母と暮せばのレビュー・感想・評価
全180件中、101~120件目を表示
失った人、失った時間
劇場で鑑賞してから、本作のHPを見てみました。
ああ、なるほど、と「微妙に納得」
井上ひさし氏には「父と暮せば」という作品があります。
宮沢りえさん主演で映画作品にもなりました。舞台は原爆が落とされた広島。ならば、二発目の原爆が落とされた長崎を舞台に、作品を作らねば……。
それが「原爆」という、人類史上類を見ない虐殺兵器を、作品のモチーフとして扱ってしまった作家の義務である、と井上氏は強く思ったことでしょう。未完のままで自分は死ねないのだ、広島を描いておいて、長崎に生きた人々を描かないことは、創作者として、けっして許されないのだ、という強い想いがあったのだと思います。
その井上氏の尊い遺志を引き継いだ形で、山田洋次監督自らオリジナル脚本を書き上げたようです。これは山田洋次監督としても、大変なチャレンジでしょう。
井上ひさし氏、お得意の戯曲形式。舞台劇を強く意識した体裁で、本作「母と暮せば」は制作されております。
映画を見慣れた方なら、お分かりになると思います。
本作の特徴は、なんといっても
「長セリフ」
に尽きると思います。
山田洋次監督は、日本映画界の巨匠です。映画の、ど素人である私が言うまでもなく、映画という芸術作品をどのように構築して行けばいいか? そんなイロハは、もう「映画職人として」体に染みついているはず。
たとえば「ここは観客の皆さん、泣いてくださいよ」と「わざとらしく」センチメンタルに演出する。そういうことはしない人だろうと思ってきました。
ところが本作では、あきらかに「セリフによって」「泣かせよう」という意図が見え見えの演技があるのです。もうそれが「臭いぐらい」分かっちゃうわけです。
もう一点、長セリフに関連して
「説明セリフ」
の多用が本作では特徴的です。
作品を見ていて、まさか「あの」山田洋次監督がこんな稚拙な手を使ってくるとは?! と当初僕は仰天しました。
普通、映画の主人公が、作中の相手や私たち観客に思い出などを語るとき、冒頭のセリフをきっかけにして、あとは映像として引き継ぎますよね。
たとえば「あのとき私は……」と主人公が語り始める。
そのあと回想シーンが始まる。
当時の風景。客船であろうが、鉄道の駅であろうが、映画ならなんでも登場させられる。
そこに生きた当時の人々の息づかい。その時代の衣装、服装。
その中でクローズアップされてゆく、劇中の登場人物。キャメラはそこに寄って行きます。さあ、どんなドラマが始まるのか……と、まあ、こういうのが典型的な回想シーンのやり方。
映画の魅力と、映画のもつ最大の説得力とは何か?
それは「時間と空間を切り取った”映像”を自由自在に編集できる」ことに尽きると思います。
どの時代の、どの背景の、どの人物の映像なのか、それを編集という映画特有のマジックにより、一瞬で時空間を飛び越えることができます。
しかし、驚くべきことに、本作において山田洋次監督は、その映画文法そのものを、かなぐり捨てることに挑戦したのだ、と私は解釈しました。
本作の主人公は吉永小百合さん演じる福原伸子。長崎の原爆で医大生の息子、浩二を亡くし、悲嘆にくれる毎日です。
そこに、ある日あの世から、息子の浩二の幻が現れます。許嫁の佐田町子(黒木華)は今も無事であること。そして、母、伸子は、日々の暮らしでの想いを、浩二の幻を相手に語ってゆくのです。
本作において山田洋次監督は、前作「小さいおうち」に引き続き、黒木華さんを抜擢しました。
僕は「小さいおうち」を劇場で鑑賞しました。黒木華さんの、昭和初期の古風で丁寧な言葉使い、イントネーションで話される「長セリフ」
これは実に魅力的でした。
彼女はこの作品で、第64回ベルリン国際映画祭最優秀女優賞を獲得します。
本作「母と暮せば」を構想するにあたり、山田洋次監督の頭の中には「黒木華」という女優の長セリフの気持ちよさ、佇まいのよさ、というのが大きな前提としてあったのではないか? と僕は推測するのです。
長セリフをやめて、従来通り、映像で語る手法をとるのは「安全策」です。
映画製作50年以上のキャリアを持つ山田洋次監督にとっては、実にたやすいことであったでしょう。
しかし、山田監督はあえて新たな冒険を試みています。
説明セリフでどれだけ映画作品が成立するか?
巨匠と呼ばれる映画監督が、未だに新しいことに挑み続ける、その姿勢こそ、本作の最大の見所なのかもしれません。
また、商売上手のちょっと怪しいおじさんを演じた、加藤健一氏の名演に拍手を送りたいと思います。
本作においては吉永小百合さん演じる福原伸子、また、黒木華さん演じる佐田町子の登場シーンにおいて、ほぼ回想シーンがないのです。全ての時間はもう、二度と過去に戻らないのです。
歴史上起こった事件、戦争は、もう引き返せない。時間は一方通行なのだ、という当たり前だけど、大切なことを思い知らされるのです。
現実とは残酷なものです。
将来の残酷な結果を見たくなければ、時代の流れ、時代の節目に、しっかり立ち止まって考える勇気を持っていたいものです。
山田洋次監督の強い意志と優しさが詰まった作品でした
ちょっと油断してました。
吉永小百合主演映画ですから、まあいつもの感じで展開されるのかなと、油断していたらいきなりビックリ!
この映画が山田洋次監督の反戦へのメッセージが凝縮された映画だったことを、すっかり忘れていましたよ。
しかし冒頭、長崎に原爆が投下されたシーンの演出は凄かった、変にCG満載で原爆のシーンを描くよりも、何十倍も恐怖を感じられて、物凄く効果的だったと思いました、犠牲者の方々は本当に苦しかったことでしょうねぇ・・・。
その後も戦争反対と声高には叫ばないものの、台詞の端々に反戦への強い意志が感じられて、思わず引き込まれてしまいましたし、共感することも多かったです。
防げた原爆投下、他の映画でも描かれていましたが、本当に悔やまれますね、日本政府(軍)の対応が・・・。
しかし私は無知なため知らなかったのですが、本来は長崎に落とそうと思った原爆ではなかったのですね、運命のいたずらでは済まされない残酷な現実が心に突き刺さりました。
と、堅い部分はわずかの時間だけで、大半は安定の吉永小百合ムービーだったのは、良いのか悪いのか、冒頭が冒頭だっただけに、やや拍子抜けした部分は多分にありましたね。
吉永小百合お母さんと二宮幽霊息子のやり取りが微笑ましすぎて、双方のファンなら萌えたでしょうが、さすがに見ていてちょっと気恥ずかしくなりましたよ・・・。
しかし生き残った者のやるせない思い、現世への未練を残しつつも生き残った者の幸せを願う犠牲者の思い、胸が締め付けられる思いで一杯になりました。
自分の気持ちを押し殺した建前と本音のせめぎあいがまた何とも・・・。
ラストシーンは賛否両論なようですが、あれは監督の優しさでしょう、現実だけでは辛すぎますから。
まあ台詞で説明しすぎな面は気になりましたが、黒木華や二宮和也の好演もあって、十分見応えのある作品に仕上がっていたと思いました。
クリスチャンの至高の幸福〜和製フランダースの犬〜
吉永小百合可愛かった。
ラストに批判的な人は多いと思う。死が救いというのはあまりにも悲惨ではと。
キリスト教においては神の御元に召されることが何よりの幸福。フランダースの犬なんかがそうだ。辛い毎日に耐えたネロの唯一の楽しみである特技の絵でも、ズルされて負けてしまい、最後は雪の降る中、犬とふたりぼっち寒さで死んでしまう。どこに救いがあるのか?と子供ながらに思ったものだ。可哀想でストーリー自体好きでなかった。
しかし違ったのだ。フランダースの犬のラストは、最後のシーンに必ず可愛らしい天使たちが登場する。この世の救い、絶対の愛である、神の使いが空からお迎えに来るのだ。
小学生の頃は何も感がえずに学級文庫にあったフランダースの犬の絵本を開く度、その裸の天使を友人とニヤニヤしながら見ていたものだが……
とにかくあの雪の中のラストは救いのエンドなのである。日本人には、ましてフランダースの犬を初めて読む多くの子供たちには、分かりにいだろう。
閑話休題、こちらの映画のラスト付近、ストーリーはいいのだが演出がいただけない。具体的に言えば母の亡くなるシーンから。どうしてしまったのだろうか?あまりの稚拙さ・チープさに驚いた観客も多かろう。
唯一ラスト付近で心に残って離れないのは、息子が母親に死を宣告したシーン、母親が驚いた後、涙ながらに
「じゃあ、もうこれからは未来永劫、(息子)と一緒にいられるの?
嬉しい、私嬉しい。」
と拳を握り締め声を震わせた吉永小百合の演技。
その前のもう自分は一人ぼっちなんだから、これからは会えなくなるなんて言わないでくれ、お願い、と懇願するところから含め、なんといじらしく憐れなんだろうと、悲しくなってしまった。思い出すだけで涙を禁じ得ない。
そして良かったねと心から思った。
戦争を経験した人間の心を、本当の意味で救済し、幸せにする方法は、もしかしたらたった一つしかないのかもしれない。
それはとても悲しいけど。
戦争が一人一人の人間の心に残すものはあまりにも大きく重く、それなのに消え失せることは永遠にないのだ。その暗く重い心を自分一人で永遠に背負い続けて毎日呼吸を続けなければならない。その先の人生、どんなに楽しいこと、幸せなことがあったとしても、その重みを捨て去ることは永遠にできないだろう。
それこそ、死をもってして以外には。
あ、あと 告別式の執り行われる教会のラストシーン、花嫁と父親が別れに向かい歩くバージンロードを、二人は永劫の世界へ寄り添って逆行してゆくという暗喩…少しやり過ぎだったな。やっぱりラスト付近は演出がちょっとおかしい。
おらんとは思うけどな
親思う心にまさる親心。悲しい中にも温かい、絆の物語。
【賛否両論チェック】
賛:戦争を生き延びた人々の悲哀を、登場人物達が見事に醸し出している。母と子のお互いを思いやる気持ちにも感動出来る。随所に垣間見える戦争への批判も印象深い。
否:かなり説明口調のセリフが多いので、違和感を感じる人もいそう。内容的にも、同じようなシーンの繰り返しなので、好みが合わないと退屈すること必至。
出兵や原爆で、数え切れないほど多くの人が大切な人をなくし、悲しみに暮れていた時代。生き残ったことで自責の念に駆られたり、いけないこととは分かっていても、幸せな他人を見ると、
「代わりに自分の子供が生きていたら・・・」
と考えてしまったりする。そんな人々の苦しい胸の内を代弁するかのように、伸子や町子が織り成す人間模様が、とても儚く描かれていきます。そして、そんな伸子に優しく寄り添い、努めて明るく振る舞おうとする浩二の姿もまた、切ない中にも温かい光を照らしてくれるようです。2人のかけ合いも微笑ましく、言葉の端々に、母の愛と息子の愛がにじみ出ていて、すごくステキです。
ただやはり、どうしても伸子と浩二が昔を回想するシーンがやたらと多いので、異常なくらいの説明セリフが続いて、違和感を感じる人もいるかと思います。展開もかなり単調かつ長いので、思わず眠くなってしまうかも知れません。
好みは極端に分かれそうな作品ですが、反戦の想いが詰まった作品だと思います。是非この機会にご覧になってみて下さい。
母になってしまった吉永小百合。
井上ひさしの戯曲に「父と暮せば」という作品がある。黒木和雄監督が映画化した。
本作は、そのアンサームービーの位置付けになっている。
山田洋次監督の反戦に対する思いは並々ならないものと、今さらのように思う。
オープニングの原爆投下のシーンは、全世界の人に見てほしい。
原爆で失った息子が、母の前に現れる。
本作には戯曲はないはずだが、ひょっとすると井上ひさしの草稿があったのかもしれない。
極めて演劇的である。
息子の二宮和也もよくしゃべるが、母の吉永小百合も負けずによくしゃべる。しゃべるだけではなく、よく笑いよく泣く。
「父と暮せば」にあった、生きていて申し訳ないというモチーフは、黒木和雄はまともに自分のことでもあったし、主人公が体現していた。
本作では町子(黒木華)が背負っていた。
山田洋次は、基本的に人間賛歌であり、それが母子の喜怒哀楽に表れている。
戦争のことをほんとに考えなければならない。
もし、戦争さえ無かったら…
今年は多くのハリウッド大作が公開されたが、邦画にも良作が多かった。
ざっと挙げるだけでも…
「日本のいちばん長い日」「駆込み女と駆出し男」「幕が上がる」「海街diary」「ソロモンの偽証」「バケモノの子」「風に立つライオン」「くちびるに歌を」、まだ未見の作品で気になるのは「あん」「恋人たち」「ハッピーアワー」などなどなど。
自分がアカデミー会員だったらとても5本に絞りきれない!(>_<)
そんな豊作だった今年の邦画の劇場鑑賞トリとなる本作も!
井上ひさしの戯曲「父と暮せば」と対となる物語を映画化した山田洋次監督最新作。
長崎の原爆で最愛の息子を失った母の前に、息子が幽霊となって突然現れ…。
山田洋次初となるファンタジックな要素を含みつつも、監督の持ち味である家族ドラマ、人情、反戦が込められ、これぞ山田作品!という仕上がりに。
幽霊となって現れてもお喋りな息子。飄々としてて、ユーモアを挟む。
普通なら驚く所だが、そんな息子をすんなり受け入れる母。いかに息子を愛していたか、再会出来たその喜び。
主に茶の間の会話劇となる二人のやり取りで、母と息子の関係を丹念に描写する。
また、結婚を誓いながらも果たせなかった恋人との関係にもホロリとさせる。
山田洋次は家族モノ人情モノの名匠と言われているが、反戦映画にも長けていると思っている。
前作「小さいおうち」でもさりげなく込め、「母べえ」は庶民の立場から戦争の悲惨さを訴えた傑作。
本作のメインメッセージであろう“戦争によって失われた親子の絆”は、まさにその真髄。
もし、戦争が無かったら…。
この温かい母と息子の関係は自然の流れで母が寿命を全うするまで続き、恋人とも結婚し、平凡でありがちだけど幸せな一生を送っていたに違いない。
戦争が全てを奪った。
戦争が多くの命を、大事なモノを奪った。
多くの人に、一個人に、深い傷を負わせた戦争は、一体何だったのか。
去年の「ふしぎな岬の物語」は個人的にコケたが、山田作品に映る吉永小百合はしっくり来る。
が、今回の金星は若い二人ではなかろうか。
「武士の一分」のキムタクに次いで山田作品二人目となるジャニーズ、二宮和也。母親思いの息子を好演。
母と息子の物語に、息子の恋人役で一際の感動を織り込む黒木華。今年は良作続き、個人的に助演女優賞を。
泣けると期待して見ると、意表を突かれる。
何故なら作品には、悲しみと苦しみが覆い被さっている。
戦争から生き逃れた者は、いつまでも過去を振り返ったままではいけない。
何かを諦め、思い出を断ち切って、この命と共に新しい人生へ。
その一方…。
結末は、見方によってはハッピーエンドでもあり、悲劇でもある。
明暗分かれた残された命。
少々辛辣ながらも生への温かいメッセージ、そして戦争が起こした悲劇…。
終戦70年目のトリを飾るに相応しい秀作。
また、今年母を亡くした自分にとっても、このタイトルや物語は胸に迫るものがあった。
感動がジワジワと…何度も観たい
私の叔母さんは、長崎の原爆で、学生で動員されていた兵器工場の小学校で、一瞬にして亡くなったそうです。
そして、今は亡き私の母は、焼け野原を探し回った経験がトラウマになって、50年経っても毎夏、夜中に悪夢でうなされていました。
生きていたら、一緒に観に行ったであろうと思い、被爆二世の私一人で観に行ってきました。
山田洋次監督が、井上ひさしさんの戯曲「父と暮らせば」の長崎版」母と暮らせば」の構想を引き継ぎ、描かれた被爆の瞬間の描写は、小さな子どもが観ても大丈夫に配慮されたのか、グロテスクではないもので、素晴らしかったです。
一瞬で亡くなってしまった二宮和也さん演じる医学生の視点からのCGは、
原爆のグロテスクな恐ろしい部分をいっさい排除した上で、人間が作り出した核というものがどれだけの熱と熱風と恐ろしい戦争兵器たのかということをみごとに表現されています。
広島で壊滅的だったのに加えて、もう投下の必要はないと思われていたにも関わらず、違うタイプの核を実験として使用された場面、一般市民の被害者の立場で立ち会った感じさえ感じました。
戦争と平和について、
一瞬亡くなることについて、これは、東日本大震災、交通死亡事故、
当事者、遺族の葛藤、
母の気持ち、
息子、娘の気持ち、
戦争に翻弄される人々の細やかなこころのひだまで
本当に良く描かれています。役者さんたちの演技も、皆さん素晴らかったです。
今の日本人が忘れかけている人間の心の繊細さ、優しさ、無償の愛について考えさせられました。
観終わって、ジワジワと感動が私の中に拡がり、何度も観たいと思いました。
ちょっと気持ち悪い・・・
予告を見て、正直観るタイプの映画ではないと判断できたが・・・
黒木華に外れなしと見て、観に行った。
全編、ただただ、長い説明セリフで疲れた。
この映画はそういうタイプの映画だと思って観るほかなかった。
最後はレビューをあらかじめ見ていたのでだいたいの予想はできたが、まぁ、あんなものか。気持ち悪かったけど。
その前の件で、母親の一言、結局それを言っちゃうの?・・・と思ったが、最後のシーンへのつながりとしてはああなるのか。どうせファンタジーなのに正直、言ってほしくなかった言葉ではあるが。
「なんであんたが生き残ってうちの子が死んだの?」的な遺族の対応は正直、辟易する。なにかパターン化してませんかね。嫉妬と怨嗟の多い日本人的とも言えなくもないが・・・
作品的には必要以上に大きいスクリーンに感ずる・・・
ただただ長かった
全180件中、101~120件目を表示










