わたしに会うまでの1600キロのレビュー・感想・評価
全102件中、81~100件目を表示
旅行記としてはいいが
自叙伝がベースということで、忠実に再現しようとしたのか、焦点がぼやけてしまったように感じた。旅先で行きずりの男と寝たシーンはどういう意味があったのだろう。身体中アザだらけということを見せたかったのだろうか。原作にあったのだろうがあのシーンはいらなかったと思う。化粧品を試してみるシーンで再起を、過ぎた行程のガイドブックを破りとるシーンは過去との決別を示しているようで良かったと思うのだが。
想像していたほどでは...
想像していた程の面白みはありませんでした。 旅となると一部分一部分を切り取るのはとても難しい事のように思いました。 自分自身でさえブログや映像にして残すのは難しいのに第三者となるとさらに難易度が高いという事も感じました。 以上の理由から評価は良いとも悪いとも言えないので半分にしてあります。
執着を捨てる旅
1600km歩いたその道程を描いた映画。
人によっていろいろな受け止め方があると思う。
あの母親は、理想的な母親みたいな感じもするけど、なにかひっかかる。
そのひっかかるところに主人公はイラついていたのかも知れない。
母親を強く愛すると共に嫌ってもいて、嫌っていたからこそ、母が亡くなったあとに立ち直れないほどの激しい罪悪感に苛まれてしまったのかも。
あまりに巨大な母親の愛は、人を支配してしまう。死んだ後でさえも。
主人公の変化が象徴的に描かれるシーンがたくさんある。
スタートするとき、馬鹿馬鹿しいほどの巨大な荷物を背負い、それを意地でも運ぼうとする。
旅の途中でアドバイスされ、荷物を減らすことを覚える。
旅の最後では、スタートとは見違えるほどの軽くなった荷物を軽快に運ぶ。
必要なくなった本は燃やせ、とアドバイスされるが、がんとしてこばむ。
しかしそのこだわりはいつか消え、平気で燃やせるようになる。
ビーチに行くたびに書いていた元夫の名前は、書かなくなる。
元夫からの荷物や手紙も気にしなくなる。
これらは全て、主人公が抱えていた執着を徐々に手放す過程のように見える。
そして、最も重要な執着である、母親の愛。それは、野狐に象徴されているように思える。
主人公は偶然出会った野狐に、愛を求める。しかし狐は逃げ、主人公は絶叫する。
旅の最後、現れた野狐を、もう主人公は追うことはしない。逃げるなら、逃げるままにする。
ありのままの自分を受け入れ、ありのままの世界を受け入れる。その末に、自然な活力と他人への思いやりがあふれてくる。
なんだかまるで仏教の教えのような映画に見えた。
邦題の1600キロは、さして重要ではない
ドラッグに溺れ、堕ちるところまで堕ちた人が自力で這い上がった稀有な例と言えるかもしれない。主人公・シェリルの記憶には常に母親の存在があり、母子のエピソードが随所に映像に差し込まれる。その何気ないカットのひとつひとつに、母子の絆が見えるのだ。同時に彼女の不遇の時代も写し、歩き続ける理由に説得力を与える。
旅の醍醐味である、善い人たちとの出会いがおもしろみを持って描かれています。
女ひとりに対し、得体の知れない男たちとの危険が潜む紙一重なシチュエーションも緊張感と共に。シェリルがハイカーとしてたくましくなっていく画もしっかりと。
どんなに辛くても常に明るく振る舞い、いいことだけをピックアップして前を向いて生きていく。母の教えに気付き、辿り着いた彼女にとっての旅のゴールが“神の橋”(Bridge of the Gods)である。そこに過度な演出はなく、決して感動的には描かれていませんが、シェリルの達成感に充ち満ちた表情がすべてを物語っているのです。良作。
母からの自立のお話
シェリルは母を愛しすぎたゆえに、母の死に耐え切れず自暴自棄になります。
優しい夫がいるのに、他の男とやりまくり、ドラッグにおぼれました。
母への思慕がシェリルより薄いわたしですので、そりゃ母が死ねば悲しいとおもうでしょうが、その時が来たな、という受け止め方で、おそらく一週間もすれば見た目には日常に戻れます。だって、人はいつか死ぬんだし、死ぬための人生なんだし。
なので、シェリルの行動は共感できません。
死んでいく母を直視できず逃げ回る弟も、理解できません。
母が45歳ならばシェリルと弟は20代前半でしょうか?下手すれば弟は10代ですかね。
まぁ、何も手につかなくなるかもしれないのは想像できますが。
そんなにおかしくなるものかな?愛した人が死ぬのって。死んだ人が愛してくれた自分を愛せないのが、その人への冒涜だとなぜわからないのかな?
わたしが愛した人を亡くした経験がないからわからないのかな?
そのようなことを思いながら見ていました。
自暴自棄から何とか立ち上がりたいとPTCという自然道を踏破する旅に、シェリルは導かれていきます。
時々差し込まれる過去のフラッシュバックと、もののけ姫のこだまのように森に現れる母と対峙する旅だったのでしょう。
ローラダーン演じる母は、確かに素晴らしい人だと思いますが、シェリルにとってはある種の呪いになっていたように思えました。
オプティミストで深い愛情を惜しみなく与えてくれる存在に、頼りきっていた子供。もっといえば依存です。
最後まで母を否定しませんでしたが、否定してはじめて母と娘ではなく、人としてボビーとつながれるのでは?
依存したまま、母に取り込まれたままで息苦しくないのかな?と思いました。
仲良し親子を訝しく思う私はその様に思いました。
旅の道程は興味深かったです。
爪は剥がれるし、荷物は多すぎ、大蛇が怖いし。
でも自然は美しかった。砂漠でさえ美しく見えました。
小さな出会いもいくつかあり、それぞれに心温まるかんじでした(ボウフラの水溜りの男を除く)。
雨の森で出会った男の子の歌がよくって泣けました。レッドリバーバレー。なんでこのメロデイ知ってるのかなわたし。
美しさの中に身を置くという母の言葉がでてきましたが、それは納得。
つか、母の言葉はどれも含蓄のあるもので、いいんですけど、身近にすごすぎる人がいたら凡人は自分の価値を見つけられないのかな?とか思いました。
シェリルはなんで母を愛しているのに、亡霊にしてしまったんかな?そこが理解できないというか、想像できませんでした。
今でも全くです。
回想の差し込み方が、カフェドフロールに似てるなーとおもいました。さすが同じ監督です。
リースウィザースプーンの裸体がアラフォーらしくて生々しかったです。
元夫が優しい人でしたね。
旅後に結婚したんは誰やったんやろ?元夫ちゃうんかな?
旅の途中で出会った女性が原作者らしいと、後で知りました。顔覚えてねえよ。エンドロールの写真は覚えてるけど。
以下は劇場での出来事で、本編には無関係ですが、
同じ列に60から70くらいの歳の女性2人が座りましてね。最初っから声がでかいし、床に水滴があったらしいのですが、大した水滴でもないのに騒いで席の譲り合い。それだけで聞こえるこっちはイライラしてたんですが…
なんと、そのうちの一人が予告上映のうちに寝たんですよ!いびきかいて!
いびきが本当に気になりました。
連れの人は本編始まってから起こしよったので、本編始まってからそいつらは会話をしました。大変イライラしました。
でもすぐまた寝てましたわ。
寝るぐらいなら来るなよ。1100円払って寝に来て、人に迷惑かけんなよ、思いました。
老人のマナーがわたし許せない。
子供や若い子より老人!!
wild、、、
一言で言うと「wild」でした、、、 山登りすると、こういう気持ちになるのかと思い、自分も山登りしてみようかなと思わせてくれる作品。 自暴自棄になると人は思わぬ行動をする。 自分を大切にしてくれる人まで突き放す。 しかし、自然(wild)はずっとそばにいる。時には勇気を与えてくれるし、時には恐怖を与える。 でもずっと変わらずそこにある。 その美しい自然の中に自分を置くことで、 希望とも違うなにか新しい感情に出会うのかもしれないですね。 自分は山登りしたことないので、それがどんな感情なのかはわからなかったですが笑 山登りの経験がある方には、とても共感できる作品だと思います! ない方にも、山登りしてみようかな!と思わせてくれる作品です。
ワイルドなのは分かるが、、、
原題はwild 、しかし、観てみるとほとんど車の通る道路沿いの、人工のコース。途中に休憩所もあり、キツいのは分かるが、主人公の内面を、自己に課した課題をクリアすることで、自分の価値を自分なりに勝手に取り戻した、ということか。私も母を突然亡くしたので、ショックは並大抵ではなかったけれど、どこか、カウンセリングの実写版、みたいなこの発想は日本人にはないのではないか? と言いつつ、映画としては、最後まで見る者に忍耐を要求する優れた作品だ。観客に媚びていないところが素晴らしい。
気付いてしまう
たった独りで険しい山道、雪道、砂漠を歩いた女性の物語。何故歩いたのか、何を思ったのか、何に出会い、何に気付いたのか、物語がすすむにつれて私は彼女を知ってゆく。
彼女が抱えた喪失感が美しく、哀しく、残酷に描かれていく中で私は気付いてしまった「私はまだ何も乗り越えていない」と。
主人公はどんな状態であろうと真っ直ぐに向き合う、だから辿り着いた先で望んでいた物を見つけるのだろう。
主人公を演じたリース・ウィザースプーンはやはり素晴らしいが、母を演じたローラ・ダーンの笑顔が魅力的で心を奪われる。
「良いところだけを見るのは難しいけれど、価値はある」
サイモンとガーファンクルの音楽が心に沁みる
再生の物語
最初から最後までひとりの女性が歩き続ける物語です ロードムービーが好きなので観賞しました 本作はよく『自分探し』と表現されるようですが、どちらかと言うと『以前の私に戻るため』という再生の思いから歩き始めたのではないでしょうか はっきり言って主人公シェリルの行動は、石橋を叩いて渡る私には理解も共感も出来ません 冷めた見方ですが、何もあんな無謀な挑戦をしなくても他に方法があるのでは…と思ってしまいます (実在の人物と知り、更に驚きです) それでも母娘の深い絆には強い感動を覚えました 母親ボビーは私の理想の姿です シェリルの異常なまでの執着、悲しみも分かる気がします そしてS&Gの楽曲が本作の雰囲気に深みを与えています 旅の風景ととても良く合っています S&Gが使われているのを知らずに観賞したのですが、大好きなアーティストなので思いがけないプレゼントをもらった気分です ロードムービーの雰囲気は充分満喫出来ました それにしても、この邦題はちょっと… 原題のままの方がステキです この邦題を見ただけで観賞をやめてしまう方もいるのではないでしょうか 非常に勿体ないことだと思います
主人公の思いを追体験した。
2015/09/01、TOHOシネマズ川崎で鑑賞。 父親の暴力が原因で離婚し、母と弟の3人で暮らす主人公にとって、精神的にも自立した強い母親が人生の軸だった。その母が若いうちに癌で亡くなったことや、ドラッグにはまりセックス依存症になって夫を裏切り、離婚することになったことなどからどん底に落ちていく。そんな過去の思いがPCT(パシフィック・クレスト・トレイル=メキシコ国境近くからカナダ国境近くまでのアメリカ西海岸を南北に縦走する道)を歩きながら交錯していく。母親の死以外は全て自業自得なので同情はできないが、本人もそれは心得ていて、なんとかこれまでの人生をリセットしようと1600km歩くことを決意する。 主人公はこれだけの冒険をするのに、携帯するコンロの燃料を間違えたり、そしてその使えないと知ったコンロを何処かへ蹴り飛ばしてしまったり、靴を崖から落としたりするところなどから結構短気で計画性も無いところが見受けられる。 そんな欠点の多い主人公だが、危険な目に合いそうになりながらも他人に頼らず初めての長旅を完遂しようとする姿は応援せずにいられない。また彼女の過去に起きた不幸や不運は、観ている自分にも似た体験を思い出させ、自分も一緒に旅をしているような気持ちにさせられた。 ただ、これだけ苦労したのに最後のゴールは以外にあっさり。観ていてゴールしたことにしばらく気が付かなかったwもうちょっと達成感溢れる演出でも良かったんじゃ?w
リース・ウィザースプーンが好きな人にはオススメ
リース・ウィザースプーンがあまり好きではなかったので絵的にはつらかった。 この作品の主人公ほど非道く生きてきてはいないけど、 自分の過去と照らし合わせたりと、考えさせられることも多く 時間があっというまに過ぎた。 邦題は大げさかな…。 けどPCTほどじゃなくても、自分探しにトレイル… ちょっとやってみたい。
WILD
たびたび言及していることだが、ひどい邦題をつけるのはやめてほしい。内容が良いとその邦題をつけた輩に怒りさえ覚える。 という愚痴はともかく─ 素晴らしい映画でした。恐らく感化されて歩きたくなる人もいるかもしれません。その理由は決して自分自身を見つけるためではないはずです。そんな旅は酷い邦題をつける輩がやればいい。 編集というか構成が巧みで単純なウォーキングを飽きることなく見続けられました。 音楽の使い方も非常に良かったと思います。過剰なオーケストラなど一切なくとも、創意工夫して、このように素晴らしい映画を創ってほしいものです。 まさにWILDと言うにふさわしい映画だったと思います。制作者は考え抜いてシンプルなタイトルにした、と勝手に想像して、あらためて何故にこの邦題だと憤怒するのがバカらしい・・・
癒し系の『奇跡…』 現実と向き合うこちら。
似た作品として、つい先日公開された『奇跡の2000マイル』と内容的に比較され易くなってしまうのは致し方ないでしょうね。 両作品共に【自分探し】が最大のテーマで有り、どちらも実話で有るのも共通しています。 両作品を比べると、『奇跡…』が“何故そこまで駆り立てるのか“…が、やや希薄な気がしますが、半面、オーストラリアの雄大な風景が美しく。更に神秘的な音楽の相乗効果によって、不思議と心が癒される作品でした。 一方この作品では、長い旅の間に母親の死に至るいきさつを縦軸として、家族:離婚した元夫:薬物:SEX等、自分の過去の自堕落な生活が走馬灯の様に甦って来る。 1番違うところとしては、『奇跡…』と比べて風景は荒涼とした風景が続くので風景を楽しむといった内容では無いですね。主演のリース・ウィザースプーンと母親役のローラ・ダンの熱演及び巧みな編集によって濃密なドラマとなっており、寧ろ息苦しい程です。 内容的には『奇跡…』よりも中身は濃いのですが、個人的に主人公の自堕落な面がどうしてもすんなりとは受け入れ難いところが有りました。 その辺りは実際に観て判断して貰いたいところですね。 (2015年8月30日/TOHOシネマズシャンテ・シネ2)
オープニングタイトルが今年一二を争うセンスの良さに、改めて日本の配...
オープニングタイトルが今年一二を争うセンスの良さに、改めて日本の配給会社がつけたタイトルのダサさに残念という言葉しか…娘が誇りだと言った母の死をきっかけに荒れた生活に堕ちた娘が再び這い上がる切っ掛け掴むため歩く選択をしたこの実話、中々の見応えがあり自問自答しながら過去を振り返るフラッシュバック技法にS&Gの歌が被り更に痛さが染み渡る。ラストの処理はあれで良かったのかもう一度確認したいとても気になる一本ですね。
自分を巡礼する旅
ジャン=マルク・ヴァレは「感覚」を大事にしたがる人なのかもしれない。音、肌触り、痛み、それらをヴィジュアリスティックに回想と混ぜることで独特の食感を創りだす。前作『ダラス・バイヤーズ・クラブ』でも印象的な使い方をやった「耳鳴り」を、本作でも使用している。だから、この映画は感じられればそれでいいのだと思う。過去の苦さと現在の辛さ、それらが渾然となって紡ぎだされる不思議な甘みを映像として用意してくれたのだから、物語なんて実はどうでもいいのかもしれない。 主人公はただ歩く。思い出しながら、歩く。彼女の歩くパシフィック・クレスト・トレイルは、原題にもある通りワイルドな自然に満ちた道ではあるんだけれど、文明のあらゆる要素を否定しにかかるほど凶悪な自然じゃない。 むしろ、ある程度まで舗装された、人工的な道だ。獣道みたいなところは多少あるにしても、各所に表示されている目印を追えば迷うことはない。人里から離れているものの、人間そのものから隔絶されているという感じはない。一定の距離ごとには停泊所みたいなキャンプ場があって、荷物を整理したり郵便を受け取ったりもできる。そのほどよいワイルドさが彼女にとって良いのだと思う。 では彼女は自分を甘やかしているのかといえば、そんなことはない。実のところ、旅を始めるまえから充分に打ちひしがれている。母親を若くして失い、薬物に溺れ、堕胎し、夫と別れ、PCT用の荷物を買ってしまえば全財産は残り20セント。 16000キロを踏破したところで、その先に何があるわけでもない。ステイタスだけ見れば、踏破前と踏破後で何も変わらないのだ。 でも、彼女は変わる。いや、答えは最初から知っていた。「病苦と栄誉をもたらす根は一緒」と大学時代に既に教わっていた。問題はそれをどう自分の身体に沈着させるかだ。文字通り、どう「生を実感」するか、だ。 野生動物と遭遇することで自らの内なる野生を認識する、というのはハリウッドでは使い古されたテリング技法だけれど、彼女にとって必要なのは自らに襲い掛かってて食らうかもしれない自然ではない(彼女に恐怖を与えるのはいつも人間の男だ)。 どう人間と向き合うか、だ。家族、恋人、友人、他人、自分自身とどう距離をとっていくか。JMVはそれを撮る。
生きる勇気が湧いてくる
113分も歩く話を見続けるなんて、飽きるかなと思ったら、全くであった。 見終わった時にきれいな水で体を流されたような、すがすがしい開放感を感じた。 主演のリース・ウィザースプーンは本当にチャーミングな女優だ。10代〜20代前半のころ、彼女の主演作である「キューティー・ブロンド」は、私にとって人生の応援歌ような作品で、受験や就職など誰かに応援して欲しいときにいつも観ていたが、この作品もまた、人生の応援歌のような作品である。何年経っても彼女はチアリーダーのような存在である。
How wild it was, to let it be.邦題のお節介感が酷い。
私が一番嫌いな、邦題のパターンです。
観客と映画の間に割り込んで、勝手に答えを押し付ける感。
息子が彼女と部屋にいるからって、やたらお茶やケーキやらお菓子やらをちょくちょく持ってくるママ感。
いいから、放っておいて!いちゃいちゃしたいの!
パシフィック・クレイスト・トレイル(長い自然遊歩道)に挑んだ主人公シェリル(リース・ウィザースプーン)が、最後に到達するであろう答えも、歩いてる理由も、邦題にご丁寧につけちゃう!
しかしその答え、間違えてるからね!
なので今からこの映画のタイトルは原題の"WILD"に変更していいですか?
シェリルが何故この長い道を歩くのか?過去と現在が交差し、少しずつ理由が分かってくる構成なのに!もう、邦題(しつこいですね。すみません)!
シェリルは母親(ローラ・ダーン)の死を受け入れられずドラッグに溺れ、結婚生活も破綻。そして女性にとっては一番辛いことを経験し、初めて"私はこんなんじゃない"と思う。
「だから歩く!」
そして一歩、一歩と、砂埃舞う砂漠や、雪山を進んでいきます。その距離1600キロ。3ヶ月。実話です。
リース・ウィザースプーンがぶつぶつ言いながら歩く姿が、いいんですよ!
「F*CK F*CK F*CK !こんなんいつだって止められる。止められるんだ!なんでこんなことしようと思ったんだろう?なんでだろう(字幕なしで観たので勝手な意訳です)?」
足の爪が割れ、悲鳴と共にもぎ取った瞬間に、ブーツが崖下に落下!いらっ!ってきて、もう一方のブーツも投げ捨て「F*CK YOU BI*CH!!うわああああああああーーーー!!!!」
の、叫び声の冒頭から、良作の予感です(笑)
そして裏切らない。むっちゃ面白いです。
そしてリースを、初めて可愛いと思いました。
原題の"wild"はラスト"How wild it was, to let it be."の台詞からきていると思います。
あ、ネタバレすみません。
邦題の分も合わせて、謝ります。すみません。
※最後の台詞を訳すと、完全なるネタバレになるので止めます。
ただこの旅を通して彼女がWILDになった訳でも(そういう意味のWILDではありません。比喩的なWILDです)、変わった訳でもないことだけは分かると思います。
全102件中、81~100件目を表示