シン・ゴジラのレビュー・感想・評価
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恐ろしいゴジラ
ゴジラの進化の様が非常に恐ろしく劇場で観るだけでもキツい人にはキツいぐらいの迫力があった。
家に人が居る状態で建物が破壊されたり、主観的に映し出される映像で目の前のものが崩れていく描写というのは臨場感があり苦しく感じるくらいだった。
この映画が直接的に震災と繋がる訳ではないが、それを彷彿させるものがあり、震災が起きた時ニュースで観る感覚と実際にその場にいて目前で起こる状態というのはやはり別世界だという認識が引き出され、実際に被災した人々のことを映画を観ながら裏で想像しまった。
しかしこれほど迫力があり、苦しいくらいの破壊的な映像と音声というのはつまり実際を感じられる状態に近づけ考えさせてくれるからこそ意味があると思う。
初めて。
ゴジラ破もしくは使徒・ゴジラ
これだけ話題になってるのになかなか足を運べなかったゴジラ。遅れ馳せながら拝見しました。
音楽や演出は庵野色満開。ストーリーはもとよりテロップとドラムとカメラワークで二時間飽きずに堪能。
竹野内さんがカッコいいけど舌足らずなところや、石原さんの若すぎるバリキャリエリートなキャラ設定、手塚とおるさん安定の色物演技、どこに誰が出てた、とか兵器のリアリティーなど観賞後に誰かと話したくなる良いエンターテイメント作品でした。
長谷川さんの生真面目設定のキャラ造形とかもっと掘り下げて欲しいし、深海魚的な幼性ゴジラのその後などいくらでも続編つくれそうな話も個人的には好き。
エネルギー切れ待機中のゴジラへの無人新幹線&在来線爆弾は楽しめました。
期待が低かったから…!
テンポ
ワイドナショーで。
長かった
ゴジラ初体験
面白かった…。ただ圧倒されて上映後、一緒に観に行った友達が黙ってしまって、どうしたの?と聞いたら、あまりにも面白かったので映画の内容を咀嚼するのに必死だったそう。
恥ずかしながらゴジラ映画初体験で、「ゴジラは核実験の放射線で恐竜が変異した生物である」くらいの予備知識しかなく、内容をほとんどわからずに観たのですが、「非常事態に人々はどう身を守り、ゴジラに立ち向かっていくか。」ハラハラしながら観ました。今までのやり方にとらわれず自分なりに考え、立ち向かうことの大切さを感じました。
ネタバレ注意の情報量の多いパンフレットがありがたかったです。
個人的な感想になりますが、ゴジラが迷子の子どものように見えました。たまたま上陸したところで、右も左も分からないままただ進むだけ。でも、街を破壊したり、人々を身の危険にさらしたり。どうすればいいのだろうとパニックになりそうなところでも、落ち着いて作戦を考える内閣の人々の姿が良かったです。
友達も私もTwitterのコメントを見なければ観ていなかっただろうし、初めて体験したゴジラ映画の迫力に圧倒されっぱなしでした。
ゴジラ映画は3:11を背負えるのか?
3:11という「想定外」の出来事が起こって以降、映画に限らず、日本の表現者たちは、もがき苦しんでいるように思える。
僕は何度も、あの津波の映像を見た。
現実離れした、しかし、まぎれもない現実の風景は、浅はかな人間たちの、すべての創作物を飲み込んでゆくようであった。
もちろん「ゲ・ン・パ・ツ」もまた「安全神話」という虚構が生み出した、人間の創作物にほかならない。
あの光景は、表現を志す者にとっても、今まで築き上げてきた、あらゆる虚構・フィクションの世界が「何の価値もない」と自然界から「バッサリ」断罪されたかのようだった。
その圧倒的な現実の前に、人間の表現行為など何の役に立つのだろうか? というニヒリズムに陥る。
あの宮崎駿監督も「風立ちぬ」制作中に、スタッフから「津波や地震の絵は描きたくない」という意見も寄せられたという。
本作の総監督は庵野秀明氏である。
庵野氏も、師匠の宮崎監督同様、並外れた時代のセンサーを持っている人だと思う。
本作「シン・ゴジラ」のHPを見ると、庵野氏自身、一時うつ状態となっていたことを告白している。
その人が、あの3:11をどのように自分の中で消化し、映画作品に反映させるのか?
映画会社に請われるまま、なんでもいいから「ゴジラ」を登場させるのだろうか?
怪獣に傍若無人な振る舞いをさせて、都市を破壊し、人々を恐怖に陥れ、人間どもに自然破壊への反省を促す。
そんな安直でステレオタイプな映画を、庵野秀明が作るわけがなかろう!
とあなたが思うように、僕もそう思う。
メイキング映像を見てみる。
庵野秀明総監督が「とにかく面白い日本映画にしましょう」とスタッフに檄を飛ばしている姿が印象的だ。その姿勢に僕は共感し拍手を送りたい。
やはり、映画の第一条件は「面白い事」に尽きるのだ。
圧倒的なスケール感と、造りこみがなされたゴジラの尻尾。
「ぶぉ~ん」と一振りしただけで
「こんな怪獣来たら、もう助かるわけがない!」
と我々観客に思わせる、そのキャメラアングルの巧みさ。
「ゴジラ」というフォルムとアイデンティティーを特徴付ける、ギザギザの背びれ。その緻密な描写は見事だ。
その体の奥底から肌の色が明るくなったり、黒ずんだりする。
心臓の拍動、あるいは呼吸に合わせるかのように、一定のリズムで収縮する、動物としての表皮。
以前のゴジラファンなら、これらのシーンで拍手喝采しただろう。
しかし、運河を氾濫させ、数々の車を押し流し、都市を壊滅させてゆく「ダークヒーロー」である「ゴジラ」
その姿は、リアルであればあるほどに、その嫌悪感もリアルなのだ。
素直に「怪獣映画」「娯楽映画」と割り切って楽しめないのである。
だって我々は、あの日の出来事を、直接間接的に体験しているからだ。
普段は穏やかな「自然」は、時に人間の想像を超える「暴力的な」素顔を見せる。
本作の主役である「新しい」「真の」ゴジラも、自然の暴力的事象から発生した生物なのだ。
本作において、ゴジラという未知の生命体について対応を迫られる政府関係者たち。
その曖昧な態度は、なるべく責任を回避しようという意図が見て取れる。
そこへアメリカから圧力がかけられる。
「日本政府はゴジラに対応できる能力はあるのか?」
アメリカは疑う。
その米大統領特使として、石原さとみがクールな役どころを演じている。
福島原発事故の際、実際アメリカからの圧力があったようである。
その象徴的な例が、あの自衛隊ヘリコプターによる海水の空中散布である。
高い被曝線量の危険性がある至近距離から、海水を原子炉めがけて落下させるというミッション。
あれは文字どおり決死隊である。
アメリカ側は「英雄的な犠牲」を求めていたという。死ぬかもしれない任務について、命令と人選を行う、現場指揮官の苦悩は容易に想像がつく。
危機的状況にあって、欲しい情報は入らず、混乱する政府および対策本部。
本作では「未知の巨大生命体」が襲ってきた、という「想定外の事象」の場合、政府のどの機関がどのように動くのか?
その会議のシーンがおよそ三分の一以上を占めているのである。
しかしこれが退屈なシーンとはならない。
緻密な取材をもとに書かれたシナリオは、通常の映画の二倍の分量になったという。
それは、専門用語を駆使し、早口で議論を闘わせる官僚たちの会議を「群像劇」として描くために必要だったのだ。
政府のエリート官僚に長谷川博巳や竹野内豊をキャスティングしたのは、ちょっと意外だったがすぐに納得がいった。
彼ら官僚は主役として出しゃばらない。政府の顔として世間に出るのは、あくまで「大臣」なのである。
エリート官僚たちは大臣を陰で支え、必要に応じて影響力を行使する。まさに切れ味鋭い、カミソリのような知的「影武者」なのだ。
その役どころとして長谷川博巳、竹野内豊、両氏の起用は的を得ている。
また、注目すべきは本作の上映時間である。
119分。台本は通常作品の二倍の厚みがある。
しかし、完成作品は2時間より、1分だけ短いのである。
この「1分だけ短い」という事に、僕は庵野監督および、樋口監督の「プロとしての意地」を感じる。
「ゴジラ映画」なら、途中休憩も入れて3時間以上の大作にする方法だって許されるだろう。
かつての渡辺謙主演「沈まぬ太陽」のように、3時間を超え、休憩時間を設けること自体が話題を呼んだ、という既成事実がある。
本作でもその手法で観客動員は見込めるのではないか?
しかし、映画のプロとして、上映時間と、1日の上映回数といった興行面への配慮がもちろんあったのだろう。
庵野、樋口両監督はこの作品をあえて119分に仕上げた。
本作においてゴジラは紛れもなく、3:11の津波に象徴される「自然界から人間界への警告の象徴」として現れている。
未曾有の自然災害で失われた、ひとりひとりの命。肉体だけではなく、その人の背負ってきた人生という膨大な記憶の遺産、そして「あるはずだった」その人の将来や未来さえ、奪っていった。それを「数」という記号でしかカウントできない、悔しさ。命の「質量」手触りや「重み」
それを背負って、クリエイターたちは、今後、何をどう表現し続けていくのだろうか?
現実には、原発事故の後始末は、あと何十年かかるのか? 目処も立っていない。
残留放射能はどこにどれだけホットスポットがあるのか?
それも曖昧なままだ。
そんな現実が足元にありながら、僕らは今のところ、ごく平穏に日常生活を送っている。
「想定外」だから「シ・カ・タ・ガ・ナ・イ」
みんな、自分を納得させ、諦めているのだろうか?
そのうえ「原発事故は人災ではない」と黙認してしまうのか?
この世の中には、辛いことを忘れさせるための、楽しいことが山ほどある。
それらにより、幾重にも巧みにヴェールで隠された、日常生活の現実はホラー映画以上の恐ろしさだ。
そういう「公然の秘密」という地下水脈が走る日本列島で、僕たちは新しいゴジラ映画を体験するのである。
ミスキャスト
ファンには申し訳ないが、石原さ◯みさんミスキャストじゃないか?
真実味が薄れましたね観ていて。TVでは、あのキャラでも良いのだけど…。
昔の日本人が抱いていたバイリンガル感が古臭いのに前面に出過ぎていて、ちょっと困りました。
作品が、自分的には、まあこれもアリかなと思っていたので残念です。
他にも、いろいろ惜しい所がありますが、せめて役者だけでも完璧に揃えないと、中途半端になってしまいますからね。
エバンゲリオン風のなのは、分かっていましたし、そう言う作風になると予想もしてました。
が、しかし、ゴジラの目的が…最後まで答えが見えないのは、無しだと思いますね。
だって、謎のまま終わるって…無しでしょ。(*_*)
しかも薬品を注入して殺す?って…何じゃそれ!!
残念だなぁ。。良い作品なだけに。
ゴジラという未曾有の危機にどう対処するか、という国家公務員の話。 ...
時代錯誤じゃない?
みんなが面白いというので見ましたが何が"シン"なのか最後まで納得(満足?)することはなかった。
何故ゴジラなのかもわからない。
初代を意識したのに全然違う方向に行ってしまいましたね。
金子版で終息したと思われたゴジラを、ハリウッドで日本で引きずり出すようなマネを良くやったもんだと思いました。
会議がリアルだとかそうではないとかより、先の震災より被害が甚大なのか?そうではないのか?という今の日本人の尺度となっている微妙な問題をハッキリと表現できない邦画の限界を感じました。
ゴジラに被災した(犠牲になった)人数をぼやかす様な中途半端な映画でした。庵野秀明はもう少し骨太な映画を作るかなと思ったのに残念でした。
大体今時放射能とかで成長出来たり、元気になる怪獣映画を作ってる場合か?と思いました。
おぉ。
先月、お盆時期にチラ見しました。
思えばゴジラシリーズは小学生の時に仲の良かった友達の亮ちゃんと行ったきりですかね(vs.メカゴジラとか。。かな?)。
あの時代はよかったんですよ。
お母さんが街中に買い物に行ってる間に映画館に置き去りにされて、2回も3回も仕方なく同じ映画を見るしかなかったのでした。
そんな時代の同じ系譜なのかな?と思いつつも見てみましたが、【シン】の名に相応しく、全く新しいゴジラという印象を受けました。
これはゴジラ童貞でも楽しめますね!
仙台の4DX上映劇場で見ましたが、一人なのに水ぶっかけられて憤慨、その他諸々。
すごく楽しかったですよ。
飲んでたメロンソーダ、オキニのTシャツにぶっかけてしまいました!
石原さとみはモロ、アスカだけれどもかわいかったので良しとします。庵野監督の狂った性【サガ】が垣間見え、けれどそれがとても美しく思えました。
〜劇終〜
緊迫感がたまらない!
悪い意味で庵野作品
評価は低いです。
その理由は以下の通り。
1 、海から来た進化生物に薬品をぶちこんで倒す。これは「パトレイバー」(漫画並びに劇場版)のそのまんまのパクリではないか。
2、BGMにエヴァンゲリオンっぽいのが出てくるたび、庵野のエゴを感じる。巨神兵を元ネタにエヴァを書いた人が、今度はゴジラをスケープゴートに使ってエヴァを表現しただけ。
オリジナリティに欠ける。
3、オリジナリティに欠けているのに、王道マンネリ作品のゴジラに変な個性を持ち込み、完全なイロモノに貶めた。
4、見せ場が政治家の喋りだけなので、古舘伊知郎のトークショーのように、だんだんダレる。
5、あんな倒し方でいいのか?スーパーXでも出てきた方が良いくらいだ。
結論。
制作側「最近ゴジラやってないな。ちょっと奇をてらって話題でも作るか。庵野でも使う?」
庵野「ゴジラ使って今までやって来たことを焼き直せばいいや。小遣い稼げるし」
みたいな作品にしか見えなかった。
残念。
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