所ぐらい泣きのポイントがあったのだけど、やはり舞台かアニメを見ているよう。
映像ならばもっとリアルな抑えきれない感情を感じたい。
高畑淳子さんと森山未來さんとかで見てみたかったな。
で彼女は志田未来。
あと、天才本田の望結さんの扱いがひどすぎる。
アップもなく、泣きもない。ただセリフ言わされてるだけ。
これでは、ストーリー説明のために出てきたと言っても過言ではない。
芝居させるとうますぎて他の人とのバランスが取れなくなると危惧したのかも知れないが、ファンとしてはきちんと演じさせてあげたかった。
ラストにも出てきた笑顔の女の子の方が余程いい役だし、実際いい演技だった。
映画自体は、もちろんそんな悪くない。
見て良かったがもう一度は見ない。そんな映画。
「息子」が5ならやはりこれは「3」かな。
可もなく不可もなく…
親子の愛、絆を感じられる作品です
会話ひとつひとつにお互いを思う気持ちが込められていて、暖かいものに包まれます
ただ、私にはそれだけでした
最初から『ファンタジー』という触れ込みだったのでそのつもりで鑑賞しましたが、やはり違和感がつきまとい、どっぷり物語に浸り切ることが出来ませんでした
『ファンタジー』なのだから細かいことを気にしてはいけないと思いつつ、家族全員を亡くした母親が黒髪艶々で美しいことや、原爆の被害に合いながら自宅も母親も全く無事であったこと…
小さなことが気になってしまい集中出来ませんでした
二宮和也さんの演技も私にはちょっとオーバーな印象でした
私は子どもがいないので母親にも、そして残念ながら息子にも入り込めませんでしたが
子どもがいる方といない方でかなり受け止め方は違うかもしれません
原爆のシーンは素晴らしかったです
あの短いシーンで原爆の恐ろしさがとてもよく伝わり、改めて二度と繰り返してはいけないことだと思い知らされます
母親の言うように、あれは人災です
原爆で亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます
「母と暮せば」を観て・・
沁みる
母、息子、その恋人、それぞれの想いが胸に沁みる良作、・・・たが、ラストは?!
食事の前のお祈りといい、信心深い、原爆を投下された長崎。
こうした設定背景に、個人の宗教的価値観が、賛否の分かれ目なのかもしれない。
私は、ラストについては、否。
母伸子には、息子浩二の分まで生きてほしかった。
死への誘いに、息子浩二がファンタジーでもいいから、止めてほしかった。
伸子と浩二が、あんなに幸せそうなのも・・・、生と死について、特に死について、その価値観など語れるほどの哲学は持ち合わせていないが、考えてしまった。
当然、見たまんまの感想ではあるが、新しい婚約者ができたとはいえ、あれでは、遺された町子が可哀想過ぎる。
しかし、遺体、遺品も残らないで、「消えてしまった。」
残された遺族を思うと、想像を絶する。
本編は、その3年後を舞台にしている。3年という月日が、長いのか、短いのか、私にはわからない。
そこに死んだはずの息子が登場し、母と思い出話をしている。あり得ないと作品否定しそうな設定ではあるが、ファンタジー感や違和感は、ほとんどなく、受け入れていた。
それほど、想いが深く伝わったと言えよう。
日本を代表する名女優、母役の吉永小百合さんを主役に、息子を嵐の二宮さん、その恋人役を黒木華さんと、やや舞台にありがちな台詞口調ではあるが、喜怒哀楽感、表情の演技が素晴らしい。
町子とその生徒が、父親の生死行方の確認を厚生省のとある部局に行くシーン。
死の結果に、大人である町子が号泣。
もっと悲しいはずの生徒の痛いげな気丈ぶり。
なんのために付いてきたのかと、悔やんでいることを伸子に伝えると、
「子どものために泣いてあげたでしょう」とこの台詞に、痺れた!目頭が熱くなってしまった。
戦後の光景で珍しいわけではなかったに違いない。
反戦というメッセージも盛り込まれているのだろうが、こんな戦後の光景にしてはならない、そんな想いで劇場を後にした。
演技は良かったがラスト…
泣ける泣ける、泣いた
遺志を継ぐもの
この映画を見ようとしていて、まだ井上ひさし著作の「父と暮らせば」を読んでないというのであれば、事前に読んでおくことを強くすすめます。山田洋次監督の志が深く理解できるはずです。短い戯曲なのですぐ読み切ることができるので、是非。とはいえ、読んでなくても十分伝わるのですけれども─。
言わずもがな、絵の美しさ、脚本、演技演出、全て素晴らしすぎます。
終始、涙しました。あらゆるところで勝手に泣いていた気がします。
自分は、山田洋次の人情とか吉永小百合の演技とか、実は苦手だったりします。しかも、二宮和也とか浅野忠信の男優陣のこの映画における演技もあまり好ましいとは思えませんでしたし、これは自分には合わない映画だと断言できますが、作品の持つ伝達力とか遺志とか質といったものには、ただただ驚愕するばかりです。
特に吉永小百合を筆頭に女優陣の振る舞いは一つの世界を構築しきっていて、あの人等は決してこちら側の人間には見えませんでした。
すべて過剰な演出で、あくまでドラマチックです。しかしそれら架空の出来事は、紛れもなくその当時に起こったことであると実感できました。そう感じてしまうと大いなるドラマが自分の中でスパークして、号泣。
遺志を継ぐものの葛藤、それがよく伝わってくるわけで、泣かずにはいられない。
この映画を世界の核保有国で上映すべきでしょう。エンタメとか芸術を政治利用するのは外道だと認識しつつも敢えて主張します、当然アメリカ全土で上映すべきであると。と言いながらする訳ないと思っている卑怯者の自分が今ここにいます。
日本は紛れもなく被爆国です。
幸せな日々は一瞬で消えゆく、それが戦争
井上ひさしの舞台劇『父と暮せば』が黒木和雄監督によって映画化されたのは2004年。
原作者・井上ひさしが対となる作品として構想していたが果たせなかった想いを山田洋次監督が映画化したのが、この『母と暮せば』。
ひと足早く試写会で鑑賞しました。
戦後70年という節目、かつ製作の松竹は120周年ということで、『日本のいちばん長い日』とともに最も力を入れた映画であろうことは想像できる。
1945年8月9日、長崎市内の医学校に通う浩二(二宮和也)は、米国の原爆により一瞬にして生を奪われた。
それから3年。
母・福原伸子(吉永小百合)は、諦めきれぬ想いを抱きつつも、浩二のことに踏ん切りをつけようとしていた。
その踏ん切りを契機にして、浩二の霊が伸子の前に現れる・・・というハナシ。
骨格は『父と暮せば』とほぼ同様だけれど、残された者が年長で、先立ってしまった者が年若と、元のハナシとは反対になっている。
この変更、良いような悪いような・・・
年若い息子の命が奪われてしまうほうが悲劇であるけれど、不条理に奪われてしまった命を思ってこの先の長い人生を生きていかなければならない哀しみと踏ん切りをつけなければならないのは、やはり年若い方であるべきのように思う。
その踏ん切り部分を、浩二の許嫁・町子(黒木華)に背負わせているので、映画としてのおもしろさ・興味深さは、町子がさらってしまう恰好となっている。
その上、黒木華が巧いものだから、本来主役であるはずの伸子・浩二、母息子のエピソードが霞んでしまう。
さらにさらに、戦時下、それも末期なので、母息子の暗い暗いエピソードかと思いきや、意外なほど能天気でバカらしいエピソードが綴られる。
うーむ、うーむ。
たぶん狙いは重喜劇路線なのだろうが、吉永小百合・二宮和也のふたりがそれを肉体的に表現できておらず、長台詞を繰り返せば繰り返すほど。マザコン息子とそれに対するベタベタ母親にみえてしかたがなかった。
とはいえ、山田洋次監督が米国に対して(それに追従する我が国に対して)怒りを表しているのは、少なからず感じる。
この映画で隠されたキーワードは、「運命」に対する母・息子ふたりの解釈だろう。
息子は「原爆で死ぬのが運命だった」といい、母は「それは運命ではない。ひとのすることは変えられたはず」という。
さらに、『父と暮せば』から舞台を広島から長崎に移すことで、ふたりを(米国からみて、東洋の理解不能なひとびとではなく)キリスト教徒として設定している点も見逃せない。
終盤、母親の祈り「わが命は神の御手に委ねます」というのは、(監督の)猛烈なる批判なのだと思う。
このようにみてくると、この作品、黒澤明が米国への憤りを静かに示した『八月の狂詩曲』の山田洋次版といってもいいのかもしれませんね。
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